1−10ある家賃9万2千円のデザイナーズマンション (笹北駿介)
「意見の擦り合わせもそうだけど、結局は定期的に下半身を擦り合わせているかでカップルの仲の良さは変わる。生物として惹かれるまま、自然の流れに身を任せるのが一番」
「そもそも生き物として自然じゃない理由で結婚相手とか交際相手を選んでしまうと、意見の擦り合わせの重要性も異常に増すんじゃないかと思う。」
「だってさ、中学生か高校生の初恋の時ってあんまり意見の擦り合わせとか起きなくなかった?本能で好き〜〜!!って感じで。まあ私は当時彼氏いなかったし、ここ4年デートすらしてないから知らんけど」
今日の「うめ日記」の自虐とブラックジョークはいつもに増してキレがある。あれこれ考えずに書いたやつだと思う。多分。
「人間は自然に生きるのが一番」という一言を見て、「俺と別れる」という道を自然に(なんの迷いもなく)選んだ昔の彼女のことを思い出してしまった。
彼女は過剰な筋肉トレーニングを嫌っていた。「それは美しいって言わないよ」と、近代的なルッキズムや、何者かにならなければいけないという社会的圧力をいつも全力で否定していた。じゃあなにが彼女にとって美しいと感じるものだったのかは、結局聞けないまま別れてしまった。聞いたところで、それは「それは心で感じるもの」なんて言われて,結局わからなかっただろうけど。
彼女の否定した,彼女には合わなかったすべてを突き詰めて、僕はようやく大人になった。あの頃とは大きく変わった……ように思う。そうなれたのだと思いたい。
どれだけ周りに重宝されたとしても、「もうそういうのはやらない」とちゃんと言えることが、次の自分の成長につながることもある。仕事では息をするようにできることでも、人間関係では難しかったりする。もうそのワガママは聞けない。聞かない。今度そんなことを言われたら君のことを嫌いになってしまう。もうやめてほしい。自分にはできない。そんな言葉を口にするのが、 僕にはたまらなく難しい。
……大学生の頃は、誰かと何かを擦り合わせることなんてしてこなかった。一方的に願いを叶えるか、叶えてほしいと甘えるだけ。どちらかというと前者の方が多かった。今は、多くの人が自分に条件を提示してくる。「申し訳ないですが」と断ることのほうが多い。ストレスで無性に牛丼が食べたくなって、夜中に胃を痛めていた頃が懐かしい。自分を労ることも、躾けることもできていなかった。今もその欲求はゼロではないけれど、99までなら抑えられるようになった気がする。
これが異性に対してだったら、自分はいま同じことを言えるくらいに成長したんだろうか。据膳食わぬは男の恥、と、今も浮かれてしまうんだろうな。50%程度の誘惑にも勝てる気がしない。
…いま牛丼を食べたら、美味しいと感じるんだろうか。そういえば、どれだけ健康に作れるとしても牛丼のレシピは考えようと思ったこともない。1食くらい、久しぶりに牛丼を食べてもいいんじゃないか?どうせ、一人なんだし。
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