他者の死
祖母との時間を作って参った。
祖母は、動けず、握れず、喋れず、目を開けるだけ。
ただ、好きな音楽をかけ、祖父が歌ってた歌をかけ、話しかけ、手を握っていたら、握り返してくれた。
その事がとても嬉しかった。
祖母は、帰ることにとても悲しそうにしていたが、ちゃんとお別れはしないといけないと思った。
また来るから。とは言って、でももう、会えないと思うから。と伝える。ちゃんと、悲しいという感情を今自分の目の前で自分自身も感じるべきだと思った。
そういうことは言うな伝えるなと言うが、祖母は死ぬ間際に、また来てくれると思ったのに。また来ると言ったのに。
そんな気持ちを持って欲しくはなかった。
とても、死ぬ時に孤独だと思う。
そして、悲しいと思う。
何度も、人の死ぬ瞬間を考えたからこそ、ちゃんと自分の口で、これで最後だと思う。と言いたかった。
伝えられて、触れることが出来て、祖母の顔を見ることが出来て、意識を感じることが出来て良かった。
だが、私は思うことがいくつかある。
祖母のこの死に際は、彼女にふさわしいのかと言う点である。
祖母へ恨むな、憎しむな、思いやれと言ったのは自分自身だったが、このエピローグには、少し疑問が残ってしまった。
恨むな、憎しむな、思いやれ。そう、心の底から家族に伝えたかった自分と今の、この結末への違和感を僕の中で解消する術は、多分ないのだろうな。
祖父の死に際、友人の祖母の死に際。僕はこのふたつのポイントを経て、他者の死に対する価値観が強く構成されている。
祖母の死に際は、とてつもなく理想的では無いか。
どんな人間にも最後がある。
だけれども、等しく最後が来るのに、何故こんなにも、不平等差を感じるのだろうか。
本当に死ぬということのみで平等と言っていいのか?
僕としては、死ぬことでさえ不平等と感じている。
僕の中では、いろいろな考えが混在しているようだ。
祖母は、我が家の金食い虫だった。
宗教、買い物、服、食べ物、通販、あらゆるものに散財し、とてつもない金額の借金になっていた。
そして、それは祖母の死を持ってしても0にならない。
それを残された子は、今懸命に払い返している。
1億円って、さて、返せるのだろうか。
祖母は恨まれ憎まれ疎まれていた。
祖母は曾祖母の介護で執拗ないじめやハラスメントを沢山した。
曾祖母が大好きだった孫に、介護される時が来るまで、自分が同じかそれ以上に酷い目にあい、誰も味方になってくれない時まで、彼女はどんな考え感情だっただろうか。
僕は家族への疑問もやまない。
何故そんな金額になるまで誰も気づかなかったのか、動かなかったのか。
祖母は歩けず、介護が必要になった際に職なしの孫に介護を受けていた。
祖母は意地が悪く、悪態と暴言を言うそうだった。
孫は精神的に追い詰められ、祖母を殺し、自分も死のうと何度か思った。
祖母に対して、母も叔父もとても冷たかった。
祖母は完全に味方なく、家族全員から責められ、動けず、歩けずの状態に落ちたのであった。
家族全員ストレスフルな中、もう1人の孫が帰って来て、異常な家族の状態に酷く心が痛くなった。
自分の代で、この呪いも終わりにしたいと強く願っていた孫は母にこう伝える。
「あなたを育てた親です。どんなに最悪な母でもあなたの母でしょう。動けず、歩けず、抵抗できない人間を、ああいう扱いをすることに納得ができない。弱いものいじめをする人間性を、私はこの家族から教わってません。」
どれだけ最悪な家庭だと思っていても、ある種のプライドや人間性について厳しく躾られた自分からすれば彼らの行動は奇々怪々であり、とても無様にも見えたのです。
涙ながらにそう訴えかけ、叔父にもその旨よく伝えるようにと帰り際に言いました。
祖母は間もなくして施設に入りました。
介護をしていた孫はもう今生の別れをしたので、死んでも合わない。と誓いました。
叔父も母も、次第に穏やかになっていきました。
そして、祖母が死ぬ間際になった時に母は、腰を悪くして長期的な休みを取っていました。
母は、祖母のいる施設に暇さえあれば足げなく通い、寝泊まりするほどでした。
祖母に謝っていました。
心配を沢山かけてしまった。と。
そしてこうも言いました。
「お母さんもお父さんも、私よりも私の娘を可愛がりましたね」
この言葉を良く、母は口にします。
孫は、この言葉の意味を深く考えたくありません。
しかし、母は娘を真に強く愛し、大切にしていました。
母の悲しみを思うと、孫はとても辛いようです。
私はとても疑問でした。
家族は、祖母を許し、付き添い、暖かく接している。
だけれど、この心のモヤ付きに、少し引っかかってしまうようです。
それは、祖父の死に際の事でした。
祖父は最後とても苦しみながら肺炎でなくなりました。会いたがっていた、孫には会えず、話すことも出来ず、苦しみ、周りの人間は、もう少しで孫が帰ってくる。帰ってくる。もう少し耐えろ。そう言い聞かせ、苦しみだけは長く続き、孫はそのことを知らず、イベント運営に勤しんでいたのです。
母は、祖父の様態を知っていました。
娘には伝えなかったのです。
娘は母の態度に気づいていましたが、祖父の様態についてはちっとも理解していませんでした。
祖父は、孫に会えなかっただけでなく、自分の弟や妹、他の人にも会えずじまいで死にました。
祖母は誰にも連絡しなかった、と言うが僕は母、叔父、君たちも動かなかった。と言いたい。
祖父は、家族の皆から尊敬され、愛され、敬われていました。大切にされていました。
祖父は大工でした。まちのみなから、大工様と呼ばれる人物でした。
そんな祖父の葬式には沢山の人が来ました。
祖父は、どんなに心細かったのでしょうか。
苦しみながら、悲しみながら、とてつもない孤独感があったのではないでしょうか。
家族はそういう後悔があるから、祖母のエピローグにはこのように対応しているのでしょうか。
人間の一生はとても短いもので、とてつもなく簡単なものに感じました。
友人の祖母は、ガンでした。
僕が町を出ていく時におばちゃんにこう言いました。
「三年経ったら帰ってくる!それまで元気にしててよ!」
店をやるつもりだった僕は、そう約束して町を出たのですが。3年なんかで店を出せるほどになるわけもないけどでも、約束を破ったのは僕ではありませんでした。
突然の訃報が重なり、祖父が死んだ後にはおばちゃんまで。
おばちゃんは、誰にも自分がガンだと言っていませんでした。
孤独に、ひとりで死んでしまったのです。
僕との約束を守るつもりだったのかもしれません。
だから、店にたち続けていたのかも。
つい転んでしまう様についしんでしまったのかもしれません。
僕は、このふたつの経験で他者の死に対しての考え方が深くなりました。
祖母の死に際を考えるとあまりにも平和で、彼女のやってきたことと死ぬ間際が、あまりにも辻褄があいません
祖父の死に際が、悲惨すぎます。
おばちゃんの死に際が悲しすぎます。
どうしてこうなっているのでしょうか。
なぜ初めから僕は、祖父と話さなかったのでしょうか、祖父に贈り物をしなかったのでしょうか、祖父を気にかけ続けなかったのでしょうか。
祖母に対して行うことは祖父への後悔の念です。
でも、祖母に対する思いがあるからこそ、できたことでもあるのです。
だけれども、この心のモヤ付きは、きっと無くならないのでしょう。
誰にも言葉にされたくなく、誰にもわかったように整理されたくない僕の胸のうちです。