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Solo Travel to Britain


はじめに

 「英国にいきたいなぁ」と初めて思ったのはいつだったのか。ラップトップ画面の試合に向かってガッツポーズをしたときか、バイト終わりの信号に引っ掛かったときか、予備校の自習室の卓上等を消したときか。いつかなのかはっきりと覚えていないが、少なくとも英国に発つ前はB&Bの天井にすら憧憬の眼差しを向けていたことを記憶している。そんな僕が、英国に行ったのが2023年2月のこと、これを執筆しているのが2023年12月。多いに忘れていることはあるし、記憶違いになっているものも数多にあるのだが、帰国直後にこうやって回想する機会を作ってしまうと、この旅行が自分の中の歴史になり過去になって、口惜しいと感じたから、ずるずると執筆の機会を伸ばしてしまった。だからせめて、今の記憶を今年にうちに置いていこうと思う。 誰の参考にもならない旅行記を、何者でもない僕が書くことに意味や価値はない。だからこそ、自由に書けていいとも思う。フットボールの情熱に突き動かされた、21歳小生の寄り道を冗長に記していく。

1.旅のはじまり

ラブ・アクチュアリーのあのシーン??

 飛行機が羽田発、クアラルンプール経由・ヒースロー着だった。サービスなのかよく分からないけど、飛行機がロンドン上空を通って、西部のヒースローまで着陸する経路を辿ったから、テムズ川とロンドン橋を一目見てイギリスモードを奮い起こしてくれて、めっちゃGOOD!ヒースローで買ったSIMカードを僕のスマホが受け付けなくて、ロンドン・チューブのWi-Fiを頼りに、必死でチャットオペレーターに英語でがんばった記憶がある。とりあえず、パディントン駅について、そこで悪戦苦闘して、キングズ・クロス駅まで40分ぐらい歩いたの覚えてる。メリルボーン・ストリートと、マダム・タッソー館、ベイカー街221Bが道中にあったな。
 セントパンクラス駅から、レスターに向けて、初めてイギリスの鉄道に乗ったんだけど、予約席は頭上のライトの点滅の有無で分かる仕組みが面白かった。後々、エディンバラからの鉄道で大いに後悔することとなる…。もう、20時間近く寝てなかったから、ウトウトしつつレスターまでの1時間を過ごしていたんだけど、隣にいたインド系ご夫婦と6歳ぐらいの子どもの家族3人と、元からの知り合いだった別の家族の20代のお姉さんが「JUJUTSU!!」って言っていたのには驚いた。日本人で比較的に漫画を読む文化にある僕が手を出していない話題作を、遠く10000万キロ以上はなれた国で楽しまれていることが僕にとっては衝撃だった。日本のコンテンツは捨てたもんじゃねぇ。。

ハリーポッターでも有名なキングズ・クロス駅
国内線がキングズ・クロス駅から、
有名なユーロスターを含めた国際線が
真隣のセント・パンクラス駅から出発するらしい
でもなぜか、レスターへはセント・パンクラス駅から出発

 このイギリスの鉄道の仕組み。旧国鉄が民営化したのは日本の先を行く、いわゆる新自由主義の改革の話である。そのため、各エリアごとに旧国鉄会社があり大きな駅ではそれらの鉄道会社が混然と存在している。そして、そんな英国鉄道では学生向けと大人向けに乗り放題券を販売している。イングランド国内のみやブリテン島すべてを網羅するもの、1等車と2等車の両方乗れるものや2等車だけの切符が選べる。私はこれを使ったから、かなり安く英国をまわることが出来た。
 レスターによる21時ぐらいに到着。これは日本時間朝の6時なんだよね。その日はもうぶっ倒れるようにおやすみなさい。

2.レスター

 レスター(leicester)はブリテン島のイングランド領の中央部に位置する。地区としてはイーストミッドランズに属する自治体で、レスターシャーの中に自治都市レスターが存在する。その西部には普通電車で約1時間の距離に、英国第2の都市であるバーミンガムが存在。ちなみに、街のマスコットは狐。

 レスターの歴史を語る上で重要なのが、インド帝国だと思う。イギリスが植民地支配したインドから多くの移民を受け入れた。故に街にはかなりレベルの高いインド料理屋が並ぶストリートもある。街中心の公園には、クリケット用のネットが設置されていて、若者たちがスティックをもって遊んでいたことからも、インドを感じた。

 加えて、レスター大学を中心とする学術都市の一面を持つ。特に、2012年にレスター市の公共施設の駐車場から、シェイクスピアの戯曲「冷酷王」の主人公として高名な、リチャード3世の遺骨が発掘され、レスターとレスター大学の名は大きく知れ渡った。
 そんなレスターの名を冠すfootball clubこそ、我が”Leicester City Football Club”(通称:Foxes)である。青をベースにしたユニフォームを着用することで知られ、オーナーがタイ人に変わったここ10年ぐらいは、実力のあるチームとして名を馳せた。そしてレスター・シティをさらに有名にしたのが2015-16シーズンの選手たち。このシーズン、レスターは他の強豪・古豪ですら成し遂げていない、イングランド1部・プレミアリーグで優勝したのである。日本人には岡崎慎司がスタメンとして頑張ったことで、記憶に残っている人も多いから嬉しい。もちろん、僕もそのシーズンの快進撃にゾッコンした。優勝オッズ5001倍とか言う、「奇跡」を成し遂げた彼らは、「Miracle Leicester」として知られる。
 ちなみに、5001倍というオッズは、ネッシーの生存確率(501倍)やエルビス・プレスリーの存命確立(2001倍)よりも低い(笑)。「六太のMが
MiracleのM」なら、「レスターのLはLottelyのL」に間違いないな。

vsトッテナム・ホットスパー戦(11/February /2023)

 街の中心には時計塔があり、そこから円状にレスターの街は広がっている。レスターにはラグビーチームもあって、フィルバートウェイにあるキングパワーの途中にあったな。ivisレスターに2泊したが、こじんまりしつつ、地方都市としての存在感はある街。個人的にはかなり住み心地が良いなぁと感じた地域でした。SIMカードの設定、手伝ってくれたThreeのお姉さんありがとう!!

