嫉妬しないという才能

人は自分を高く評価してしまいがちだ。
それはいわゆる 自惚れ に限った話ではない。俺オタクだけどチー牛じゃないだとか、自分は歯に衣着せずに意見できる立場にいるとか、割と瑣末なところで自己への過大評価はたえず行われている。そうすると安心するし、自己肯定感も高まるので、それ自体は悪い事とは思わない。

しかし問題は、現実にはそんな自分を上回る能力や実績を持つ人間がいるということ...。その人間を目の当たりにして「羨ましい」とただ感じられるほど、人間は素直に作られていない。羨ましいと感じることは、自分の負けを認める事でもあるから、実はとっても悔しい事。だから自己を悔しさから守るために、それを感じさせた相手を恨む。これがいわゆる「妬み」だと思う。

だけど複雑なのはこれからで、自分が妬んでいるなと感じることはもっと辛い。少なくとも俺はそう。妬みも結局、羨ましさが派生した感情だから、負けを認めてる事に変わりがない。

そんな時に人間はどうするのか?
人間は羨ましいと感じたこと、そこから派生して妬んだこと、これら全ての過程を心の奥に閉じ込めて、その人の事を「嫌い」になると思う。その状態に陥ると人間は、たまたま相手に起きた不幸を喜ぶ事も厭わない。その人に対する負の感情を「正義感」に転換させてしまう人もいるだろう。正義感に関しては、著名人やインフルエンサーにつくアンチのことを考えるとイメージしやすいんじゃないかな。

で、本当に成長できる人は、多分このへんの感覚が無いのだと思う。その感覚があったとしても、それを負の感情ではなく、自分が成長する為の原動力にできる人は強い。こればかりは意識だけでどうにかなる差じゃない。圧倒的な壁を前にどう思えるかも、きっと「才能」なんだろう。

「学ぶことは素直になること」
この言の葉の意味が、本当の意味で分かり始めた21歳3ヶ月。
まだまだ敵は己。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?