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泣ける話「母の席に座ってください!」

協会の4級講義の5章サービスとホスピタリティ、で
よくお話をさせていただく一期一会のお話を書かせていただきます。
このコラムでも何度も紹介をしていますが、
私はこの話は今読んでも泣けます。
一度、是非、読んでみてください。
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結婚式の披露宴が出てくる話ですので、披露宴⇒フルコース(食事)、
また「母の席」とは披露宴の席の事ですので、食に関するお話でもあります。
私がフードアナリスト講座のホスピタリティを学ぶ章でよくお話させていただく話です。
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「母の席に座ってください」

新米の先生が5年生の担任として就任した時、
一人だけ服装がだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかり記入するようになった。
 
ある時、少年の1年生からの記録が目に留まった。

「朗らかで、友達好きで、誰にでも親切で、勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。
先生は間違いだ。ほかの子の記録に違いない。
そう思った。

2年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻する」と書かれていた。
3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」
そして後半の記録には、「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」とあり、
4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子供に暴力をふるう」とあった。
先生の胸に痛みが駆け抜けた。
ダメと決め付けていた子が突然、
深い悲しみを生きている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
 
少年は輝くような瞳と笑顔で「はい!」と答えた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習・復習を熱心に続けた。
授業で少年が始めて手を挙げた時、
先生に大きな喜びが沸き起こった。
少年は自信を持ち始めたのだ。
クリスマスイブの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
後であけてみると香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその香水を身につけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で一人本を読んでいた少年は、
気がつくと直ぐに飛んできて、先生の胸に顔を埋めてさけんだ。
「ああ、お母さんの匂い! 今日はなんて素敵なクリスマスだ。」
6年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」
 
それから6年後、またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらってとても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができました。」
 
10年を経て、またカードが届いた。
そこには先生と出会えた事への感謝と父親に暴力をふるわれた経験があるから
患者さんへの痛みのわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕は5年生のときの先生を思い出します。あのままダメになってしまう僕を救って下さった先生を、神様のように感じます。
医者になった僕にとって最高の先生は、5年生のときに担任してくださった先生です。」

そして1年後。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください。」と一行書き添えられていた。
 
このお話は、私の尊敬するI師からお送りいただいた手紙に書いてあった話です。
新任の先生は当時22歳。学校を卒業したばかり。
勉強の教えかたについての意気込みはあったそうだが人を育むという「本来教諭が身につけていなければならない」ものを少年によって再認識させられたそうです。
少年の過去、生い立ち、環境を知ったことで目を開かされた先生。
先生との縁と深い愛情で自分を取り戻した少年。
たった一年の担任の先生との縁が、少年を闇から救い無限の光をみつけさせた。
先生との縁を拠り所としてそれからの人生を生きた。
ここにその少年のすばらしさがあります。

最後にI師は、このように手紙を結ばれていました。
「人は誰でも無数の『縁』の中に生きている。
無数の縁に『育まれ』、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかではないだろうか。」
「そして、縁とは与えられるよりも、与える側になりたいものである。」


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