2002年6月8日

県立カシマサッカースタジアムで開催された2002年ワールドカップも、6月8日のイタリア代表 vs クロアチア代表が最終戦。

あっという間の7日間でした。

https://www.fifa.com/tournaments/mens/worldcup/2002korea-japan/match-center/43950025

イタリア代表は、大会直前に鹿島アントラーズと国立競技場で調整試合をおこないました。

何故、鹿島アントラーズと対戦する事になったかというと、2001年に開催されたワールドカップのプレ大会だったコンフェデレーションズカップで、カシマを担当したFIFAから派遣された会場責任者がイタリア人で、彼が代表のマッチメイクなどにも携わっていて、彼から打診を受けて決まりました。

ただ、2001年11月にイタリア代表が大会のシミュレーションを兼ねて来日した際の試合で、移動の際に警察が先導しなかった(日本では警察の先導は、通常の国際親善試合ではおこなわれておりません)とか、この試合がこれら落としだった埼玉スタジアム2002のピッチコンディションが悪いなど、対応でいろいろとトラブルが発生した事に腹を立てて、移動情報などを事前に組織委員会へ一切教えてくれませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=T8I1ljsCbyo

そのトラブルのあった試合では、ヤナギ(柳沢敦)がゴールを挙げていますね。(笑)

イタリア代表は、公式練習時間やミーティングなど、FIFAから時間が伝えられている公式スケジュールには、しっかりと参加しました。

仕事をする側からすると、かなり苦労しました。

それでは、チーム情報をどうやって収集したかというと、我々の運営スタッフの中にイタリア語が話せるスタッフを招き入れていたので、そのスタッフからチームより早くスタジアム入りするイタリア代表の用具担当スタッフから、いろいろと情報を聞き出しました。

彼らが知らない訳はありませんからね。

一方のクロアチア代表は、組み合わせ抽選会の後に来日しましたが、まずはベースキャンプ地の視察をおこなってから、カシマにやって来ると連絡がありました。

彼らを羽田空港で出迎えて、車で移動しました。

移動中に、クロアチア代表の関係者と、カシマスタジアムや宿泊予定のホテル情報を伝えながら、鹿島アントラーズが1993年にクロアチア代表と、イタリアのウディネで試合をした事を伝えたら、クロアチア代表の関係者の一人が...

「え!...私もあの試合では、代表チームに同行していた」

私もビックリしました。

同行されていたと言ったのは、クロアチアサッカー協会の事務局長でした。

当時は、クロアチアが独立してまもなくだったので、代表チームとして試合をおこないたくて、試合のオファーを受けたと言っていました。

鹿島アントラーズにとっても、あのイタリアキャンプでのクロアチア代表戦で、世界のレベルを教えてくれたことで、チームが大きく変わるきっかけとなった試合でした。

縁とは不思議なものですね。

そんな事で、クロアチア代表の関係者は、気持ちが和んで、とても良い関係を築くことができました。

蛇足ですが、クロアチア代表の関係者のセキュリティ担当者の方は、当時日本でも人気の高かったミルコ・クロコップの友人でした。(笑)

試合当日、イタリア代表はいろいろと驚かせてくれました。

宿泊ホテルから、試合備品を運搬する時に...バスタオル200枚!

チームは、選手やスタッフを入れても、50人程度しか居ないのに...「一体、何に使うのかなぁ?」と思っていたら、到着してしばらくしたらわかりました。

用具担当のスタッフが、バスタオルを更衣室に敷き始めました。

ポイントのスパイクを履いている選手が、滑らないようにする為の配慮でした。

ただカシマスタジアムは、そのことを配慮して、改修工事の際に床については、パンチカーペットを敷いてもらうようにしていたので、使わなかったバスタオルが、山のように隅に積まれていました。

試合中に、イタリア代表が契約しているスポーツドリンクのペットボトルを、そのままピッチへ持ち込もうとしたスタッフが居ましたが、FIFAのマーケティング担当者がすぐに飛んできて、「ラベルを剥がせ!」と忠告していました。

フィールド(ピッチ+ベンチやウォーミングアップエリアなど、観客が見たりやテレビカメラが映し出せる場所)に関しては、FIFAが契約しているスポンサー以外の広告を持ち込むことは禁止となっています。

これを守らないと、即座に罰金を課せられます。

それにユニフォームサプライヤーのエンブレムやGKグローブのロゴサイズも、サイズ規定が大会レギュレーションで定められています。

試合前日のミーティング時には、それを測るスケールも用意されています。

試合自体は、イタリア代表がヴィエリ選手のゴールで先制しましたが、オリッチ選手が同点ゴールを決めて、中田英寿選手のペルージャでのチームメイトだった日本でも知名度があったラパイッチ選手が決勝ゴールを決めて、クロアチア代表が2-1で勝利しました。

確かオリッチ選手が同点ゴールを決めた際に、ユニフォームを脱いで振り回したら、当時のNIKEのユニフォームが二枚構造(通常のユニフォームの下にメッシュのタンクトップみたいなシャツが付いていました)だったこともあって、腕に絡んでしまって、下のシャツをスタッフに切ってもらって、ユニフォームを着直しました。

https://www.youtube.com/watch?v=QliHrHZa4BM

試合後イタリア代表は、カシマからベースキャンプ地の仙台に戻るために、選手バスを2台用意していました。

後日談ですが、最初でも触れましたが、イタリア代表の予定が知らされていない事もあって、仙台へ戻る高速道路を使用中に、突然サービスエリアに立ち寄ったりして、ワールドカップ期間中は先導していた警察の方々も大変だったようです。

サービスエリアでも、いきなりイタリア代表の選手達が現れたからビックリしていたようです。

あと例のホテルから借りたバスタオル200枚を、「返却して欲しい」と言われたので、翌日ホテルまで運びました。(笑)

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