自分で選んでよかったこと

…なんてハッシュタグを見つけた
(応募する気は無し)

私にとって自分で選んで良かったと痛感するのは、宗教、である。

生まれながらに、所謂カルトと分類されるとある宗教を信奉する祖母と母親に育てられた(三世と称される)。

自分で選んだ人生など、ほんの少ししか記憶にない。
食べ物、着る服、読む本、テレビ番組、友人、話す内容、祝う日、進学も就職もすべてが教理を基準に選ぶよう強制され、その他の世界線を知ることも封じられていた。

私にとって他の世界を知るための窓は、母の検閲を掻い潜って得た児童文学の書籍しかなかった。
所謂良書、学校の課題図書などである。

それによると、
宗教とは自分で選ぶべきもので
父親とは子供を愛する人間の男であること
信心は自由であること
信仰は時に差別や戦争の原因になること
など、叩き込まれている教理とは驚愕するほど真逆であったりした。

もちろん、宗教を持つかどうかも、自分で選んで良いのだということを知れた。
私はだから、貪るように外の世界の本を読んだ。
それだけが、自分で選んでよかったもの、である。

外の世界を知るにつれ、次第に自分の置かれている状況の異様さに気がついた。

しかし生まれながらに制御されている思考を変えるのは困難を極めた…
笑われるだろうけれど
決死の覚悟で母と祖母とそのカルトを抜けた。
犯してもいない罪を犯したと嘘を吐いてまで脱出を図った。
教理ではそんなことをすれば神からの粛清が約束される。

笑うなら笑え
私は本当に死を覚悟しながらその後10年以上を努力して生きた、いつ死ぬのだろう(殺されるのだろう)と怯えながら。

けれど、やっとこの頃
自分でこの道を選んでよかったと思えるようになった
自分で選ぶ、というのは
世の中の大抵の人が思うより尊いことなのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?