「おちょやん」にみる『学びへの意志』

「おちょやん」観てますか.面白いです.本も良く出来てるし,演出もキャストもカチッとはまって,さすがNHKやなぁ,と思います.そんな中,早速"視聴率20%割れ”とかどーでもいいことがネット記事になったりしてるんですが,ほんとどーでもいいことを書きたがる人っていますね.どーでもいいことを書かざるを得ないというか.まぁほんまどーでもいい.

そんな話じゃなくて,昨日(12/09)の「おちょやん」観てて,「学ぶってこういうことだよな」と思うことがあって.

お茶屋で奉公を始めた主人公の千代が,初めてお芝居を目にする回でした.

前半で,千代が「字なんか読めなくても困らん」という場面がありました.同い年の子二人が,本を読んで楽しそうに笑い声をあげていた場面です.千代の,「字が読めなくても困らん」というのが本音だったのか,強がりだったのか,或いはその両方か.

その後,劇場に届け物をした千代は,成り行きで初めて芝居を目にすることになります.そして千代は初めて観る芝居に夢中になるのです.夢中になるあまり,劇場から出ても,また入ろうとします.奉公仲間の姉さんが何度も止めますが,それをふりきって入ろうとします.

そんなやりとりが続いたところ,劇場支配人が出てきます.支配人は,千代の熱意にうたれたのか,上演している劇の脚本を渡してくれるのです.

喜ぶ千代.
しかし,字が読めません.ここで前半の,「字が読めなくても困らない」という伏線が生きてくるのです.
同い年の子が本を読んで楽しそうにしていても,「字なんか読めんでもいい」と言っていた千代.しかし千代は,もらった脚本を読みたいがために,字を読もうとします.
千代の奉公先を常宿にしている喜劇一座の息子(先に紹介した同い年の子の一人です)に「字を教えてくれ」と頼み,脚本にルビをふってもらい,あいうえお表まで書いてもらいます.
仕事が終わり,夜遅くなっても,月明かりの下で夢中で脚本を読みます.
没頭して,読み耽ります.

これこそ,「学びのへの意志」が備わっている姿,と言えないでしょうか.
同い年の子が本を読み,楽しそうにしている.
でも,自分とは違う世界,関係のない世界だ,ましてや自分の仕事に字の読み書きなんか関係あらへん.
そう思っていた子が,「仕事で必要だから」といった消極的な理由ではなく,「自分が憧れているもの,好きなものに近づきたいから」といった理由で字を読もうとします.

「やりたい」,という意志ですよね.
さて,この「意志」を今の学校でどれだけ育てているか,子どもの中から引き出そうとしているか,或いは育てよう,引き出そうという環境をつくっているか.
どうですか.
おそらく子どもが学びたい,伸びたいって思う時って,自分が夢中になれるもの,憧れるものを見つけた時なんですよね.
特に低学年の時って,そういう時間や環境を大切にしたいじゃないですか.いや,大切にしたいと,僕は考えています.
教科の縦割りで「教科書にこう書いてあるから」とか「教科書の配列がこうだから」ではなく,子どもがくらしの中からやりたいことを見つけてきて,それに教科の内容をくっつけていく...みたいなことが出来る学校をつくりたいなぁと考えています.

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