3.ラグビー

 ここで急に楕円形を使うスポーツを説明したいわけじゃない。もちろん、そのスポーツはこの街である少年が大暴れしたことに由来して競技として完成されることとなる。

 イギリス最高峰のパブリックスクール、ラグビー校。のどかな田舎町の中心に位置する学校は、広いし優雅だし歴史の息吹をとても感じる場所。たぶん高級住宅地なんだと思う。レンジローバーや、アストンマーティンなどの高級車が路駐してある由緒ある街に思えた。鉄道の駅が、とっても低い位置にあってこの学校までかなり登ったことを記憶している。途中で、日本のバイト先のおじさんとなぜかテレビ電話をしたことを記憶している。日本の人と英国で、ビデオ通話が出来るこの時代に少し感動した。ちなみにお昼ご飯がこれ。

 ポテトチップスを飯として食うのは如何なものかと思うし、対面に黒人のお母さんと子ども二人連れが座っていたんだけど、お母さんが何も食べずに見守ってたのに心が痛くなったなぁと。トイレを空くの待ってたら、そのトイレ誰もいないよって、俺が10分待ってから店員のお兄ちゃん教えてくれたの、今考えても腹立つな。英語に自信がなくて、レストラン入るのドキドキしてて、空腹に耐えられず英国で初めて入ったレストランがサンドイッチ…。あぁ、悲しき我が人生。

4.バーミンガム

 最初の地図にもあった、英国第二の都市バーミンガム。通称ボーリンガム。何もないことで有名だが、個人的には綺麗な運河があってちょっと好きな街。駅舎も、高架になっていて、うっとぐらいんだけど、整備された街感があった。

 ね、悪くないでしょ?
 ちょっと前に財政破綻したらしい。(2023年12月現在)たしかに、街のゴミとか、言われてみればちょっとどことないスラム感はあった気もしてる。なんとなく感じたのは、映画「8 mile」で見たデトロイト。でも、綺麗な市庁舎をしてたし、そんなに悪くない街だと思ってる。

 市の中心街を歩いていた時に、黒人の18歳ぐらいのお兄ちゃんと、10歳ぐらいの弟が万引きをして、店員から追いかけられているときに、それはそれは生き生きとした表情をしていたことを覚えている。その通りに、無印良品の英国店があったことを今思い出した。レスターから次の目的地までにちょっとだけ寄った街だから、そんなに長居は出来なかった。また行きたいなぁってちょっとだけ思う。「リバプールに生きたいんだけど、どの電車乗ればええですの?」って聞いたら、優しく教えてくれたおじいさんありがとう。

5.リバプール

 リバプールと聞いて思い出すことは何でしょうか?
 サッカー好きならジェラード、モー・サラー、南野拓実、あるいは遠藤航でしょう。世界史をかじったことのある人なら、大英帝国を支えた貿易港のある街として認識するかも。でもそうじゃないでしょ!!映画「Yesterday」でも、こうやってリバプールを小バカに紹介するシーンがあるんだけど、めっちゃ好きなんだよなぁ。

statue of The Beatles

 どう考えても、「The Beatles」!!
 本人より1.5倍ぐらいの大きさかなぁ。港町として栄えたリバプール出身の神々。彼らはリバプールの街沿いを流れるマージ―サイド川に向かって、「歩いて」ます。
 リバプールはめっちゃ港町で、”大”横浜なんて思ってるけど、有名なドッグもあっていい雰囲気。特に、日本の普通の街にはカラスがいるけど、そのイメージでカモメが飛んでいるのがとっても魅力的。
 夜にはビートルズが売れる前に、ライブを行っていたというキャバーンクラブに行きました。

 クラブは5ポンドの入場料が必要だったかな。中ではビートルズのカバーをやっていて、様々な人種の老若男女が楽しんでいる感じ。店内には、ビートルズだけでなく各国のスーパーミューセレブリティが訪れた際の記念品が残されており、QUEEN、BGTのAnt&Dec、Adel、そして僕の兄貴Oasisまで。
 ビール頼んだ時に、お金を手渡しせずにカウンターに投げつけたみたいになってゴメンなさい。そんなつもりじゃなかったんです。あと、怪しげなおばさんに「日本人なの?」って聞かれて、そうだよって言うと角の席まで連れていかれたんだよね。僕自身が酔っていたからなにかなぁと思っていると、ラテン系のおじさんが日本語で「ごめんなさいね」と。その方、上智大学でスペイン語を教えている人なんだって。姉貴がリバプールで働いていて、日本での大学の仕事がない時期に遊びに来てたんだって。インスタだけ交換して、日本でご飯でも行こ!っていたけどそれ以降は連絡とってないです(笑)機会があったら誘いたいけど、覚えてくれているといいなぁ。もうすでに僕と同じぐらいの日本人も捕まっていたのには笑った。あと、銅像の前で自撮りしようともじもじしてたら「撮りましょうか?」って日本語が…。こちらは30前半ぐらいのお兄さんで、親切な方だった。ちょっと話すと、ブリットロックが好きな方で聖地巡りしてるんだって。「明日はロンドン!」って言ってたけど、アビーロードにでも行くのだろうか?旅先の英語漬けの中に聞く母国語がめちゃくちゃ染みた。このクラブ日本人めっちゃ多い気がする。
 帰り道、黒人のお兄ちゃんにビビらされたのめっちゃ怖くて、弟が後ろで高笑いしてたのめっちゃムカついたし、そんな自分に恥ずかしくなったけど、あれまだ夜の22時とかだったよな。

 そしてリバプールは大聖堂があることでも有名。

 ヨーロッパ有数の大きさを誇る、イギリス国教会のこの大聖堂は1978年にできたものらしい。入り口で困ってた、赤ちゃんのベビーカーを運ぶ手助けしたけど、外国人ナチュラル「Thank you」を美しいなと思った。
 あと、その日の朝飯が念願のこれ。

