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[昔話]=1 私が入社したあるブラック企業の話

 人を大事にしない、使い捨てにする、労働条件が悪い―そんな会社のことを「ブラック企業」と称するようになってから早数十年が経った。最近では企業側も悪い評判を悟られないように、インターネット上でステルスマーケティング(ステマ)を行って良い評判だけを上位に来るように目立たせたり、転職サイトにサクラ投稿を行うなどしてそれを隠そうとするなどしている。今回は、私が入社したあるブラック企業の話をしたい。


◇ パソコン2人1台、机間の隙間約1・3メートル

 非常に時代錯誤と言えばいいのかわからないが、その会社はオフィス環境のIT化に後ろ向きだった。パソコンは1台を前の席の同僚と共用。バッテリーも持たなくなった約五年落ちの型の古い、官公庁の払い下げのパソコンだった。さらに辟易したのは、事務所の前後のスペースだった。机間の幅が約一・三メートルしかなく、誰かが後ろに座るとぶつかってしまう。とにかく事務所環境は悪かった。

◇ 変形時間労働制の悪用

 同社は変形時間労働制を採用していた。現場直行や土日祝日の出勤があるためだが、それを非常に悪く使っていた。

 原則、変形時間労働制であっても一定の条件を満たす場合には従業員に対して残業代を支給しなければならないと労働基準法で定められているが、同社は労働時間の考え方に関して少し独特の考えを持っていた。

 普通は上限の労働時間を超えた場合には、残業代を支払わなければならないが、同社は一ヶ月の勤務時間をカウントし、労働時間が月上限に満たない場合は基本給をカットしてしまううえ、残業部分は「上司の許可のない残業」としてカットする決まりになっていた。

 後述するが、パートや現場の正社員従業員に対してはさらにひどい取り扱いをしていた。

◇ 私がしていた業務内容

 同社はビルメンテナンス、清掃、給食(ケータリング事業)、警備などを総合的に行う会社で、東北地方に本店を起いていた。その中で私はケータリング事業の東京地区の責任者だった。職務内容としては現場の統括管理、担当物件の粗利状況や売上額などの管理、新規案件の入札や従業員の労務管理などを行っていた。

 しかし、その業務内容の実態はあまりにひどいものだった。

◇ 緊急連絡体制のうそ

 担当物件の基本的な構成は次のようになっていることが一般的だろう。(一)責任者。(二)副責任者。(三)調理員。当然のことだが、責任者も副責任者も人間なので、いつ体調不良や事故に見舞われるかわからない。そのため、通常は東京地区と一概に言ってもその中で文京エリア、板橋エリアなどと細かく分けて、そのエリアを統括的に見られる責任者代行を緊急時に備えて配置するようにする。

 ところが、同社はそんな体制はなかった。そもそも、私が担当する前に物件を落札した段階で、官庁に提出していた緊急時の代行体制そのものが真っ赤なうそ、でたらめなものだった。統括責任者はそもそも東京にいない、責任者代行は名古屋にいる、副責任者は死亡退職しているといった具合に、すべてがうその書類を提出していた。

 つまり、なにか不測の事態が発生した場合、その物件では調理ができなくなってしまう状態だった。

◇ 現場従業員への給与の扱い

 前述のように、同社は基本的に月の労働時間が所定を下回る場合給与をカットする。だが、普通は学校などでは必ず夏季などに長期休暇が発生する。時給制のパート従業員などは自衛隊の駐屯地や介護福祉施設などの他の現場に応援に行くことで収入を得ることができるが、月給制の正社員に対しても「所定の労働時間を満たさないなら満額支給はできない」(いわゆる日給月給制)と定めていた。

 納得できる社員も数人いたが、ほとんどはそれに対して強い不満を抱いていた。そもそも給食調理という労働そのものの過酷さ、責任の重さ、時間内に提供するというプレッシャーの中で業務を行う。その社員に対して日給月給制を適用していたのだから、退職者が後を絶たなかった。

◇ 社内におけるパワハラの横行

 同社において、パワハラは当たり前のことであった。軽いものでは上司が部下を叱責する際に机を叩いて蹴飛ばす。灰皿が吹っ飛んでくる。他の社員がいる中で何時間も叱責して見せしめにするなど枚挙にいとまがない。

 そんな会社だから若手は定着するわけがなかった。就職氷河期の頃に運良く同社に入社した人や、リストラの憂き目に遭い就職してきた四十代、氷河期世代向けの支援プログラムで騙して入社させたなどが殆どだったので、年長者は不思議とやめることはなかった。

