雑談(1/11)

小学生、中学生の頃。
読書感想文を書くことと、そのために読書をすることがとても嫌いでした。でも、ほとんどの長期休暇のタイミングでそれは現れる。その度に適当な書籍を借りてきては、内容の一部を抜粋して「凄いと思った」を10回くらい書いて規定の原稿用紙を埋めるんですよね。
見たものに対する感想を書くということはもっと自由なはずなのに、「ちゃんとしたものを提出しないと先生に怒られる」っていう恐怖感が先行していたな、あの頃は・・・と今更ながらに感じるところがあります。
所感を文字としてアウトプットすることって大切なことなんだということを今更ながらに感じるし、その辺を積極的にトレーニングしていきたいということで、今年の目標に「本を読む」ことを設定しました。

本を読むことは手段であって、何をインプットするか、そして何をアウトプットできるか。その結果として、自分の言いたいことを端的に表現できるようになりたい、というのが真の目的です。

本を読みたいと何年も思うだけなら思ってきたわけで、その度に「The・自己啓発本」のような分厚い書籍を入手して読んでいたのですが、大体途中で眠くなってしまってやる気がなくなってしまうんですよね。

一方の妻、割と読書家で僕が週末競馬やゲームや筋トレをしていると静かに本を読んでいることが多い。休日、何らかの形で自分の足を動かし、「今日はこういう実績を得たゾ!」という満足感を得られないと次の月曜から頑張って働ける気のしない人間でもあるので、単純に凄いなと思ったりする。

とにかく何でもいいから「まずは本を読んでみた」という実績が欲しかったので、名前に惹かれたこの本を読みました。

蘇える変態

まず前提として、僕は変態が大好きです。
自分自身も変態になりたいと思っている。そんな発想にどうして思い至るのか。意味の分からない可能性を探れること、というのは人としての強みになる要素だと確信をしてこれまで生きてきました。

星野源さんが変態だということは知っていましたが、元々オタクで非モテで書籍内にオナニーという言葉を多用してしまうほどの方だとは存じ上げていませんでした(ディスっているわけではないです)。何となく自分の過去と境遇を重ね合わせつつ、「わかる・・・(ニチャア)」とニヤニヤ読んでいたら一気に読み終えてしまったという次第です。

大きな病気をされていたということは知りませんでした。でも、病気に至るまでの過程で感じていたモノはわかる気がしました。
社会で成功するためには、生活の中で最も時間を割くであろう仕事が好きであれば合理的に生きていけるはずだし、それが社会適合性でしょう、と考えていた時期があります。でも、やっぱり仕事は辛いことが多いし働きたくない・・・のだけど、メディアとかで夢に向かって真っすぐ進んでいる人たちのドキュメンタリーとかを見ると嫉妬するわけですよ。

ああ、自分もこうあるべきはずなのに、どうして仕事が嫌いなんだろう。俺はクズだ。
と。

結果として自分を追い詰めすぎて気を失い、救急車で運ばれたりしたこともあったんですけど、色々な生活の中でそういう自分も自分なんだと認められるようになってきました。
そういうところを何となく自分に重ねて、あまり肩ひじ張らずにこれからも頑張ろうと思えた・・・という薄っぺらい感想で大変恐縮なのですが。

失敗する自分をあまり責めすぎないで生きていきたいですよね。

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