馬に水を飲ませる方法

イギリスのことわざで「馬を水辺に連れては行けても、水は飲ませられない(You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.)」というのがあります。

コーチングで良く引用されますが、その通りだなと。僕ら指導者の役割は馬に水を飲ませる事ではなく、馬が水を飲める環境を作ってあげる事なのでしょう。理想は。

でも馬が何を欲しいのかを見定めるのに手を抜いたらいけません。もしかしたら食事をしたいのかもしれないし、馬小屋でゆっくり休みたいのかもしれない。それなのに水辺に連れて行かれたって、そりゃ水飲みません。欲してないのだから。だから指導者は選手に今必要なのは何なのか、求めてるものは何かを見抜き、そこに連れて行くための手立てを持っている必要があります。十人十色の選手たちの全てを満たしてあげる事は中々難しいのかもしれません。でも満たしてあげようとする事、それが一番重要なのかなとも思います。

ここまでは良く言われますね。いや、でも本当にそうなのか、と。無理矢理にでも水を飲ませなきゃいけない事もあるんじゃないかなと。そう思います。例えば水が嫌いな馬がいたとしましょう。でも水を飲まなければ死んでしまう。そうなった時に、悠長に「水飲まねえなあ、こいつ」なんて思ってる暇はありません。無理にでも飲ませなければ、後で困るのですから。でも水を飲ませようと無理矢理首引っ張って殺しちゃうのは本末転倒ですけどね。

閑話休題。最近は「教えない」指導がちょっとした話題になりましたね。本当に「ちょっとした」ですが。「教えない」って何なんでしょう。「考えさせる」って何なんでしょう。

大前提として、知ってるのに教えない事は先人への冒涜だと思っています。知識の積み上げがそこで止まるからです。じゃあどこまで教えるのか。どこから考えさせるのかというのが次のステップになります。

結論として、僕は知っていることの100教えればいいと思っています。その上で考えさせる。これは僕が全てのインプット活動に共通して抱いてる感情が原因ですが、皆さんはインプットって何のためにやっていますかね。読書や動画の視聴、どこかに行って何かの経験を積むことでもいいかもしれません。僕はインプット活動を「それ自体を覚える事」より「自分が何を考えたか」が重要だと捉えています。本を読んだり映画を見たり、そこで学ぶことが沢山あるでしょう。でもそこで学んだことの大半には、自分の思考(考えた足跡)がリンクしているはずで、それ以外のものはそう多くは無いんじゃないでしょうか。少なくとも、僕の感覚はそうです。

更に本や映画を例に考えてみましょう。ストーリーや伝えたい内容を語らない本や映画なんてありますでしょうか。いや、無いと思います。僕らはそれらの作品から何かを感じ取って、何かを学びます。指導もそれと同じだと思います。僕らが語ったことから選手は考えて、学ぶんです。だから語らない(教えない)なんて、あり得ないと思います。

次は伝える量にフォーカスしてみましょう。10の情報量と100の情報量、どちらが考える「幅」が広いのかは言わずともわかると思います。ただ、最初から100教えていいのかというと、そうではないかもしれません。僕らの目的は教える事ではなく、覚えてもらう事だからです。そこにはちょっとした工夫が必要で、その1つが「思考をリンクさせる(考えさせる)」です。映画や本の例で出したように、自分の思考を通したものって忘れにくいんですよね。(ちなみに、このような記憶を「エピソード記憶」と言ったりします。反対に、暗記的に覚える記憶は「意味記憶」です)

このように思考を介して覚えさせる手法をとった際には、100教えるより、10教えた方がいいかもしれません。なぜなら、考えられる「深さ」が増えるからです。ただ、ここで注意しなくてはいけないのが、考えた結果、選手が到達したのが100とは限らないという事です。もしかしたら80かもしれないし、20かもしれません。そのため、最終的には指導者の知る100を教える必要があるということになります。でも、タイミングが重要ですね。

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本文に入れるとまとまらなそうだったので、2つほど付け足しを。1つは、考える「幅」と「深さ」です。我ながら良い表現だと思ったのですが、何となく理解してくれましたでしょうか。「幅」は、ある事象1つを指すのに対して、「深さ」はそこから枝分かれしたものを含んでいるイメージです。例えば「パス」について教えるとしましょう。指導者が教えられるパスのコツが100あるとしたら、それがそのまま「幅」になります。一方、指導者が10のコツを教えたとして、選手が「これはシュートにも活かせるな」と感じたものが「深さ」になります。試合と同じで「幅と深さ」大事です。

2つ目が「ストーリーや伝えたい内容を語らない本や映画なんてありますでしょうか。いや、無いと思います。」についてです。引っかかった人も多いんじゃないかなと思っています。例えばクリストファー・ノーランとか、エヴァとかね。でもあれって、伝えたい内容を語ってないんじゃなくて「ボカしてる」だけだと僕は捉えています。この「ボカす」という作業は、考えさせるための工夫として有効だと思います。あえて正解は語らず、選手には余白を考えさせる。小説で例えると、「行間を読む」でしょうか。そうする事で、考える「深さ」が出てきます。まあ「幅」が出てこないんで、最終的に100教える必要があるのに変わりはないのですが。

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