理不尽さの先に在るもの.

ちょっと現在進行形で理不尽な目に遭っている.
複数の人間がかかわっているので具体的に書けないのだが(じゃあ書くなよって話にもなるけど),自分に落ち度はない(これは確定),つまり巻き込まれた形で自分だけがその理不尽さを体験させられている.
今回の件で一番不思議に思えるのは,理不尽を突きつけてくる相手は,「なぜその様にマイナス思考なのか」「プラスのエネルギーにかえるんだ」という主張をされる.
いやちょっと待て,と.
そもそもその「マイナスな考え」を引き出したのはそちらの対応が原因だろ,と.
しかしその先方はこちらが悪いのだ(落ち度はないけど,悪いらしい)と言う.
これだけ生きてくると,様々な理不尽な目に遭ってきたが,今回の件は別格.
軽口を叩いて話のネタにしようという気も起きないレベル.
確かに,こちらに理不尽を突きつけた結果,先方はプラス思考でいるようだ.

今回のnoteは頭が整理されていないので,しばらく経つと削除するかもしれない.
それでも,こうやってアウトプットして向き合わないといられない.

この理不尽さの先に在るものって何だろう,って思う.
何かを自分が学ばなければならないのだろうか.
いや,学ぶべきだというのは,分かる.

しかし,生きるってそんな単純なことじゃないだろって気もする.
前に進むだけが人生じゃないし,生きるってことじゃない.
立ち止まり,立っていることも難しく,蹲るしかない時もある.
後ろ向きになってどんどんさがっていく時もある.
前向きに生きることがこれだけ礼賛される社会で,生きづらさを抱えている人が多く居るのだな,と思う.

今回の件で自分が学ぶとしたら,そういう生きづらさを抱えている人に寄り添える人間になりたいな,と思えたことかな.
でも,それってずっと昔から自分の中に在ったものだ.
正直者は馬鹿を見る,ではないけれど,馬鹿を見たならみたなりに,何とかやっていかなきゃね,と思っている.

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