 その名も、「British Breakfast」。労働者が一日の過酷な労働に耐えるために用意された、モノでこれはEnglishに分類されるはず。一応各英国内のエリアごとにIlishだったり、Scottishがあるらしいが大きな違いは分かっていない。
 ポーチドエッグ、ハーブ入りソーセージ、ベーコン、シイタケを煮たやつ、ポテト、めっちゃ薄いトースト、トマト大豆スープ、トマト温めたやつ、血入りソーセージ(ブラッディプディング)かな。小太りのいかにもブリティッシュなおねーちゃんが、おすすめしてくれた紅茶が良かった。

 さて街紹介はこれぐらいにして、サッカーの話をしましょうか。
 リバプールには2チーム、有名なチームがありまして、ひとつ目がその名の通りの「Liverpool FC」、もうひとつが、「Everton FC」。前者はイギリスを代表するメガクラブで、欧州での優勝経験やバロンドール受賞者も輩出するクラブ。それに比べると後者は、実績や歴史面で前者に見劣りする感じは否めませんねぇ。その両クラブのマッチアップは、世界でも有数のダービーマッチとして認識されており、通称「マージ―サイド・ダービー」。そんな両者についてもうちょっと知ってもらおうかな。

リバプールの本拠地アンフィールド

 リバプール市の誇り、リバプールFC。欧州王者に幾度と輝き、近年ではユルゲン・クロップ監督就任以降、国内リーグ戦をプレミアリーグ創設以降初めて獲得するなど、大いに実力を有するクラブ。KOPと呼ばれる熱狂的なファンがどんな試合でも、このスタジアムを埋める。「You'll never walk alone」は、世界中のクラブが歌う歌になったが、とはいってもこのスタジアムで響くあの歌が最も「anthem」だと思う。

to Chelsea supporter, "We call it the HISTORY"

 そんな「赤い方」だけが、リバプールのチームではない。近年は低迷し、昨シーズンは最終節までレスターと残留争いを演じたことで、弱いチームというイメージが定着しつでつあるが、絶対にプレミアに居るクラブが「青い方」、エバートンだと思う。

エバートンの本拠地グディソンパーク

 エバートンとリバプールは、日本人には想像がつかないレベルのライバル関係が存在するにもかかわらず、両チームのホームスタジアム間は徒歩20分ぐらい。大きな公園を横断したら、「アンフィールド」と「グディソンパーク」が行き来できる。エバートンは訪れたスタジアムの中でも、特に市街地の中に位置するオンボロスタジアムで、スタジアムの壁画には、エバートンのスタープレイヤーが写真付きで紹介されている。

若き日のルーニー
香川真司との共演で知られる、史上最もユーティリティなイングランド人選手

 両スタジアムとも、市街地からは比較的遠く離れた場所に位置している。公共交通機関というよりは車で観戦することがメジャーな英国ファンにとってさほど問題ではないかもしれないが、タクシーの料金にビビり、バスの乗り方がイマイチ分からない僕には徒歩という選択肢を選ばざるを得なかった。どうやら鉄道で行けるかもしれないとGoogleは教えてくれたのだが、その駅へ行くと乗り放題は使えないとのこと。早口英語でまくしたてられるのがしんどかったからあきらめたのはここだけの話。

おかげで、リバプール市内を一望できる綺麗な公園に出会うことが出来た。

 あとは、電線に靴が乗ってあるのは今振り返ってもよく分からない。
 受験生の時に、試験時間に余裕をもってバスに乗ったはずなのに渋滞でバスが間に合わないことにビビった経験から、比較的歩くことが好きだし、そうする機会を多く取っているけど、リバプールの街を歩けた(この場合の歩くは、roamが相応しい気がする)ことはよい経験。
 リバプールには3泊したが、人生で初めて民泊形式の宿に泊まった。もうこれが最悪…。民家の一室を、デジタルキーを使って開けて、借りる形式なんだけど、この部屋の枕が凄く匂うの。もちろん悪い方で。僕もおっさんだから、臭い枕の生産者という自覚はとてもあるんだけど、それにしても臭くて臭くて、シャワーに使ったバスタオルの予備一枚を枕の上に敷いて寝たな。

地獄のような黄色い枕

 なるべく服は着まわそうと思っていたから、下着類は細かく洗濯をしようと画策したこの旅。この民泊には洗濯機もついていて、使わせてもらった。日本に住んでいると、当然のように外で洗濯物が乾くが、英国の雨は降らないのに、晴れることが無い天気では無理だと思う。そりゃ各家に乾燥機が完備されるはずだわ。
 最終日の夜は、宿近くのパブでマージ―サイドダービーを観戦。エバートンファンとKOPが入り混じるカオスな状況と、友達についてきた陰キャ兄ちゃんが前半で飽きて帰ったこと、ちょうどバレンタインデーなのに一人でフットボールを見ていた自分に嫌気がさした。総じていい街、リバプール。リバプール大学も熱気のある大学生であふれていた。

中心駅、リバプール・ライムストリート駅
英国の監視カメラの多さを感じて欲しい

6.マンチェスター

 「マジでなんもない。フットボール以外は何もない。。」
 これで間違いないのが、マンチェスターという街。リバプールを朝早く出て、マンチェスターのサッシャホテルを取ったが、聞いていた通り、柄の悪さが前面に出る街。やっぱり労働者特有の”ラッズ”感は街の雰囲気から否応にも感じてしまう。なんとなく、貧困層や移民層が多く、信号を守らない英国の気質が特に前面に押し出されていた気がする。

シングルの値段でダブルベットとシングルベットひとつずつの部屋

 そんなマンチェスターの街。もちろん、フットボールが見逃せない。マンチェスターでフットボールと言えば、水色と赤色が浮かぶが、その前にここも紹介したい。それが、「National Football Museum」

 イギリスのフットボールの歴史を主に展示していて、ユニフォームやボールなどにテーマに沿った展示を紹介。フットボールの歴史を概説してくれるし、有名選手のサイン入りのユニフォームがあった。これ、デートとか新婚旅行では絶対にいけないなぁ。
 んで昼飯はここ。

