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『凸凹息子の父になる』17 老犬と子犬

 我が家の老犬ポチは、私が独身の頃からの家族で、長年苦楽を共にして来た。子ども達の人気者で、翔太もポチが大好きだ。
 けれどポチの方は、息子が背中に乗ったりするので、かなり迷惑していた。

 ある日、翔太の馬鹿笑いとポチが吠えているのが聞こえてくる。見るとポチの両耳が、靴下のように裏がえしにされていている。
 ポチは気持ち悪いのか、後ろ足で耳を元に戻そうと必死だ。それを見て、翔太も自分の足で自分の耳をかこうとしている。
 全くとんでもないことを、思いつく奴だ。
 私が来ると、ポチは目で助けを訴えた。

「よしよし、お前も災難だったな」

 私は、裏返った耳を元に戻してやった。そして少し怖い顔を作り、息子に言った。

「翔太、ポチの耳で遊んだらダメだよ」

 それでも息子はまだ、ぎゃははーと笑っている。私の言葉を理解しているかどうかは、甚だ疑問だった。

 ある日、ポチが家出した。温和な犬だったが、老犬は翔太と遊ぶのに疲れたようだ。
 私はポチの写真と自宅の電話番号を載せたビラを作り、妻と手分けして方々を探し回った。地区の緊急放送やケーブルTVでも放送してもらい、情報提供を呼びかけた。
 しかし一日経っても二日経っても、ポチは見つからない。

「首をかしげた犬が山に入るところを見た」

 という情報をもらい山にも探しに行ったが、それでも見つからなかった。

 そして三日目、万策尽きた私は両親の墓参りに行った。そして墓参りから帰宅すると、電話が鳴った。
 有難いことに親切な方が、ポチを保護して下さっていて、さっそく迎えに行った。

「お宅のワンちゃんでしたか。お行儀よくされていましたよ」

「本当に有難うございました。さ、帰ろうか」

 しかしポチは、何だかよそよそしい態度で私の顔を見ようともしない。何だか家に帰りたくなさそうだ。
 こちらで、かなり厚遇されていたのだろう。

「やれやれ、また、やんちゃ坊主に遊ばれるのか」

 もしかしたらポチは、そう思っていたのかもしれない。 

 年が明けた。今年は戌年だ。
 子供たちは日に日に成長し体力も増していたが、それとは反対にポチの体力が落ちてきた。散歩に行っても、すぐに帰りたがる。
 獣医の話では、もう長くはないらしい。そんなポチに対し、翔太を含めて子供たちは優しく接し、穏やかな日々が続いた。

 外は寒いので、ポチは家の中で過ごした。二月になるとポチは餌を食べなくなり、眠ってばかりいた。
 時々、目を覚ますと不安そうな顔で私を見る。

「大丈夫、ここにいるよ」

 それから毎晩、子供たちとポチの為に歌を歌ってやることにした。
 私たちは、代わる代わるポチを撫でながら歌った。するとポチは、安心したように眠りについた。

 けれども明け方、胸騒ぎがしてポチの様子を見ると、呼吸が荒く苦しそうだ。死ぬのが怖いのだろうか。怯えたように目を見開き、震えていた。

「怖くないよ。大丈夫。光が射す方に向かってごらん」

 私は、ポチを抱いた。
 ポチは泣いているような目で、じっと私を見た。

「ありがとう、ポチ。向こうは、きっと良い所だよ」

 しばらく私をみつめていたが、やがてポチは目を閉じた。別れの時が来る。
 その時、何かを感じたのか妻と子供たちが起きてきた。

「どうしたの?ポチ、どうしたの?」

 長女が心配そうに聞く。

「お別れの時が来たんだよ」

「死んじゃうの?」

「そうだよ。みんなで、ありがとうを言おう」

 娘たちは泣き出した。泣きながら、ポチにすがりついた。

「ポチー、ポチー」

 けれど、ポチは目を開けなかった。

 翔太は、黙ってポチの頭を撫でる。娘たちは深く悲しみ、慰めようもなかった。

 次の日、翔太は犬小屋を覗き込んでいた。ポチのいなくなった犬小屋は、寂しげに見える。翔太は、いつまでも小屋の中を見ている。
 そんな息子の姿を見るのは、辛い。ポチが死んだことも辛いが、子供たちが悲しむことの方が私には堪えた。

 一カ月後、獣医さんから保護犬の里親を探しているという連絡があった。
 獣医の話では、公園に捨てられていたオスとメスの二匹の子犬を保護施設から引き取り、予防接種も済ませているので見に来ないかということだった。

 ポチとの悲しい別れの後、しばらく犬は飼わないつもりだったが、捨て犬が殺処分されるのも忍びない。
 そこで家族と犬を見に行った。

 二匹はオスとメスだった。生後一ヶ月で、ムクムクと太っている。

「可愛いー、二匹とも連れて帰っちゃダメ?」

 子供たちは無責任なことを言うが、流石に二匹は飼えない。何とか説得して、オスの子犬を飼うことにした。

 子犬はコロと命名された。子供たちは現金なもので、あんなにポチとの別れを悲しんでいたのに、ポチのことは忘れたかのように子犬を可愛がっている。

 しかしコロは、まだ赤ん坊なので、夜泣きが酷い。毎朝、必ず4時半になると、夜泣きで起こされる。
 翔太もよく泣く赤ん坊だったが、コロも鳴き声が酷い。かなりの近所迷惑だろう。

 子犬は少し大きくなると、しょっちゅう脱走した。脱走しては、ご近所の犬を一軒一軒訪ね、吠えられては帰って来る。
 一度帰って来て餌を食べると、またフラフラと出かけてしまう。そして動いているものを追いかける習性があり、走行している車にも向かって行くので危ない。

 私は何度も繋ぎ直したが、その度に子犬はイリュージョンのように首輪をすり抜けてしまう。その度にあちこちで犬が吠え、車のクラクションが鳴るので、コロが逃げたことに気づかされる。

 慌てて捕まえようと追いかけると、彼は嬉しそうに逃げてしまう。なので、こちらが逃げることにした。
 案の定、コロは家まで私を追いかけて来る。

 どうやら首輪のサイズが、あっていないらしい。私は新しい首輪を買って、つけてやった。新しいピカピカの首輪に、コロは嬉しそうにしていた。

 ところが私が仕事に戻ると、やたらと吠える。何事かと見に行くと、なんとまた首輪からすり抜けているではないか。
 そして私に、ちゃんと繫ぎ直せとばかりに吠えるのだ。

「いや、そういうことじゃないだろう。そもそも首輪から、すり抜けるお前が悪いんだろう」

 そう思いながら、首輪の留め金の位置を一段階きつく締めた。これで、逃げなくて済む。コロは安心したように、グルグル庭を駆け回る。
 全く、利口なんだか馬鹿なんだか。変った犬だ。

 もう一つ変わっていたのは、コロはいつも犬小屋の屋根で過ごしていたことだ。ピョンとジャンプして、屋根の上でバランスを取りながら、あちこちを見渡す。視界が広がるのが、面白いのだろう。

 それから、必ずフードを一口残す。すると残った餌を目がけて、一羽のカチガラスがやって来る。
 カチガラスは、友達の様だ。
 コロは毎日、自分のフードを残して、友達をもてなしていたのだ。

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