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あなたが生まれた時…のこと。

20年前の今日(4/18)の
今頃(夜10:00)…

出産のために鹿児島の実家へ
里帰りしていた私は
広島にいるだんな様に
電話しながら怒っていた。

『出産予定日なのに…
 呑みに行ってるとは何事?
 今、陣痛が始まっても
 来れないじゃない!!!』

そんな怒りと
これから起こるかもしれない
未知の痛みへの不安を抱えて
寝床につく。

陣痛ってどんなんだろう?
まだ全然痛くないし…
眠ってて痛かった起きるだろう
起きるぐらい痛かったら
陣痛かもな・・・

そして、お腹の違和感に
目が覚めたのが夜中3:00。

親を起こして
車で5分の大学病院に
連れて行ってもらう。

後部座席に横になりながら
ガラス窓からみた月が
めっちゃキレイだったのを覚えている。

そして…
それから1時間半で生まれた長男(笑)

カンガルーケアで
初めて私の胸にきたとき
片目だけで私を見つめていた。

愛おしい、とか
一生守ろう、とか
かけがえのない、とか

そんなことを思った、、、
覚えはない。

ただ
『私の子なんだ』
って
漠然と思っただけだった。

それから数ヶ月は…
こんなはずではなかったの連続。

母子同室、母乳推進の病院で
泣けばおっぱい。

それがまた
そのおっぱいが出ない。

赤ちゃんは3日分のお弁当を持って
生まれてくる・・・

とは言われていても・・・
どんどん減っていく体重に
どうしていいかわからなかった。

でも母乳推進だから
ミルクはあげられない。

3日目の夜…
長男を抱いて椅子に座ったまま
とうとう涙が出た。

赤ちゃんがうまれたら
おっぱいは出るモノだと思ってた。

どうして出ないの?
これからどうなるの?

不安しかなかった。

親に電話した。

父に
『そりゃ死活問題だな』って言われた。
 ※悪気はないのはわかってた。今では笑い話。

母に
『育児書を買ってきて』
と言ったら

『私(母)がいるのに、どうして育児書が必要なの!!!』

って怒られた。

わが子を
かわいーと思う余裕はなかった。

シャワーを浴びるときだけは
堂々と看護婦さんに長男を頼んで
ひとりになれた。

シャワーやトイレから部屋に戻るとき
廊下をなるべくゆっくり歩いた。

病室から赤ちゃんの泣き声がしても
急いで帰ることはしなかった。

長男の泣き声を聞き分けることが
できずにいる自分がイヤだった。

自分が生んだ子の声がわからない
なんて
そんなの母親失格って思った。

ピンポンピンポンって
病院の計器の音が

今でも思い出せる。

黄疸が出た長男は
1日だけ退院が伸びた。

退院のとき・・・
葉桜になりかけてる道を
迎えにきてくれてた父の車まで歩いた。

吹いているそよ風が顔にあたり
息がしにくいのか
あわあわしてる長男の顔を見て
その存在の小ささ、弱さを感じた。

初めて『かわいっ』って思った。


『明日は白ワイン買ってきてやぁ』

あんなにビービー泣いてたのに
トイレにもくっついて来てたのに
30分も預けることができなかったのに

早く大きくなれって思ってたのに

なにひとつ
親らしいことしてあげてないのに

明日、ハタチだって。

おめでとう!
これからも
甘えてもらえる親でいたいと
思ってます。

※去年の今日(4/18)のfacebook投稿より

たまに落ちた時に…facebookに書けないようなことを毒づくことがあります。 そんな私をよろしくですm(_ _)m