◇ 残業事実上なし。ところが72時間連勤も

 残業は基本的になかった。なぜならそもそも業務管理は就業時間を「8:30―17:30」以外で記入することが許されなかった。残業は「上司は指示していないが個々人の判断で勝手にやっているもの」と丸投げしていた。私自身も、休日の応援など以外で残業をつけられた記憶はない。

 部門によって違いがあったが、清掃部門の部門長で一ヶ月の所定労働時間が百六十時間+残業百時間という社員がいた。一週間家に帰れないのは当たり前。会社で仮眠してから日勤に入り、続けて現場で夜勤に入り、また仮眠の繰り返しだった。

 その社員に与えられたのは賞与でも賞状でもなく、始末書だった。面白い規定で、同社は(一)一ヶ月の残業が八十時間を超えた場合は本人の始末書。(二)二ヶ月連続で残業が同時間を超えた場合は本人+所属長の始末書。(三)三ヶ月連続の場合はエリア長+所属長+本人の始末書を取るという異常な規定だった。

 今、その人が健康にまだ仕事を続けられているのかは知らない。

◇ 灰色のつながり、黒いうわさ

 同社は東北地方に本店を置いている。警備業も事業に入っていることから、同社は福島県警などからの再就職者(天下り)を大量に受け入れていた。同社は某市内における駐車違反監視業務のすべてを独占受注していた。

 さらには某市内におけるビル管理業務の入札情報において、最安入札社の情報が事前に漏れていて、一円差での落札が起きるなどの事態も相次いでいた。しかし、これらの疑惑に対して地元紙の福島民友新聞社などは一切メスを入れなかった。そもそも創業者が同新聞社の出身であることから、メスの入れようがなかったのだろう。

 同社は、埼玉県内での黒焦げ給食事件や社員の自殺、創業者の脱税事件など様々な疑惑の多い会社だった。

◇ 都立病院解約金のあたらしい捻出方法

 話を戻す。東京事業所で過去に起きた事件で、都立病院の病院食の調理業務を落札した。ところが、同社に移行する際の待遇面のあまりの悪さ、同社の就業環境の劣悪さなどから従業員が一人も残らないという自体が発生した。当然、患者へ提供する料理の遅延や調理ミスなどが続出し、契約不履行として解約となった。その際、東京都に違約金を支払うことになり、担当者が責任を取らされた上に、解約金の捻出のために東京事業所所属の全契約社員、正社員の給与を一律で一万円カットする方法を取った。当然のことだが労働基準法など各法令に違反する話だが、なぜ労働基準監督署に駆け込むものが出なかったのか不思議でならない。

◇ 私の給料、ゼロ円

 これは私の話になるが、ある学校の調理現場で採用した社員の入社書類のうち、書類の準備が不足したために給与支払いの遅延が発生した。臨時の措置を行うよう事業所長に掛け合ったところ、灰皿が飛んできた。机を叩かれながら、「お前、頭の中身は大丈夫か?」といった類の叱責を受けたことを記憶している。そもそも同社は各事業所に予算配分をしていない(すべて本社が管理している)ことから、パート従業員への給与支払いは、私の給与をパートさん分で再計算し、会社名義で振り込むという荒業だった。行ってしまえばその月の分の私の給料はゼロ円に近しいものだった。

 この月、家賃の支払いも光熱費の支払いも窮してしまい、クレジットカードでキャッシングしたことは記憶している。

◇ パートの残業カット

 これは詳しく述べない。少なくとも、元の入札価格を他社より下げて取ってることから、残業代を極力支給しないように指示されていた。パート従業員が所定労働時間を超えた場合、その分は「指示していない残業」として全額カットした。会社からの指示だった。

◇ 経費なし、従業員の食事代も自腹

 同社の社用車はたった二台しかなかった。その二台ともほとんど清掃施工チームが使っているので、必然的に電車移動が多かった。普通の会社であれば移動分を経費精算して受け取るだろうが、私はその分の電車賃を受け取ったことがない。都営線、JR線など様々な公共交通機関を使ったが、一円も請求できた記憶はなかった。

 また、学校給食においては調理員も給食を食べることができたが、その分は会社が負担することになった。しかしある月、そのことさえ引き継ぎを受けていなかった事務方が失念し、学校側から催促が来た。結局、その分も私が支払うことになった

◇ 一旦終わり

 ここまで書いて疲れたため、残りはいずれ書きます。

 私自身も法に触れることを多々しました。従業員に対する非礼も多々しました。その懺悔として記した物となります。月並みな言葉ですが、会社の指示でやらざるを得なかったのです。







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