紅茶の歴史について詳しく紹介【日本安全食料料理協会】
ヘルシーで、嗜好品としても人気の紅茶。今では、日本でもあたりまえのように飲まれていますが、日本に伝わった当初、紅茶はとても高級な飲み物でした。この記事では、紅茶の歴史を日本に伝わるまでお話させていただきます。紅茶の歴史を知ることで、もっと紅茶を楽しむことができますよ。
茶葉の発酵を進めるうちに紅茶の誕生
紅茶の樹は、ウーロン茶と同じツバキ科の常緑樹です。原種は中国の雲南省からチベット、ミャンマーにかけての山岳地帯に自生していました。中国でのお茶は、有史前から葉を摘んで不老長寿の霊薬として大切にされてきました。
初期ごろには、薬として高貴な人達が飲むようになり一般化した飲み物となったのは6世紀以降と言われています。ヨーロッパにお茶が伝わったのは、17世紀で、海上貿易でオランダから、中国から伝わります。
その後、18世紀のイギリス貴族社会の中でだんだんと人気を高めていくことになりました。この時は、お茶は緑茶が主流とされていました。紅茶となった経緯は、はっきりとした定説はありません。
しかし、中国のウーロン茶系のお茶がヨーロッパ人に愛されるようになり、ウーロン茶を製造していた業者がニーズに合わせて発酵を進めているうちに、強く発酵した紅茶に行き着いたと言われています。これが、紅茶の誕生です。
喫茶の習慣が流行し大衆化
イギリスでお茶が売られるようになったのは、1657年、この頃は“万病に効く東洋の秘薬”とし扱われていました。しかし、1662年にチャールズ2世のもとに嫁いだポルトガルの王女キャサリンが、中国の茶と砂糖を大量に持ち込み、宮廷に喫茶の習慣を定着させました。
当時、貴重だったお茶と同じく貴重とされていた砂糖を入れて、毎日飲むのはとても贅沢な習慣です。のちに、この贅沢な喫茶の習慣はだんだんとイギリスの貴族社会に広がりを見せるようになりました。
初めてお茶が商品として飲まれたのは、イギリス貴族や文化人の社交場となっていたコーヒーハウスです。17世紀の中頃に、コーヒーハウスがだんだんと一般人の間でも開かれるようになり、紅茶が家庭でも飲まれるようになりました。
このことから、食料品店でも販売されるようになり市場も拡大するようになります。19世紀に入ると、イギリスが植民地のインドやスリランカでお茶の栽培に成功し、19世紀末迄には中国紅茶を凌駕するようになりました。
日本に紅茶が伝わった明治時代
日本に初めて紅茶が入ってきたのは、明治20年でした。しかし、このころ輸入された量は100キログラムと言われています。ヨーロッパ文化のあこがれとしてイギリスから伝わり、紅茶が日本の茶の湯の伝統に匹敵する舶来文化として上流階級ですぐに人気となりました。
輸入が自由化された1971年以降は、日本で販売される紅茶が輸入品に切り替わります。日本の紅茶は、ティーバッグ、缶入り紅茶ドリンクなどが開発され、飛躍的に増加しました。同じくして、リーフティーへの関心も高まり、紅茶の魅力が伝わり続けています。
日本安全食料料理協会には紅茶アドバイザーの資格があります。こちらの公式サイトから確認できるので、チェックしてみてくださいね。
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