 あー、おっしゃれ~。。これはさっきのフットボール博物館からほど近い、モールの中にあったイタリアン。実はこの時期、ある旅行系YouTuberを狂ったように視聴していて、そのストリーマーがここを訪れていたから行ってみた。前菜にとして、よく分かんない野菜を揚げたものをサワークリームorレモンで頂いた後、ピザ。イタリアンと中華は世界中にあって、一定程度のクオリティを出してくれるから凄い安心できる。この旅行中には、セインズベリーのランチセットと同じぐらいイタリアンにはお世話になった。
 そして夜はまたまたパブへ行って、この日の夜に行われたマンチェスター・シティとアーセナルのこの時点での天王山を観た。22-23シーズンはアーセナルが開幕から好調を維持し、リバプールがコケたから、シティが一人追う状態となっていた。そしてシーズン後半戦に差し掛かり、アーセナルが怪我人に苦しめられると、シティとの勝ち点差が2になったときに迎えた試合である。

マンチェスターの地下のパブ
ところどころに、アーセナルファンの兵の姿も…

 結果は3-1で「地元」アウェー、マンチェスター・シティが完勝。特に日本人としては富安選手を応援していたが、彼のGKへのバックパスミスから失点につながったことが残念だった。点を決めたときの「Yeaaaaaah!!」の唸り声が凄かったことを覚えている。何も食べずに寝ました。久しぶりに湯船があるホテルだったので浸かったこと、部屋に洗顔料がなかったのでALDIっていう格安スーパーでモイスチャーの文字だけ読み取って薬品を顔に塗りたくった夜。まぁこれも旅の醍醐味ということで、日本に持ち帰って使い込みました。
 そして翌日、この旅行でふたつ目のビッグ6のスタジアムに行くことになります。

サー・ボビーチャールトンは先日亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。

 ”Glory, Glory, Man United!
Glory, Glory, Man United!
Glory, Glory, Man United!
As the Reds go marching On On On!! ”

(anthem of MUFC)

 現在の体たらくからは考えられない、「憎たらしいほど強い」のがサー・アレックスファーガソンが率いたマンチェスター・ユナイテッドFC。オーソドックスな4-4-2のファーメーションで在りながら、育成出身選手と、良い若手を発掘し世界的スターに成長させることで、世界で最もファンの多いチームとなった「赤い悪魔」。その本拠地がここオールド・トラッフォードである。試合最終盤まで続く集中力で、試合を幾度となくひっくり返し、逆転勝利する展開が見られたこのスタジアムは、通称「TheTheatre of Dreams」。名付け親はイングランド人初のバロンドール受賞者であるサー・ボビーチャールトンである。

有名なシーンが壁画としてスタジアム周縁に展示
お気に入りは、この”ファギーズフレッジリングス”
カントナの例のアシスト、トレブル・スールシャールのゴールの写真もあった

 試合を見ることは出来なかったが、どうしても世界一のスタジアムを観たかったため、スタジアムツアーに参加することにした。

気分はモウリーニョ(笑)

 各々にデバイスが渡されて、各言語に設定ができ、いちアミューズメント施設として出来上がっているスタジアムツアー。選手のロッカールームに入ることが出来たほか、ピッチサイドにまで行け、さらにはサイドのベンチまで座ることが出来る満足感のあるツアー内容。

このふた月前、CR7が衝撃的な退団をした
同じツアーには韓国人男子も
ソンフンミンよりもパクチソン推しなのかな?

 これだけの内容に、マンチェスター・ユナイテッド博物館のチケットも付いてくるから充実の内容でした。
 ユナイテッド博物館には、過去に獲得したトロフィーや、歴代のユニフォーム、監督ごとの成績、対戦した相手のフラッグなどが所狭しと陳列されており、ユナサポ垂涎もの。個人的には、出口にあるファギーの名言が良かったなぁ。

史上最高の監督は誰か論争が絶えることは無いと思う
でも、最高の結果を出す監督は彼しかいないんじゃない?
フィオレンティーナ戦で後半83分3-1勝利中でも、
判定を巡って第4審判に食って掛かるのが好き


 この日の夜は、「国民食」を頂きました。

これで普通盛り…

 鱈は英語でcod。コールオブデューティーではないですよ(笑)。これを塩もしくはビネガーで頂くのが、ブリティッシュスタイルの「Fish&Chips 」。栄養が少ない土地と海に囲まれた島国で、労働者に力をつけて働かせるための食事である。めちゃくちゃ腹持ちが良かった。日本みたいにパブだけでなく、あちこちに地元の兄ちゃんが楽しむ個人店とかがあるのが嬉しい。店員のおばちゃんがめちゃくちゃ電話しながら対応してくれた、「外国」スタイルだったことと、途中から仕事に戻って来たもう一人のおばちゃんがフォークとナイフ、食べ方まで教えてくれて、改めて親切とは何かということを考えさせられた。

 そしてマンチェスター3日目には、マンチェスター「市民」のチームのスタジアムを見に行きました。

 このマンチェスター・シティのホームスタジアム「エティハド・スタジアム」も、市内中心部にはなく、僕が使ったホテルから大体30分ぐらい徒歩で移動した先にあります。でっかい駐車場に、これでもかというほど金のかかったスタジアム。スタジアム周辺には、3人のレジェンドとしてコンパニ、ダビド・シルバ、アグエロの銅像が。ちょっと近年過ぎるけど、まぁ確かにシティのレジェンドでギャレス・バリーは相応しくないよなぁと。特にアグエロの94分のゴールは、宿敵から優勝をもぎ取ったからなのか思い入れが深いらしい。

from Balotelli, Agueroooo!!!

