勉強する意味って?その答え。

勉強をしていると、誰しも、

なんでこんなに、指に鉛筆ダコとマメを作りながら、必死こいて勉強しているのだろう?テレビを見たり、スマホでゲームをしたり、ベッドの上でゴロゴロしたり、友達とカラオケに行ったり、映画に行ったり、彼女・彼氏とデートして、愛を深めて…、もっと楽しいことがあるのに…

そう思う瞬間があるはずだ。

何故、勉強をするか?そんなありふれた質問に、だれもが納得できるたった一つの答えはない。お金のため、安定のため、親・家族のため、恋人のため、様々な立場と答えがあることに違いないでしょう。

ここで、ボクが生きた半生で出した答え、考え方を述べてみようと思います。

「勉強は社会への従順さを測るためのものさしである。」

なぜ勉強するのか? ~のため。~だから。こういう答えになっていないあたり、国語力の無さを疑われてもしょうがないだろう。事実、国語は一番得点を取るのに苦労を要した科目です。

社会への従順さを測るものさし。これが勉強。だから、勉強する。この根幹には、社会と職業をピラミッド化し、ヒエラルキーがあると考えていることと、経済的な安定が欲しいと考えていることがあるからだと思う。少し過激な考え方だと思われるかもしれないが、どの職業が偉いだとか、どの職業が卑賎だとか、そういう風に考えたことはないので、了承してもらいたい。どの職業もあるからこそ、世界は成り立ち、回っているということに違いありません。

一部の熱心な宗教の信者や聖職者を除いて、誰しもお金があるに越したことはないと、そう思っている。そしてそのお金を得るためには、この世界で平均年収の高い職業を目指す必要がある。

日本において、年収の高い職業を目指す権利は、誰もが平等に与えられている。現在は高校(公立高校に限るが)までであれば無償で教育を受けることができる。この条件下で、自分が特に将来使いもしないであろう科目まで、ありとあらゆる教育を受け、その学力を測定する。自分の将来に必要のないであろう科目ですら真面目に、また、従順に遂行することで、社会がボクを認めるのである。真面目に、従順に勉強した子たちには、年収が高い、多くの職業を選ぶチャンスが与えられる。日本というのは元来縦社会で、目上の者に建前上従って生きていかねばならない。秩序がある。過激な言い方かもしれないが、この秩序を守れない人間は、社会を乱す者として、社会の中で重要な役割を担うポストに付けなくなる。これはボクが、社会はこうあるべきだ、と考えているというより、社会構造がそうなっているというだけの話です。

勉強とは、ボクたちの生きている日本の社会がボクたちに与えた課題であり、また、チャンスでもある。

これを課題でありチャンスであると受け入れることで、社会での地位や安定は保障されるのです。

あまり体系付いた考え方ではなく、曖昧だけど、僕は高校時代、こういう風に考えていた。

そして、これからも勉強を続け、社会に従順に生き、安定した地位を手に入れる。

勉強を面倒臭いことだと思わず、その裏にある社会に与えられた命題を読み取ろう。そしてそれをチャンスと考え、ひた走る。これもまた、勉強する上での一つのモチベーションになるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?