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140字小説『A子の日記』《完結済》

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140字連続小説で紡ぐ、A子の一生を綴る物語。Twitterで毎日更新をしていたものをまとめています。さっと読めるので是非!
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『A子の日記』#26

花見の前に立ち寄った墓地。スカートの裾を膝の裏に折り込みしゃがむ。やっと来れた。9年越しの想いをのせて、晴れ渡る空に一筋の煙がのぼる。「久しぶり。……これからママと会うよ。……大丈夫。ひとりじゃないから」横を見れば何やら必死に念を送る彼。自然と顔がほころんだ。「またくるね、パパ」

『A子の日記』#27

一人目は痛いらしい。今年の終わりに第一子の出産を控え、幸せと不安を毎日行ったり来たり。彼と結婚して、子供を授かって。幸せすぎる日々。私はこの子を育てられるんだろうか。彼と私の間に割って入るこの子に、愛情を注げるのだろうか。私は本当に親になっていいんだろうか。私は一人ぼっちだった。

『A子の日記』#28

踏切の手前で足踏みをする。病院は目と鼻の先だ。胸に抱えた娘はいつも泣きじゃくるのに、今日はずっと変な呻き声を出している。「もうちょっとだからね」鳴り止まぬ警鐘音。上がらぬ遮断機に苛立ちがつのる。銀色の車体が右へ左へ折り重なり、レールと車輪の接触が鼓膜を打った。早く開いて。お願い。

『A子の日記』#29

平日も休日も関係ない。彼女らはいつでも泣くし、疲れた時に限って牛乳をこぼす。「今日、怒りすぎちゃったかも。ごめんね」娘の天使のような寝顔をそっと撫でながら。どうしようもなく泣きたくなる夜がある。みんなが通ってきた道でも、私にとっては初めて。私の人生はもう私だけのものではないんだ。

『A子の日記』#30

「ほらね。言った通りになった。だってあなたは私の娘だもの」目の下に隈を抱えた母はすすり泣く私を嘲る。夫は受付で捜索願に必要な書類を記入していた。「あの子もきっと私たちを捨てて出ていくのよ」私は母をキッと睨んだ。「本当に家出なら私に負担をかけないためよ!だってあの子は私の娘だもの」

『A子の日記』#31

「ママ、ゆうくんがいないの」洗い物をしている私に娘が言う。去年娘が居なくなった。警察に捜索を頼むと、公園のブランコに乗って遊んでるところを発見された。あの日から子供達から目を離すのが怖い。私は慌てて家を探すと、息子は押し入れから顔を出す。「ママ、悲しいの?」私は息子を抱きしめた。

『A子の日記』#32

未来なのね、もう。くたびれた絵本の表紙を指でなぞると、たくさんの子どもたちにページを捲られてきたのがわかる。「ここにいたのか」扉が開いて夫が図書室に入ってきた。「覚えてる?」私が絵本を指し示すと夫は一瞬驚き、微笑む。あの頃と変わらない夕陽の輝きが、私たちを真っ赤に染め上げていた。

『A子の日記』#33

娘が口を聞いてくれなくなったと、仕事から帰ってきた夫は机の上でスライムのように溶けている。大人への成長の過程。彼女はこれから愛情を受けてきた父親を嫌って、他に誰か好きな男の子ができ、家を出るのだろう。私にもあったのかな?と思い、夫を見て気づく。「そっか。私、まだ反抗期してるんだ」

『A子の日記』#34

目印の黄色い靴下がピッチを駆ける。「いけー!そこ!そこ!シュート!」蹴り上げたボールがクロスバーに弾かれ、外へと逃げた。無情に鳴り響くホイッスル。少年たちは崩れ落ち、客席からはため息が漏れる。よくがんばった!がんばったよ。言葉の代わりに拍手を送る。赤く腫れ上がるほどに手を打って。

『A子の日記』#35

「もう成人式か〜」娘の晴れ着を選びながら、時流れを感じる。「ママとパパは成人式で再開したんだよね。いいな〜。あ、でもパパみたいな人は嫌だな」娘のそんな精神攻撃にもめげずに俺ほどいい男はいないぞ、とばかりに胸を張る夫。寡黙なとこがカッコ良かったのよ。と言うと「嘘だ!」と娘は溢した。

『A子の日記』#36

柔らかな光に体が溶け、ソファからこぼれ落ちてしまいそうだった。私の膝に頭をのせる孫娘はイチゴ柄のブランケットを羽織り、静かに寝息をたてている。クリーム色のカーテンが、1度大きく膨らんで私たちを飲み込むと、チン!という軽快な音がした。シロップ色の瞳が微かに開く。「おやつできたわよ」

『A子の日記』#37

ゆっくりする時間が最近増えた。若い頃は毎日が忙しなく過ぎ去り、何もかもが新鮮な経験だった。「暇だわ」旦那との会話は年々少なくなり、楽しみは孫が来る週末のみ。かと思えば孫が生まれたのは昨日のことのようだ。ゆっくり進む時計とは裏腹に私は確実に老いていく。鏡に写る自分にため息が溢れた。

『A子の日記』#38

ようやく下の子も嫁を娶った。これで私の役目も終わり。あとはただ平凡な毎日が続くだけ。そんなふうに考えていた時だった。「お父さん!お父さん!しっかりして!救急車!」上の子の叫び声が響く。何を言っているのだろう。あの人は寝てるだけだ。呆然と立ち尽くす私の手を孫娘が握る。強い力だった。

『A子の日記』#39

ラジオをつけたまま眠りにつく。何もない静かな夜は酷く恐ろしい。いつかくる死の匂いが、足下まで来ているかのようだ。あの人と死別して4年が経とうとしている。歳を取ったら死を受け入れられるかと思っていた。そんなのは幻想だって今ならわかる。「あなたはポックリと逝けて幸せね」静かに呟いた。