 現在のシティの歴史が2010年代以降だとすると、レジェンドのメンツにも理解が出来るんだけど、前日にユナイテッドの歴史を見てきたからね…。マンチェスターの市民に愛されている方のチームは、ここまで変わっていく愛するチームにどのような感情を抱いているのかということが気になる。まぁダイエーがソフトバンクの私物化、ヴィッセルが三木谷の私物化になったこととあまり変わらないか。とにかく、人生最高の朝の散歩になったことは間違いないです。

 そして、マンチェスターに行った者として話さなければならない、永遠の「兄貴」のことについてここで書こうと思う。そもそも、この旅行に行こうと思ったのはフットボール好きが高じてということはその通りである。人生で一度は、愛するチームの試合を観なければならないと思ったこと、フットボールの母国の息吹を感じたかったこと、それはその通りである。でも行こうという踏ん切りを付かせてくれたのは、「Oasis」であり、「Whatever」なのだから。
 ノエルとリアムとその仲間たちを初めて知ったのは、たぶんYouTubeとかなんだと思う。インタビューでユーモアたっぷりに悪態をつきまくる兄弟の、特にノエル・ギャラガーに僕は憧れた。ファッキンと目に入るすべてのものを貶す癖に、歌詞は家族愛や人生愛に満ちていて、全てを抱擁してくれる暖かさがある。
 Whateverには、

  • 何をやるのも、どこへ行くのも、俺は自由

  • 他の人が見ているモノだけ、見てるんじゃないか?・・・いつになったら自分をしっかり持てるんだ。そんなに難しいことじゃねーだろ。

 日本人だし、純ジャパだからニュアンス英語を理解することが出来ないことは仕方ないと思ってる。だけど、この歌詞を作るノエルと、あのリアムの歌声は最強で最高だと思う。自分のanthemを決めろと言われると迷わずこれにする。こんなことを考えていると、いつの間にかホテルで、あっという間にマンチェスターを去る時が来た。

7.エディンバラ

 ロンドンから日立製作所が製造する「AZUMA」を使って東海岸経由で約5時間。西のマンチェスターからウルバーハンプトンなどを通って約3時間の場所にあるのが、スコットランドの首都「Edinburgh」。現地の人の発音的には「エディンバー」みたいに聞こえた。旧市街は街ごとすべて世界遺産に登録されている。

マンチェスター駅で待っている時
ピンクが青になればホームに行って良くて、
緑はもうホームに電車が居るよって意味
奥の茶色が羊だったから撮った記憶のある写真

 実はこの旅行で数少ない、フットボール関係なく寄った街である。バイト先の常連が、「ここは良いぞぉ」って言うから、せっかくなら行くかと思い行ってみた。結論だけ言うと、想像以上に良い。というか、英国内の僕が寄った街でトップクラスに良いのではないだろうか。
 個人的にスコットランドには、そもそも良いイメージしかなかった。大好きなハリーポッターの雰囲気がそのままだと言うし、セルティックは日本人選手を大いに歓迎してくれるし、スコッチウイスキーは魔法の飲料だと思っている。
 エディンバラは、電車の線路を挟んで、南側の旧市街地地区と、北側のモダンな新市街地区に大別できる。観光客はもっぱら南側を巡る。スコットランド国立博物館、エディンバラ城、トマスモア像、オシャレな壁面を有する石畳の道、これらはすべてエディンバラ駅の南側にある。こちら側のちょっと裏路に入れば、歴史の重厚さをまざまざと感じることが出来る小洒落た路地が幾重にも張り巡らされている。僕もご多分に漏れず、南側のエリアに宿を取りたいと思い、温厚なご主人が営むゲストハウスに3泊することにした。

個別バスタブ・朝食付きで、一泊45ポンド。悪くない。。

 初日で一番の思い出は、夕食。昼食を通りがかったお高めハンバーガー屋を選び、入り口近くの変な席に座ることを選んだもんだから、サーバーのお兄ちゃんが全く来ない残念な店を引いてしまった。その対比でディナーが美化されている気もする。だけど、マジで英国イチの店だと思う。

 スコットランドの名物はこのハギス。牛の内臓を細かくしてハーブなどと混ぜ、ハンバーグみたいにつないだ料理で、すりおろした人参とこれとマッシュポテトをデミグラス系のソースで頂く伝統料理である。臭みも少なく、これは旨い。ビールを勧めてくれる一品。加えて、スコッチエッグ。発祥がロンドンらしいから、それをスコットランドで食べるのは、無知の為せる業なのかもしれない。でもこれも旨い。真ん中にゆで卵、周りをひき肉で包んだものを衣で揚げた料理。これもビールが進む。この店のハウスのドラフトビールも非常に美味だったことを記憶している。
 そしてスコッチウイスキー。これまで、ピート臭のするアイラ島のものがスコッチとして旨いと思っていた。しかし、この店の金髪お兄ちゃんが、「僕は飲まないけど、おすすめはこれだよ!」って言ってくれた、バルヴェニーダブルウッド12年。これは死ぬほどうまい酒を聞いた。熟成させる樽を、アメリカからのシェリー樽に入れるらしく、「蜂蜜っぽい」濃厚な甘みを感じることが出来る。もうこれだけで、価値があるお店となった。気を良くしちゃって、お兄ちゃんにチップを乗せたら、
兄ちゃん:「どこから来たの?」
僕:「トーキョーダヨ」
「むかし行ったことあるよ!」
「ドコイッタノ?」
「小さかったから覚えてないけど、桜が綺麗だったことは覚えてる!!遠くから来てくれて、Arigato!」
「オォ、ニホンゴシッテルンダ。ウレシイ」
って、めちゃくちゃ接客明るくなったな。後ろのたぶんハネムーンで来ていた韓国人カップルが、めちゃくちゃ幸せそうに楽しんでて若干の憂鬱さと、将来への憧憬を思い起こされた。

 ほかにもスコットランドで食べたものに、サンデーローストがある。

 英国は全土で国教会という、キリスト教の一派が信仰されている。そのため、月曜日から土曜日まで働いた農民は、日曜日に領主から日頃の労働を労われた。主に昼食が振舞われ、農民たちが日頃食べられないローストした肉、ジャガイモ、ヨークシャープディング、ファルス、ブロッコリーやニンジンといった野菜の付け合わせにグレイビーソースをかけたものが定番。
 めっちゃ旨かったし、全く英語が喋れない僕がコミュニケーションが取れなくても優しく接してくれた店員さん、ありがとう。こんどはもっとスムーズに花窃用に頑張るね。

