素人質問は恥ずかしいことではないんだ


(”まえおき” や ”脱線” が無茶苦茶長いので、お忙しい方は ”例文” まで読み飛ばしちゃってください)


まえおき

ちょっと前に、GLP昭島に関する市政や事業者の説明会に出て、そこで関心のある方々と何人かお話をさせてもらったのだけれど、その時、このあと環境アセスの流れがどうなるのか?とか、住民の話を聞いてもらう機会はどれくらいあるのか?とか、そもそもどんな意見を言えばいいのだろう?みたいな話をした。

僕は昭島市民ではなく(でも参加資格の十分ある東京都民だ)、事業の実施で直接的な不便を被る人間ではないけれど、Twitterで計画を知り、計画の無茶さ加減や、特に環境アセス文書である調査計画書の杜撰さ(というか、通り一遍やっときゃいいだろ的ないい加減さ)やアセス文書に書かれた事業の目的の我田引水さに、元環境アセス技術者として腹が立ったというか、これまでの経験を穢されたような気がして、反対し、積極的な活動をすることに決めた。なので、僕が発する反対意見は、環境アセスの手続きに関わることであったり、予測評価技術に関することだったりする。


このような反対意見は、一見高度に見えるけれど、ほとんどが指針等で提示された内容であるので、さほど高度ではない。まぁ約四半世紀それで飯を食ってきたので、「こんなの簡単だよね」って実際に言われると、ちょっと悲しくはなるけれど。


で、いわゆる住民意見というのは、近傍に住む人達が率直に感じる不安や懸念を提示するのが本筋であって、僕が言うような技術的なゴチャゴチャなんてものは、単なるオカズどころか、お弁当の脇っちょに添えられている桜漬けみたいなもんで、本筋がなければ成り立たないもの。それくらい周辺住民の率直な意見というのは重要だと思う、というか重要であることが事実です。


で、表題にも記した『素人意見』。これは最近ネットでふざけられている、「学会で『素人意見ですが……』って言われるのが一番怖い」などというものではなくて、本当の『素人意見』。今回のことでいうと、環境に関して専門的な知識を持っていない人達が事業の計画を聞いて初めに思う根本的な意見、こういう根源的な意見は、怖いとか不安だとか、心の根っこから出てくる意見というか感情みたいなものだけれど、その『素人意見』が何よりも大切で、それを軽んじられる謂れはないし、その感情を口に出すことを恥ずかしがる必要もまるでない。


こういった意見に関して、神宮外苑の再開発に関して反対の声を挙げているロッシェル・カップさんがとてもいいことを仰っていた。

”「住民の不安などの意見について、住民にはその不安の根拠を科学的、論理的に説明する必要はなく、住民が持つ不安の原因に関して科学的、論理的に説明する義務は事業者にある」”(僕の要約)

というもの。正鵠を射るとはまさにこのこと。


住民はその人の思うように自由に意見を発していい。レベルが低いとか、感情的だとか、我儘だとか恥じたり声を小さくしたりする必要はまるでない。なんたって事業者が事業を実施したいという我儘を通そうとしているのだから、こちらが我儘を言って何が悪い。それくらいに思って声を上げていいと思う。思うじゃなくてそれが事実(繰り返し表現)。


とにかく、住民意見にレベルなんてものはないので、自由に思ったことを発してください。応援しますというのがこの記事の趣旨です。これは、妙に物分かりのいい人間の耳障りのいい言葉ではなく、ゴリゴリの事業者側にかつて居た、開発側にいた人間ですらそう思っているという言葉なので、信用してください(どんな信用だ)。


脱線①

あと加えて、説明会の住民意見とかで、自己紹介から始まって、その街の歴史、良いところの紹介をしてやっと意見の本題に入る人がいるけれど、そして僕たちはその人の話を長いなぁと思ったりするけれど、これだって事業者に窮状をわかってもらいたいという心情の吐露であるので、長いと思うのは自由だけれど、それを遮ったりしようとしてはいけない。長いと他の人の質問ができないと思うかもしれないけれど、他の人が質問できなくなるとしたら、それは話の長い人のせいではなく、時間を区切ろうとする説明者のせいなのだから。


脱線②

あとこれは昭島のことではなく、この頃の一般的な世間の風潮に関する脱線なのだけれど(長いのでこれから4段落は読み飛ばしちゃっていいです)、これだけは言っておきたい。特に環境に関する反対運動に関しては、事業者に(主に金銭面で)懐柔されて反対運動を辞めてしまう人がまま出てくるのだけれど、この人達を嘲笑ったりしてはいけない。中にはホイホイと「転んだ」人もいるだろうけれど、色々なしがらみがあって、苦渋の決断で反対意見を引っ込めた人も少なからずいると思う。大人だったらそういうことに思いがいたらなきゃいけない。


環境(保全)は人間の安全な生活や心の安寧があって初めて成り立つもの。極論すれば、今、二酸化炭素を10,000トン排出したって明日地球の気温が跳ね上がることはないけれど、今、10,000円あるかないかで明日の生活が変わってくる人は無数にいる。もしかしたら明日の命に関わることかもしれない。


