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『凸凹息子の父になる』9 とある日の惨事


 今日は、隣の市にある県立宇宙科学館に出かけた。
 山の中に建つ科学館の建物は、SF映画の巨大な宇宙船か宇宙基地のような外観だ。
 ニ階にある入場口までは、正面の広くて長い階段を上らなくてはならない。階段の横にはエレベーターもあったが、妻は迷わず翔太を抱いたまま、階段をズンズン上り始めた。

 妻は、赤ん坊を抱えていても、階段を回避しようとは思わないらしい。そして彼女は、行動が素早い。私と娘たちが階段を上っている間に、さっさとチケットを買いに行ってしまった。
 私たちが入場口にたどり着くと、もう妻は翔太を貸し出し用のベビーカーに乗せて待っている。

「エレベーターもあったよ」

「そうなの?気づかなかった。まあ、いいや」

 そう言いながら、妻は私に私と長女の分のチケットをくれた。県の施設なので、料金が安い。家族そろって2000円ちょっとで一日中遊べるので、こういう税金の使われ方は納税者としても納得できる。

 我々はガラス張りのエレベーターに乗り、三階から見学した。そこはフロア全体が宇宙船仕様になっていて、今にもジュラルミンの自動ドアから、ダース・ベイダーが登場しそうな雰囲気だ。

 宇宙船のアトラクションもあり、娘たちと三人で挑戦した。宇宙空間に飛び立つと、隕石が飛んで来たり宇宙船が故障したり、みんなで心を合わせて色んなミッションにトライしなければならない。なかなかスリルがあって面白かったが、次女は少しだけ怖がっていた。

 二階には、いろんな実験装置がある。子供たちは、凹凸の鏡張りの空間に入り込んだり、巨大なシャボン玉の中にスッポリ入ったり、自転車を漕いで発電したりして喜んでいた。 

 特に娘たちが気に入ったのは、空港の手荷物検査場を再現した装置だ。彼女たちは、すっかりCA気取りで、自分たちや私たちの持ち物をX線で透かして見て、面白がっていた。

 二階からゆるやかな下り坂の通路を下りて行くと、一気に恐竜時代にタイムスリップする。歩いていると頭上や足元で、恐竜の鳴き声や足音が聞こえるので、翔太が怖がった。

「大丈夫、大丈夫、本物じゃないよ」

 それから地中を再現した空間になり、地震体験マシンが現れた。

「乗ってみたーい」

 長女は、何でも挑戦したがる。

「大丈夫かな。きっと怖いよ」

「乗る、乗る」

 私は長女にせがまれて、二人でマシンに乗り込んだ。

 おどろおどろしいナレーションが流れたかと思うと、地殻変動を模して赤い光と音が炸裂し、振り落とされそうな勢いでマシンが揺れ動く。

「きゃははー」

 長女は大喜びだった。対して私は、平静を装ったものの実は怖かった。

 さらに進むと、細い通路を抜けた先の広い空間には巨大な円形の水槽があった。そこには地元の水草や水辺の生物が一同に集められ、ビオトープが形成されていた。
 メダカの群れや、透明の海老が泳ぐ様子が側面から見ることができる。翔太は夢中で、見ていた。この男は、夢中になるとヨダレが垂れる。

「翔ちゃん、お腹すいてるみたい」

 長女が指摘する。

「そうだね、パパもお腹すいたな。ご飯にしようか」

 我々は売店で弁当を買い、外のテラスに出た。テラスの正面には芝生があり、奥には湖が広がっていた。湖には白鳥型の足漕ぎボートが、浮かんでいる。

 弁当を食べ終わると、プラネタリウムの時間までキッズルームで過ごした。キッズルームには、動物の形をした木製の遊具が作りつけになっており、小さな子供が安全に遊べるようになっている。
 子供たちは、足で歩いて鳴らすピアノを鳴らし、キリンの背中の滑り台を滑り、動物のお腹のトンネルにもぐって遊んだ。

 そして、プラネタリウムの時間になった。プラネタリウムの椅子は、最高に座り心地がいい。椅子を倒すと、そのまま眠ってしまいそうになる。やがて照明が消えると、ドームいっぱいに満天の星空が現れた。

「うわあー、きれーい」

 娘たちの叫び声と共に、ゴーっというイビキが聞こえてきた。そのでかいイビキの主は、翔太だった。赤ん坊のくせに、どこの親父かというようなイビキをかく。
 そのイビキにつられて、私も眠ってしまった。500円を払って昼寝をしたようなものだったが、そこには眠くなる条件の全てが揃っていた。多分あの時間、あの場にいた多くの人が寝ていたと思う。

 いつの間にか、プラネタリウムが終わった。

「ああ、気持ちよかった」

「寝てたの?」

「さあ、どうかな?」

 妻に聞かれると認めたくはなくなるが、私は昼寝のお陰でエネルギーをたっぷりとチャージした。この後は、温泉に行くことになっている。

 この辺りは温泉でも有名だ。江戸時代の殿様の専用風呂で、シーボルトも入浴したと言う「殿様湯」は、1時間ごとの貸切り風呂で、家族全員で入ることが出来る。

 朱塗りの楼門をくぐって建物の中に入ると、二間続きの控えの間があり、浴場に続く。
 浴室の天井と壁はヒノキで作られ、明かり取りの障子には擦り硝子がはめられている。そして階段を三段下りたところの浴場の床と浴槽は、黒と白の大理石で市松模様になっている。