 そして念願のエディンバラ城。予約をして、チケットをオンラインで買うと入城出来る。よく言われるのは、ハリーポッターのモデルの城として有名。小高い丘の上にあり、城の上からはエディンバラの街並みを一望できる最高のロケーション。タイミングが良ければ、時報として大砲を撃つパフォーマンスが見られると聞いていたが、僕は残念ながら見損ねてしまった。 頂上で靡くスコットランド国旗、軍事用の城としての入り組んだ内部、有名なチャーチルの肖像画など、日本の城と全く違う構造は楽しめると思う。 エディンバラ城は風景画としてよくそのモチーフや題材にされることが多いことも特徴だと思う。記憶の範囲では、神戸で開かれていたスコットランド国立美術館展でみた、遠方にエディンバラ城が描かれる冬のスコットランドを描いた絵が好みだったが、そこに川が描かれていた。その川がどこだったのか、どの角度だったのか、発見できなかったことは心残りだなぁ。 ちなみに、このスコットランド国立美術館も行ってみた。この美術館は赤色の絨毯・内壁が特徴で、宗教画・宮廷画から後期の印象派までを多く展示していたと思う。多くの観光客が居て、賑わっていたのが印象的だが、日本で見た作品が展覧会が終わりスコットランドで実際に飾られている様子が見られたのは、美しかったな。

 ほかにも、スコットランド国立博物館も訪れた。中央のホールが中抜きになっていて、胸像がずらりと並べられ、優雅さと豪華さを感じる建物。建物の様式について何か知識があれば、もっと僕に関心があれば、この建物も面白かったのかな。この博物館、もちろん多くの有名な展覧作品があるが、一番の見どころはクローン羊の「ドリー」だと思う。ドリーちゃんについて、知ってる人も多いと思うがが、亡くなった後ははく製としてこの博物館に飾られている。台座に鎮座させられ、くるくる回させられていたのは、残酷さを感じたと同時に、歴史の生き証人を観た。工業製品の歴史の変遷や、世界各国の民族の文化紹介など、いわゆる普通の博物館の側面もあるが、非常に良かった。

回転中
WWⅡ時にドイツで使われた暗号機エニグマ
ベネディクトカンバーバッチの映画「イミテーションゲーム」でも有名

 せっかくなので、近代的な街並みのエディンバラ駅北部も散策。北側にはまず特徴的な見た目をしているモールが。入り口にホームレスが寝転がっている様は、資本主義を表しているようで気持ち悪さを感じる。このモールに「SuperDry(極度乾燥しなさい)」という服屋があって、気持ち悪い日本語ながら、かなり人気のブランドらしい。モールを抜け、北側を歩く。

ロイヤル・ヨット・ブリタニア

 そして、北端が港。英国王室が各国へ公式訪問する際に使われた船がいまでは観光名所となっている。ここがこの旅の最北地点。緯度は約56度。

 帰り道に、原宿って名前のアイスクリーム屋と、NeoTokyoという名前のタトゥーショップがあったこと、イギリスにも本物のKUMONがあったことが面白かった。

遠方の城、眼下に街並み

 エディンバラは本当にいい街だったことを記憶している。人は優しいし、物価もそこまできつくない。寒いけど雪は降らなかったし、教会の前のバス停に「Jesus is Gay」と書かれていたのも良かった。コナンドイルの母校にも通いたいと思ったし、ウェットタオルを片言英語の中国人にあげていたKFCにも行きたいと思った。
 ここからロンドンに向かうことになる。本来ならばエディンバラ‐ロンドン間は直通で結ばれているはずなのに、エディンバラ-ニューカッスル・アポン・タイン間で信号トラブルがあり、ここをバスで移動。VOLVOのバスで移動したなぁと。ニューカッスルはなんか「北海道」みたいな場所で、近くは農場、ちょっとだけ栄えている都市。ここに世界的なサッカー選手が集まっているとは思えない。ニューカッスルからは普通に電車移動出来ました。ただし、予約したはずの席が、こんな非常事態には予約できないルールに変更になるから、となりで子どもが立っている中自分が座っていた罪悪感と、それを変わろうと行動できなかった自分の弱さが残念でならなく、今も心に残っている。

8.ロンドン

 言わずもがなの世界のメトロポリタン。観光客を引き付け、世界経済の中心に位置する。ヒースロー空港は数年前まで世界で最も利用者の多い空港として存在し、名実ともに世界の中心がこの街である。
 前半2泊と後半5泊は異なるホテルに宿泊した。前半2泊のホテルが最悪。狭いし、出てくる飯も普通の安朝飯。褐色の肌の外国人が窮屈そうにテーブルに、座っていて資本主義だなぁと思った。場所がケンジントン・パークの近くだから仕方なしに取ったけど、もっと早めにロンドンでは予約しよう。

 ロンドンで初めての観光地は、スタンフォード・ブリッジ。ロンドンにあるビッグ6のひとつ、ChelseaFCのホームスタジアムである。チェルシーは場所の名前で、チェルシー地区はテムズ川沿いにある比較的裕福なエリア。

 昨今のシーズンは上手くいかないことの多いこのチーム。でもスタジアム周りは多くの観光客で賑わっていた。とくにスタジアム近くの公式の壁画がアツい。

個人的なチェルシーの推しはジャンフランコ=ゾラ

 上記のプレイヤーだけでなく、幅広いレジェンドが紹介されている。やっぱり観光客も、テリーやランパードの写真を取っていたが、イヴァノビッチなんかも忘れずに展示されているナイスウォール。地下鉄”Tube”の駅からも、スタンフォードブリッジは比較的近いので、かなり訪れやすいスタジアムだと思う。

左からチェルシー、アーセナル、マンUの
胸スポンサーとなった携帯会社が並んでいたもんで…

 次にチェルシーからほど近いバッターシー・パークに寄った。実はこの公園は、One Directionの「One Thing」のMVに使われている。One Direction活動期が中学生にあたり、昼食時の校内放送でよく耳にしたこと、イギリスっぽさを全力で感じられる動画だったことからぜひとも寄りたいと思っていた場所だった。

