嫌だと言う気持ちを我慢すること

先日、自閉症の子供達の放課後スクールでの体験について書いたが、手短にまとめると


⚫︎身体の大きな自閉症男児に無遠慮に触られるのが非常に嫌であった

⚫︎彼の母君からは「嫌だと言う気持ちは我慢しなくても良い、嫌だから触らないで、そばに来ないでと言っても良い、むしろそうして欲しい」と言われた

⚫︎しかし障がい児の子育てに関わる機会のない若い女性(しかも初対面の他人)には、それはかなり難しい・難しいどころか不可能である

⚫︎なぜなら、その急接近してくる子が障がいのある男児なのか、性犯罪目的の痴漢なのか、の区別は付かないからである

⚫︎故に、性的に嫌だと思うことを我慢してまで障がいを持つ身体の大きい男児に接するのは苦痛である

⚫︎結論として、個人の優しさや地域ぐるみの支援だけではなく、障がい児の性的な分野に関しても適切な行政サポートがもっともっと成長すべきである

………

しかし、通りすがりの子育て当事者の方から、
この記事自体が不愉快であったとコメントを頂いた。

考え込んでしまった。

たとえ親であっても、我が子が性的興味を持つことを抑制するのは難しい。
そこには健常も障がいも関係ない。

どちらも言葉で教える/社会生活から学ばせる
ことで、異性に興味が出てきてもそれを人前で公にすべきでないことを教える必要がある。

言葉で学べる子は親や社会生活の中で人権やマナーを肌で感じ取り理解出来る。

しかしながら
言葉で人権やマナーを理解できない、実践できないタイプの子はどうしたらいいのか。

地域の大人が、我が子のように接して
時には叱り、時には寄り添って社会生活を教える…のは理想的だが、こと性に関する事柄は、たとえ志のある地域の大人でも踏み込めない部分ではなかろうか。

障がいを持つ児童が、幼い間はかまわない。
地域の大人がみんなで関われば良い。
しかし、性的興味を持つ年頃になったなら、
「地域で、みんなで」と言うのはどうなのか?と思うのだ。

私がくだんの自閉症児の放課後スクールで我慢していたのは、
座っている私の膝や腿を眺め、触ろうと近寄ってきたり、不必要にもたれかかってくる、私より身体の大きな小学生男児だった。

私は当時、自分を「いわば理解のある子育て支援者だ」と評価していたから、この子は障がいがあるから仕方ない、性的興味を持つ年齢なのだし、ジロジロと胸や腰を眺められようが多少触られようが、ここはそういう子供達をサポートする施設内なのだし…と自分に言い聞かせ、我慢し続けた。

だが、過去に遭遇した性的被害を思い出し、大層苦痛を味わう羽目になった。

私の中では、相手に障がいがあろうとなかろうと、
男から剥き出しの性的興味をむけられる、
それ自体が大変な苦痛であったのだとその時思い知った。

その私の様子を見て、彼のお母上が言った言葉が先日の記事の、「我慢しなくても良いんです、見ないで触らないで、近くに来ないで、と怒ってください」そうしないとこの子にはわからないので… であったのだ。

長い間、その当時の出来事について
私は考えていた。

私は当時、支援者として施設に赴いた。
なので、ああ、やめてと言って良いんだな、と言うのは救いであった。

だがしかし。
私のような「多少でも理解のある」者ばかりではない…この社会を構成する人々は。

彼のお母上が私に言ったのは結局、
「うちの子は障がいがあるから、無遠慮に触ったり見たりして性的に嫌な思いをさせてしまうかもしれないけれど、スルーしてね。嫌だったら叱ってね」と言うことなのだが、あくまでも地域社会の他人が協力してくれる前提の物言いである。

その感覚は、地域ぐるみでの対応が前提なのだ。

しかし

私ではなく、
初対面の、支援に理解も慣れもない、
過去に性的被害を受けた経験のあるかもしれない地域社会の通りすがりの女性だったら?

スルーしてね、叱ってね、では済まない。

嫌な思いをさせたのなら謝罪があるべきである。
痴漢でないのなら、それを証明する手立てが必要だし、誰かに性的な嫌な思いをさせないよう、事前に対処するべきなのだ。

だとしても急にじっと見られたり声掛けされたり触られたりした時点で、たとえ相手が障がい児だったとしても、相手は性的に嫌な思いをさせられてしまう。

それすらも、地域で子育て!という大義名分のためにスルーされるのだろうか。


私の先日の記事に、不愉快でしたとコメントをくださった方も、自分が不愉快であったという内容に終始し、私が性的に嫌な思いをさせられたことに対する関心は感じられなかった。

実は、当時この問題に答えが出せなかったために私は、それ以降支援者としては障がいのある子の子育てに対しては袋小路に嵌り、全面的に関わることをやめてしまった。


障がいのある子の子育てやサポートに、関わりたくない人の権利をどう守るのか、という部分はずっと見過ごされてきたからだ。

関わりたくない人がいる?
そんな心無いことってあるの?
悲し過ぎる!

確かにそうだ…

だが、性的に嫌な思いをさせられた場合、相手がたとえ障がいを持つ子供であったとしても、二度と同じ目には遭いたくないと思う人がいるのは確かなのだ。

優しさだけでは立ち行かないものがある。

だから私は提案したのだ。
【さらにさらに尽力すべきはボランティアに頼らない行政サポートではないか?】と。


この記事に関しても、
もしも不愉快に思われた方がおられるなら、
まずそもそもの最初に
障がいのある異性の児童に、性的に不愉快な思いをさせられたのは、当時支援したいと願っていたはずの筆者である、ということを思い出して頂きたい。

差別や侮蔑ではない。
長年見過ごされてきた問題の提起と
とらえていただきたいのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以下は先日の記事に追記したものである
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

障がい児の子育て支援について

地域の大人の善意無償のサポート
行政サポート
NPOなどの任意団体の組織サポート

これらを子育て当事者が選んで利用することは可能だが、「サポート体制を示していないその他の人」に対して関わるべきだと要求することは不可能。
さらに「サポート体制を示す以前に関わりたくない、怖い、嫌だと感じる人に対する配慮」は皆無。

障がいを持つ子どもが
①相対する知識やスキルを持たず
②関わりたくないと感じる
③異性の他者に
嫌な思いをさせてしまうことについてはどう処理するのか

「うちの子は障がいがあるから、無遠慮に触ったり見たりして性的に嫌な思いをさせてしまうかもしれないけれど、スルーしてね」では済まない。
嫌な思いをさせたのなら謝罪があるべきであり、さらにそれを繰り返さないように育てることが求められる。

関わりたくない人の権利をどう守るのか、という部分はずっと見過ごされてきた。

優しさだけでは立ち行かないものがある。さらにさらに尽力すべきは行政サポートではないか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?