こういう一見軽蔑されそうな人間の行いを嘲笑したりするのはいいことではない。これは一般論だけれど、「あの人反対の大きな声を上げていたけれど、どうもお金をもらって引っ込めたらしい」というのは、一緒に反対運動をしていた人が裏切られた思いから発するのは仕方のないことだけれど、関わりのない人は言わなくていい話です。

ましてや全くの部外者が話のネタとして、「金で転んだ」などと嘲笑うのは本当に軽蔑すべきことで、そんなことを言う人は人の心の機微などこれっぽっちもわかっちゃいない薄っぺらな人間です。お金で動いてしまう人の心の暗い部分というか矛盾というか、そういう人間のしょうがなさ、特に他人のしょうがなさはむしろ受け入れるべきもので、冷笑するようなものではない。冷笑したいならしててもいいけど、一生冷笑し続けてそのうち冷たくなってくださいとしか思いません。

脱線戻る

と大幅に脱線したのですけれど、話をもとに戻して、本当に住民の意見というものは根源的で衝動的なもの、一見単純に見えるものほど重要です。いっくら高度であろうが論理的であろうが、「気に入った環境を乱されたくないのです」という思いの前には、単なる絵に描いた餅というか知識のひけらかしでしかありません。

「うるさいのイヤ」上等です。「日影になるのイヤ」最高です。「せっかくこの住環境が気に入って家を買ったのに台無しというのは我儘ですか?」我儘じゃありません。

それこそが住民意見の本質です。


例文(本題ここだけ)

これから僕の思いつく限り、「単純な」意見を例示していこうと思います。どんどん声を上げていきましょう。


○車が増えたら渋滞が心配です

○もう渋滞しているのにこれ以上クルマを増やさないでください

○交通事故が心配です

○通学路はどうなりますか

○踏切事故は起こりませんか


○排気ガスの汚染が心配です

○喘息もちなので粉塵の発生は避けて欲しいです

○光化学スモッグは増えませんか

○PM2.5というのを耳にしましたが影響ありませんか

○砂埃で洗濯物が汚れませんか


○騒音で静かな環境を乱されたくないです

○寝ている時間にトラックを通さないで

○音を遮る壁は作らないのですか

○音を遮る壁は見晴らしが悪くなるので反対です

○騒音が子供の学習の邪魔にならないようにして欲しい


○トラックが通るたびに揺れを感じるのは不快です

○振動で家の傷みはひどくなりませんか

○道路の傷みの補修は誰がするのですか

○地盤沈下は大丈夫ですか

○低周波は身体に害があると聞きました


○排ガスの悪臭が気になります

○ゴミから悪臭が出ることはありませんか


○これ以上緑が減るのは我慢できません

○玉川上水周辺の緑を変えて欲しくありません

○希少な動物は保護されますか

○子供と虫取りに行けるような環境は残りますか

○緑が減って暑くなりませんか


○建物は樹木の高さを超えないだけでは不足だ

○付近のマンションから見える景観も重要ではないですか

○並木の間から見えるゴルフ場の景色を含めて好きでした

○昭和館から見える景色はどう変わりますか

○玉川浄水沿いの落ち着いた環境は守られますか


○電力不足のご時世に多くの電力を使う施設を作ることが疑問です

○電磁波が悪影響を及ぼすという噂を聞きました

○排熱の影響はどれくらいありますか

○設備からのうなりで困ることはありませんか

○建物のせいで強風が吹いたりしませんか


ざっと考えてこんな意見はどうでしょうという感じなのですが、僕のような「素人に関する素人」の能力ではこれくらいしか思いつきません。むしろ、本当の素人が考えた、僕の例では及びもつかないような意見が事業者を悩ませることはよくあることです。

確かに恥ずかしい思いはあることでしょうし、そもそも声を上げるのは勇気がいることです。そういう方はSNSで声を上げている人に伝える形でもいいですし、地域で活動されている自治会の方や運動団体の方に伝える形でもいいと思います。


あとがき

影響力の高い意見というのは、(一見した)レベルの高さではなく、より多くの住民が同じ不安を抱えているかという、言ってみれば「数」です。質より量とは言いませんが、小難しい10件の意見より、一見単純な100件の意見が重要だったりします。


あと、「私の意見なんてみんなと同じだから言ってもしょうがないだろう」と思わないでください。事業者は例え同じ意見であっても、必ず目を通さなければいけない義務があります。大したことではないかもしれませんが、同種意見があった場合、見解書等で「同様の意見計〇〇件」と集計して公表するのが通例です。少なくとも読み捨てられるということはありません。意見を出すことには意味があります。


とにかく、そんなに難しいことを考える必要は全くないのです。思った通りのことを言えばいい、事業者側は規則に沿わなくちゃならないという制約がありますが、こちらは世間一般のマナーに沿っていさえすればそのほかに制約はない。自由なのはこちら、フリースタイルに戦えるのはこちらなので、フリースタイルの有利さは有効に使うべきです。自らを高度でなくちゃとか独自性がなくちゃだとか制約する必要はありません。思った通りのことを自分の言葉で発していけばいいのではないでしょうか。


またいつも通りまとまらないまま記事を終えますが、ご質問は何なりとTwitterアカウントまでどうぞ。


Twitterアカウント

@foolontheweb


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