 そんなバッタシー・パークからさらにテムズ川に沿って歩く。映画好きなら分かる人が居るかもしれないのがこの場所。

Secret Intelligence Service (MI6)
つまり、実際に007の本部としての機能を有する

 特徴的なこの建物は、ダニエルグレイグ主演の映画「007」シリーズでその本部とされた場所。映画内ではテロの被害を受けて、跡形もなくぶっ壊されるが、現実世界ではまだ存在していた(笑)。。

 そしてさらに進んでいくと、ウェストミンスター寺院が見えてくる。2022年に英国史上最長期間の同国を統治したエリザベス女王が亡くなったが、その葬式を取り行ったのがここ。葬儀には市民と並んでベッカムが参列したエピソードが好きなんだが、現在でも多くの献花が為されている。

 そして、そこからすぐにあるのが国会議事堂と時計台である。エリザベス塔という名前に変わったらしいが、通称はBig Benだし、みんなもそう呼んでいるはず。ビックベンの時報を知らせる鐘が日本のいわゆる授業のチャイムなのに感動した。ビックベンのテムズ川を渡った反対側で、ミッションインポッシブルのあるシーンが撮影されていたと記憶するが、なぜか当時はそこに寄り損ねてしまった。どうしてもロンドンバスと一緒に写真が撮りたくて機会を伺い続けたこと、ビックベン近くのテスコの値段が観光地価格で怖かったこと、同じく近くのトイレが初めての有料トイレだったこと、環境活動家が一人でプラカードを掲げていたことは思い出深いなと思う。
 目の前の公園には、チャーチル含めた数名の銅像が飾ってあった。

バスは赤、タクシーは黒

 国会議事堂から向かってさらにテムズ川を下っていくほうに歩く。方向としてはロンドン・アイの方向。こちらは日本で言う、霞が関のイメージ。警備の厳重なエリアが続く。外務省、内務省、そしてダウニング街。首相官邸前は、鉄の柵で閉じられ、目の前には警察が厳重な警備を施す。

サッチャーも、ボリスジョンソンもここに住んでいたのか

 ここを抜けると、トラファルガー広場、そしてナショナルギャラリーへとつながる。ナショナルギャラリーが工事中でグレーのカバーに覆われていたのは残念だった。

虎と噴水

 ナショナルギャラリーで一番有名な作品は、Vincent Willem van Gogh作「Sunflowers」で間違いないだろう。

 環境族のおかげで、縁が若干オレンジのペンキがかっているのがこの時期の記念。東京で、損保ジャパンが買ったひまわりを観たことがあるため、これがふたつ目。多くの観光客が写真を撮る、完全な観光スポットとなってはいたものの、それがさらに美術的な価値を高めているように感じた。「何を見に来たの?」と聞かれたのに、英語が全くわからなくて「いいよー」って、無視気味に扱われたことが悔しかった。 

印象的な作品はこれ 

 時間さえあればもう少し見たかったが、次の大英博物館に行くために早めに去ってしまった。その道中、レスタースクエアという場所がある。ここは、ただの公園、ベンチがあるだけの場所なのだがハリーポッターやパディントンの銅像があることで知られる。

クィディッチ中

 映画館やパブなど、普通の盛り場の中心に位置するため、本来はあまり人気が出る場所ではないかもしれないが、英国を代表するキャラクターの売り出し方としては、とても面白い。
 同じく途中に、ハリー・ポッターグッズショップがあった。日本は英国以上にハリー・ポッターを愛している国だと聞いた。そのため、日本にいると英国にそのような店があることは何ら不思議ではないかもしれない。しかし、すでに完結した児童書の店が国内外の観光客で埋め尽くされているのは印象的。ちなみに、世界で二番目に売れた本が同書だと思う。

そして大英博物館

 盗品博物館などと呼ばれるが、太陽の沈まぬ国として世界の陸地の3分の1を支配した大英帝國の威信を感じられる場所。閉館時間まで1.5時間ほどしかなく、ゆっくり回ることが出来なそうだった。そのため、パンフレットにあった10個の作品だけを見て回ることにした。

ボケボケ、ガムガム

 ツタンカーメン、モアイ像、12世紀のチェスのコマなど有名作品を見て回ったが、ロゼッタストーンがメンテナンス中。「20年間も俺っていう人間をやってたら、そんなもん。」これぐらいの期待感で生きている。

切りすぎた前髪

 大英博物館にも日本のコーナーはあった。占領されていたわけではないが。。芸術作品に関しても、世界の舞台でプレゼンスがあるようで嬉しかった。

 地下鉄で移動した先がここ、ピカデリーサーカスである。

ドラマ「シャーロック」のオープニング

 英国の渋谷のイメージ。熱量のあるイギリスの印象的な場所。若者が写真を撮り、観光客が訪れる印象の場所である。
 そしてそこから少し歩いた先にあるのが、ロンドン橋

London Bridge is falling down, Falling down, Falling down.
London Bridge is falling down, My fair lady.

stick and stone will all fall down, all fall down, all fall down,
stick and stone will all fall down, My fair lady.

Build it up with wood and clay, wood and clay, wood and clay,
Build it up with wood and clay, My fair lady.

