かなづかひ入門~読み方篇~
端書き
私は歴史的仮名遣ならびに旧字体漢字を常用する者です。
それなりの理由があってのことですが、ここでは深く語りません。
そんな様式もあるのか、程度に受け容れて下されば十分です。
何はともあれ、読んで戴くことが先決ですので、
差し当たり、歴史的仮名遣の読み方を簡潔に纏める事と致しました。
猶、この記事では旧字体の漢字は不使用としましたし、
歴史的仮名遣を読み慣れない方に配慮した書き方にしました。
小難しい説明を読むよりも、幾つか例を見た方が分かり易い場合も
あると思って、配置にも気を配りました。
何やら難しいといった先入観を廃して御読み戴ければと存じます。
概要
「仮名遣」とは、一面的には「同音の仮名の書き分け方」
として理解されるものです。
五十音図の中に「同音の仮名」が存在するのは、
最初は別だった発音が合流した一方で文字が残ったからです。
詰まり、発音が合流する前の文献を当たれば、
混同の無い記述が見つかるのです。
歴史的仮名遣はこの王道的な手法で
模範的な表記を摸索したものです。
幸運にも日本語は文字伝来以降の千年余りで変化が少なく、
歴史的仮名遣をそのまま規範としても、
現代英語の綴りよりもずっと表記と発音の乖離がありません。
正確に書くには、英語の綴りと同様に一語一語憶える事になりますが
読む分には
「単独で同音の仮名」
「ハ行転呼音」
「長音の規則」
の三点を理解すれば事足ります。
五十音図と同音の仮名
念のため、五十音図を以下に示します。
$$
\begin{array}{|c:c:c:c:c:c:c:c:c:c|} \hlineわ & ら & や & ま & は & な & た & さ & か & あ \\ \hdashline \textbf{ゐ} & り & & み & ひ & に & ち & し & き & い \\ \hdashline & る & ゆ & む & ふ & ぬ & つ & す & く & う \\ \hdashline \textbf{ゑ} & れ & 𛀁 & め & へ & ね & て & せ & け & え \\ \hdashline \textbf{を} & ろ & よ & も & ほ & の & と & そ & こ & お \\ \hdashline \end{array}
$$
ワ行の「ゐ」がア行の「い」と、
ワ行の「ゑ」がア行の「え」と、
ワ行の「を」がア行の「お」と、
それぞれ同音です。
「ゐ」の字母は「為」で、「ゑ」の字母は「恵」です。
見較べれば字母の活字体と形の類似が分かるはずですので、
この二つの平仮名に全く馴染みが無い場合は、
字母と一緒に憶えると良いかもしれません。
「ゐ」のカタカナは「ヰ」で、字母は「井」です。
「ゑ」のカタカナは「ヱ」で、同音の「エ」と似た形です。
※字母とは、仮名の元になった漢字のことです。
ヤ行の「𛀁(江)」は少し後になって見出されたもので、
歴史的仮名遣に含めるべきかの議論があって然るべきものですが、
ここでは紹介のみに留めます。
発音はア行の「え」と同じです。
ヤ行の「い」とワ行の「う」は、
幾ら遡ってもア行との区別が無かった様です。
ハ行転呼音
「自立語の語頭」以外のハ行は基本的にワ行と同音になります。
これをハ行転呼音と呼びます。
ワ行は「わ」を残してア行と同音なので、後は御察しの通りです。
助詞の「は」「へ」の他、
助数詞の「は(羽)」「へ(重)」などもこの例に当たります。
漢字かな交じり文に於いて、
ハ行の仮名は殆ど転呼音だと思って戴いて結構です。
助詞の「は」「へ」はよく御存じのはずですので、
その読み方がハ行全体に波及するだけであって、
特に難しくはない筈です。
長音
「う」及び「ふ」は手前の仮名と融合して長音を形成します。
オ段に「う」が付くと「オー」となることは御存じの筈ですが、
ア段に「う」が付いても「オー」となります。
イ段に「う/ふ」が付くと「○ュー」と拗音を伴ったウ段長音となります。
エ段に「う/ふ」が付くと「○ョー」と拗音を伴ったオ段長音となります。
長音の補足
「いう」は口に出してみれば直感的に分かるはずです。
寧ろ「カルシウム」を文字通りに読む方が却って難しいかもしれません。
「えう」は少し隔たりがあるかと存じます。
「ケウ」を滑らかに繋げて発音してみれば、
「キョー」と全く同じとはいきませんが、
中間的な音にはなる筈です。
「ケウ」を文字通りに発音する例はそれこそ稀有ですので、
違和感のある母音の並びに気を付けてみてくださいませ。
長音化しない代表的なものとして
「追ふ」「乞ふ」「会ふ」「買ふ」などの動詞の終止形があります。
これらには語幹を維持する意図があったと見られます。
特に気にせずとも、動詞だと分かれば正しい読み方が分かります。
オ段拗長音には「ちやう(長)」や「じやう(上)」の様な綴りもあります。
字音仮名遣
字音仮名遣とは、漢字の音読みを表す仮名遣のことです。
