1-4ある1LDKのキッチン (清島元章)

SNSには今日も、バカみたいにはしゃぐ大学生の動画が続く。派手な文字色に、やかましい音楽。プログラムは個々に合わせたおすすめを提示してくると聞いたけれど、僕はこの程度のメディアがまだ身の丈に合っているということなのだろうか?

僕が日々投稿する写真は、こういう一時の興奮だけを切り取った物とは一線を画す、耐年数の高い芸術の域に達してきた。
ミーム化されたトレンドにただ乗っただけでも、周りとは違いキラリと輝く個性を隠しきれない人はいる。ありきたりで注意を惹くことだけが目的になった広告まみれの世の中で、本物を見抜く力をもった人もいる。そういう人に見つけて貰って、そういう人に広めて貰える、僕のアカウントはそうあるべきなのだ。
最近は、トレーニング関連や食べ物だけでなくて、ただ気に入って歩く公園の画像だとか、好きな映画の投稿にも反応が多く来る。ようやく、僕が発信したいのはダイエットだとか食べ物のレシピやら写真だけでなく「ライフスタイル」その物なのだということを多くの人が理解してくれるようになったんだと思っている。ライフスタイルとはいっても、サステナブルを装ったその実消費的な生き方やマーケティングは嫌いだ。自分を求めて旅に出たらいつの間にかここにいた、そういう生き方を大切にしたい。

かつてはポップな路線でキャッチーに行こうかとも思ったけれど、どうやらそれでは本当に自分が目指す自分にはならないし、価値観を交流したい人たちと交わることは遠くなってしまう。自分が飽きたくらいが世間には丁度良い。最近は強くそう思うようになった。

それでも過去の写真は消さないようにしている。間違いなく自分が辿ったプロセスではあるし、他の誰かが自分と同じプロセスを踏むことによって救われることもあるかもしれないから。たかが4年、されど4年。ここまでが長かった。手放すのが怖いと思うこともあるけれど、さらに何かを手放して、さらに自由になるフェーズに入っている。去年もそうだったけれど、今年が一番の頑張りどきだ。そろそろ、僕のライフスタイルに全面的に賛同してくれる女性が自然に現れて、仕事を通して仲良くなることも増えるかもしれない。……機会があってお互いがそういう気持ちになれば、そういうことになっても良い。

思えば、料理の投稿を始めた時は、ただただ血迷っていた。美味しい食事が作れればカッコ良いんじゃないか、モテるんじゃないか、オシャレだと思って貰えるんじゃないか、誰か女の子を家に呼べるんじゃないか、と。でも実際はそんなことはなかった。女性は内心「そういう人がいればいいなぁ」と思いながらも、結局は面白かったり、面白そうだったり、見た目が良い男の元へ行ったり、「そういうのはたまに行くからいいんだよ」と思ってもいないことを口から並べて、結局どうでもいい素敵でもない日常を過ごしている。
僕みたいな人間と付き合えば、ロマンと美しさの中で「現実的な」生活を送ることができるのにも関わらず、だ。
結局、型にハマらないと不安になってしまうのが人間だ。工業化された製品に囲まれて「これが当たり前」と言いながら、普通以上の特別に異常なまでに憧れる。…牛丼屋の中にいる美人が、それを物語っている。ハンバーガーチェーンも然り。こういう、自分の輝きに気づいていない人達に、「あなたにはそのコモディティ化された空間は似合わない」と伝えて輝きの輪を広げていくのが、僕の使命だ。これは流行りに便乗した一過性のものではなくて、持続可能な僕のライフスタイル。「本物」を突き詰めると、結局は一周回ってこんなオーセンティックで捻りのない、一見コモディティ化された「あなたは特別」というメッセージに行き着いてしまう。他に表現はないものか。僕もまだまだ修行が足りないな。

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