「London Bridge Is Broken Down」-(Mother Goose's rhymes)

 有名な童謡で知られるこの橋は、イギリスのテムズ川にかかる荘厳な橋。

車でも、徒歩でも歩くことが出来る橋

 そこまで長くないが、ライトアップもされていい雰囲気。ひとりで自撮りをしていると、写真撮ろうかと声を掛けられ、怖くなって断ってしまった。残念な気持ちもあるが、これは仕方ない。
 加えて、ロンドン橋のテムズ川にかかる南側に、コロナの犠牲者を追悼するモニュメントがあった。正直、僕がこの英国旅行に行った時期には日本はまだまだコロナによる自粛期間というのが続いていた。そのため、基本的にはマスクをして外出し、観光等は忌避される時期であった。しかし、英国は誰もマスクをしておらず、アフターコロナの様相を呈していた。そのため、英国のコロナの被害や悲しさを感じる機会が少なかったが、この場所だけはコロナがパンデミックであったことを思い出させてくれる出来事、場所だったと記憶している。

本物のバンクシー
落く書きがアクリルケースで覆われている価値観についての違和感

 英国後半5泊は、ハイドパーク北側のパディントン駅近くのホテルを取った。そして、英国が英国たるゆえんである王室を触れる機会を得たことを記す。

 バッキンガム宮殿と、午前10時から始まる衛兵交代式。かなり広い宮殿前のスペースが世界中からの観光客で埋まる。カメラ片手に、荘厳な式に見入るわけだが、日本語がとてもよく聞こえる。ただし中年女性が多かった。そして衛兵がアイコニックである夏服、あの赤色の制服ではなく冬の毛皮のコートであったことが少々残念であった。バッキンガム宮殿はその周囲を一周したが、とくに東部と南部は自動車や市民が頻繁に通る道路となっており、正面の雰囲気とは大きく変わる。

 同じく大英帝国を感じることが出来る場所が、グリニッジ天文台。世界標準時が英国にあるのが、当時の覇権国家として世界のルールメイカーを担ったことが伺える。

日本は9時間、標準時よりも早い

 グリニッジ天文台が実はロンドンではかなりお気に入りの場所な気がしてる。カナリワーフという、第二の金融街として栄えている、ロンドンのかなり東部の街から、モノレール的なものに乗っていく。ちなみにお金の払い方が分からず、無賃乗車してしまいました。グリニッジ天文台が好きな理由はこの景色。

 ロンドンのスカイスクレーパーがとっても綺麗に見える場所。英国の、そして世界経済の中枢が見える場所として憧憬の眼差しを得る場所である。個人的には、この後に寄ったロンドンのシティも訪れた場所として印象深い。

 世界の中心について考えたことがある。もちろん、僕の世界の中心は僕。だけど、世界の経済の中心は間違いなくロンドンのマーケットと、その時間だと思う。それは日本が世界中に白物家電と、自動車を売っていたとしてもそれは変わっていない。落ち目を経たとはいえ、イングランド銀行とロンドン証券取引所は世界の中心だと感じた。イングランド銀行周辺には、日の丸を掲げたMUFGや、中国系の銀行が軒を連ねていたことも印象深い。ここに約束する。将来はシティで働く。

 少し遠くはなるが、この日はウィンブルドンにも行った。

フェデラーの庭

 ウィンブルドンとはいうものの、それは地名。ウィンブルドン自体は、ロンドンの南西部に位置する高級住宅地である。この施設の正式な名前はAll England Lawn Tennis and Croquet Club。本来ならば寄る予定がなかったために、ツアーの予約をしていなかった。だけど、記念館のおじさんが優しく説明してくれて、センターコートに入るツアーに参加させてくれた。ウィンブルドン博物館には、各選手の私用品などが展示されていた。もちろん錦織圭も。ウィンブルドン出場者に与えられるロッカーが展示されているのが良かった。

 それではフットボールの話をしよう。
 ロンドンのチームは前述したチェルシーのほかに、Arsenal FCTottenham Hotspur FCという北ロンドンに位置する2チームがある。
 アーセナルは、ノースロンドンにあるエミレーツスタジアムを本拠地にするビッグ6の一角を担うチーム。キングズクロス駅からバスで40分ほど行った先にある。ロンドンふたつ目のホテルの受付をやっていたおじさんがアーセナルファンで、宮市を知っていたことを驚いた。エミレーツはすごいinvisiblesを誇りに思っているように感じた。

ベルカンプ=アンリのホットラインはプレミアイチだと思う

 バイト先の先輩にお願いされて、ウーデゴールのユニをお願いされたから買ったが、日本人も冨安目当てに多く訪れているみたい。エミレーツの外壁には、ファンのアーセナルとの自分史が書かれていてアツかった。個人的にここ数年にアーセナルファンになった奴は、ただただ強いチームを応援しているようであまり好きではない。しかし、アーセナルのファンの熱量は非常に強いことを記憶している。

 そしてもうひとつのノースロンドンである、トッテナム。剛腕会長であるレヴィ率いるビッグ6で、それらのスタジアムで最も新しい。バスを降りてすぐにあるスタジアムで、ピカピカのスタジアム。隣にセインズベリーがあって、そこで4-4-2という雑誌を立ち読みしたことを覚えている。結果、ヒースローでこの雑誌を買った。

9.ソルズベリー

 全く有名でないこの街は、世界遺産ストーンヘンジに行くための街として有名である。大憲章マグナ=カルタが現存する街としても知られ、ロンドンから西部に約3時間程度で行ける。個人的に、乗り過ごしてしまったことから、南部サウサンプトン経由で(ここで食ったホットパイとケーキは美味かった。ホットパイの値段をだまされたが…)いった。ストーンヘンジ行きのバスが駅から出ており、そのバス内で日本語解説が聞けたこと、ストーンヘンジ行きの施設で日本語の三内丸山遺跡の紹介がなされていたこと、ストーンヘンジに向かうバスに日本人のハネムーンのカップルと、女子二人旅が居たことも思い出深い。外国人に写真を撮ることを依頼され、僕の写真も取って貰ったことを記憶する。非常によい世界遺産だと思う。

最後に

 このブログ、どうしても年内に書き終えたいと思っていた。そのため、もっと小噺をしたいと思っていた。しかしどうやら時間が来たようである。英国旅行は僕の初めての海外旅行で、最も行きたかった国であった。自分自身がforeignerになる経験は貴重だと思うし、日本に外国人としてくる人々に対するリスペクトが大いにました出来事であった気がする。俺は純ジャパで、英語もままならない。やりたいことを全部やるのが、俺の生き方だと思う。まだやり残したことはいっっぱいある。それを全部やって、死ぬときに笑いたいと思う。

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