この記事ではカタカナで振り仮名を振ってあるのが字音仮名遣です。
長音が多いので、少し複雑に見えるかもしれませんが、
読み方自体は規則的です。
漢字の読み方が分かれば、そもそも気にする必要はありません。
一つ注意点として、
ハ行転呼の語頭か否かの判定を漢字一文字毎にする必要があります。
「方法」の字音仮名遣は「はうはふ」ですが、
読み方は「ホーホー」となります。
また、字音特有のものとして
「く」「ぐ」にワ行の仮名が続く拗音があります。
現代の発音としては一般的に
「くわ」→「か」、「くゑ」→「け」の様に直音となります。
字音の末尾の「む」は撥音「ん」と読みます。
その他、促音便や連声を反映させない流儀などもありますが、
漢字の読み方を調べた方が早いので、詳述は避けます。
小書きの仮名
促音の「っ」や拗音の「ゃゅょ」を小書きにすることは、
元々は歴史的仮名遣に含まれません。
だからといって、小書きを使ってはいけない事にはなりません。
私個人は歴史的仮名遣と共存可能なものであり、
排斥しなければならない理由は無いものとして採用する立場です。
無論、戦前の文章では小書きはされませんし、
小書きにしない流儀はあって然るべきです。
読む場合は慣れるしかありません。
ただ、改まった文章では「買つて」「滑つた」の様な動詞の音便が
主であることを憶えておけば、然程困らないはずです。
母音の連続
この節は特に重要ではありませんが、
国語教育では音声の方に丸で注意が向けられないことから
多少意外性のある話題が提供できるのではないか
と思って残しました。
興味が無ければ読み飛ばして下さって結構です。
歴史的仮名遣の代表的な例外として
「あふる(煽る)」と書いて「アオル」
「たふす(倒)」と書いて「タオス」
と読むとされるものがあります。
これらは通例ではオ段長音となる所で、
長音にならなかったものです。
詰まり、想定すべき発音は「アウル」「タウス」なのです。
文字にすると明らかに異なって見えますが、
実際に発音してみれば、差が分かりにくいほど近いはずです。
母音三角形と呼ばれるものを御存じですか。
御存じない場合は下記を御参照くださいませ。
文字の上では「あいうえお」の母音は簡単に見分けられますが、
特に母音が連続するとき、その差は音声の上では曖昧になります。
母音三角形を見れば「あいうえお」が
飛び飛びな並びだと分かりますね。
これは母音を区別するのに適した順番です。
「いえあおう」や「うおあえい」だと、
切れ目が分かり難いばかりか、
滑らかに発音すると、妙な唸り声の様に響きます。
「ア→ウ」と「ア→オ」は母音三角形上の同じ辺を移動するもので
始点が同じで終点も近いため、非常に似た発音となります。
同様に逆側の「ア→イ」と「ア→エ」も混同され易く
「境目」が「サカイメ」なのか「サカエメ」なのか、
「生意気」が「ナマイキ」なのか「ナマエキ」なのか、
音声上では区別が付きにくいのです。
この様な場合、どちらが妥当かを判断するには、
文字を頼りにせざるを得ません。
渡り音の挿入と呼ばれる現象もあります。
渡り音は母音から別の母音に渡る時に発生する音のことで、
具体的にはヤ行やワ行の子音が該当します。
前舌母音の「イ」や「エ」から別の母音に渡る際はヤ行の子音が、
後舌母音の「ウ」や「オ」から別の母音に渡る際はワ行の子音が、
意図せず発声されることがあるのです。
「勢ひ」「気を付け」「不安」などで顕著です。
単独の仮名と違って単純に同音とは断言しがたい所ですが、
発音のみから表記が一つに決まらない以上は、仮名遣の領分です。
逆に通例「アオ」と読まれるべき綴りで長音化する例として
「直衣」や「赤穂」等がありますが、
あまり気にする必要はありません。
大筋としては、母音が続くところでは、長音化も含めて
発音の変化と仮名遣の差が出やすいと御留意くださいませ。
文字が離散的な一方で音声が連続的なことに起因する問題ですから
一端音声に変換すれば、大抵は解決するはずです。
結び
最後まで御読みくださり、誠に有り難うございます。
いかがでしたか。
少しでも仮名遣の理解に役立てば嬉しい限りです。
因みに、この記事の本文は、
説明のために例として挙げたものを除いて、
広辞苑前文方式で書いてあります。
広辞苑前文方式とは、漢字で書かれた所を除けば、
現代仮名遣でも歴史的仮名遣でも同じになる文章のことです。
もし、「歴史的仮名遣が分からない人向けの文章なのに、
歴史的仮名遣を使って説明するのは不親切だ」と思ったのであれば、
貴方は読む必要の無い振り仮名に気を取られてしまった丈なのです。
気になるのであれば、是非読み返して御確かめくださいませ。
律義に振り仮名を振らない限り、漢字かな交じり文では
歴史的仮名遣と現代仮名遣はそこまで大きな差が出ません。
この点だけでも憶えて戴ければ御の字です。
引っ掛かりを覚えるとすれば、字音の方ではないかと存じますが、
千を超える漢字が平然と読めるのに、
仮名遣を恐れねばならぬ理由はありますまい。