「広いねー」

「お殿様のお風呂だよ」

「お殿様、一人で入ってたの?」

 知りたがり屋の長女は、何でも聞いてくる。

「たぶんね。それで家来が隣の部屋で待機してたんだよ」

「家来は入らないの?」

「どうだろう」

 妻が言った。

「お殿様の後に入ったんじゃない?一人だけじゃ、お湯がもったいないし」

 なるほど。妻の意見は現実的だ。昔は、風呂を沸かすのも今より大変だっただろう。それにしても風呂は立派すぎて、私のような庶民にとっては少々居心地が悪い。

 風呂から上がると、肌がサラッとしている。子供たちの体を拭いてやっていても、いつもよりスベスベになっているのが分かった。

 控えの間には氷水の入ったポットが置いてあり、しっかりと水分補給をした。

「お水、おいしいね」

「汗をかいたからね」

 風呂から上がって車に乗ると、すぐに四人とも寝てしまった。私は、FMラジオをつける。軽快な音楽が日曜日の夕方の車中に響いた。

 家に到着し、カーポートに車を停めた。子どもという生き物は、大人が目を離した隙に何をするか分からない。だから車の乗り降りは、慎重になる。いつも荷物を先に降ろし、周りの安全を確認してから子ども達を降ろす様にしている。

 今日も、妻と子ども達を車に残した状態で、私はウッドデッキ側からリビングに通じるドアを開けた。さあ、帰り着いたぞ。
 ところが、ホッとしたのも束の間。ドアを開けると、家の中から水の流れる音が聞こえてくる。

 「えっ?何で?」

 急いで中に入り、目にした光景に驚愕した。なんとリビングには小川が流れ、足元に池が出来ている。
 その小川の源は、ダイニングに突如出現した滝だったのだ。

「なんで、こんな所に滝が?」

 天井を見上げると、四隅にはめ込まれたダウンライトの穴の一つが、滝の噴出し口になっている。

「なんだ、これは?」

 私は急いで、二階に駆け上がった。するとトイレのドアから、水が流れ出している。ドアを開けると手洗い用の蛇口が開きっぱなしで、なおかつ排水口がコップで塞がれていた。 
 蛇口から流れ続ける水はコップを満たし、コップから溢れ出した水が天井裏に流れ込み、ダウンライトの穴から階下に落水していたのだ。

「なんてこった、また奴の仕業だな」

 私は急いで蛇口を閉めて車に戻り、妻に状況を報告した。

「わかった。じゃ、晩御飯も、お弁当にしよう。今から、子どもたちを連れて買いに行ってくるね」

 私は妻たちが弁当を買いに行っている間、床に溜まった水をバスタオルで吸い取っては絞り、吸い取っては絞るという作業を、何度も繰り返した。
 そして最後は二階から一階まで、家中の床を拭き上げた。
 全く息子には、世話を焼かされっぱなしだ。休日だというのに、休まるどころか疲れるばかりだ。しかし、お陰で床がピカピカになったから、善しとしよう。

 掃除が済んだころ、妻と子どもたちが帰って来た。私は、家族に念を押した。

「天井裏に照明の配線が通ってるから、今日は電気を点けちゃダメだよ。濡れてるからショートして、火事になったら困るからね」

「わあ、こわぁ」

 その夜は、災害時用のランタンと懐中電灯の明かりで食事をした。

「なんか、キャンプみたいね」

 妻が言うと、長女が

「じゃあ、テントで寝ようよ」

 と言い出した。

「テントがいい」

 次女も、長女に賛同した。

 子どもたちは本格的なキャンプはしたことがないのだが、家の中に小さな簡易テントを張って、キャンプごっこをするのが好きだった。

 夕食が終わると、子どもたちはパジャマに着替えて、歯磨きを済ませる。。そして妻がテントを広げると、彼らはテントに座布団を敷き詰めた。そして枕とタオルケットとランタンを持ち込み、中に入って行く。
 さあ、どうやって寝るのだろう。どう考えても、ギュウギュウだろう。そう思ったが、黙って見守ることにした。

 外から見ていると、テントが揺れている。何やら中で、揉めている様だ。
 妻と笑いながら見ていると、長女がプンスカ怒りながら出てきた。

「もう、みんな真面目に寝てくれないから、ベッドで寝る」

 すると他の二人も出てきた。テントの中は暑かったらしく、三人とも汗をかいていた。私は子供たちの汗を拭き、麦茶を飲ませた。
 真っ暗なキッチンで、冷蔵庫の明かりが眩しく感じられる。冷蔵庫の電気は配線が別なので、影響がなくて良かった。

 私は子どもたちと一緒にベッドに寝転んだ。縁側の網戸からの風を感じながら、うちわで煽ぐ。空には、レモン色の月が光っている。

「お月さまって、どうやってお空に浮いているの?」

 長女の質問が、また始まった。

「うーん。上手く説明できないなあ」」

「落ちてこないの?」

「うん、落ちてこないよ」

「なら、良かった。じゃ、寝る」

「うん、おやすみ」

 間もなく三人とも寝息を立てて、眠ってしまった。

 子どもの寝顔は、いつまで見ていても見飽きない。悪戯の限りを尽くした翔太でさえ、眠ってしまえば天使に見える。
 明日はまた、何をやらかしてくれるのだろう。

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