何かを始めるということ
何か新しいことを始める、本格的なプロジェクトを立ち上げるということは、きっと想像以上に大きなエネルギーが必要なんだと思う。
これまで積み上げてきたものを一度リセットし、全く新しい道へ踏み出すということもまた、本当に絶大なエネルギーが必要なんだと思う。
だからゲームが作れないとか、小説が思いつかないとか、絵の一枚も描けないだとか。そういう自分の“到らなさ”を“至らなさ”だと思い込んで、やれ「スランプ」だ、「大人になってしまった」だなんて非難したところで、それは自分勝手な自己肯定にすぎず、前に進む活力にはきっとならない。
確かに知恵も力も、足りないのかもしれない。
それでもきっと、本当に足りないのは“勇気”だ。
本当に必要なのは、未知へと踏み出すエネルギーだ。
これじゃダメだ、こうしなきゃいけない、これは出来が悪い、恥ずかしい、疲れた、眠い。
そうやってすぐにネガティブなことを考えるから、負のスパイラルへと飲み込まれていく。
それはエネルギーが足りないんだ。
元気が足りないんだ。
食事。運動。健康。睡眠。お風呂。アニメ。ゲーム。動画。音楽。小説。漫画。イラスト。あとは、恋。
エネルギーは、いろいろな日常のシーンから手に入る。
小学生の頃はゲームを作れて、今はゲームを作れない。
それは無欲な童心と半端な知識の違いだと思っていた。
でも、そうではないのかも知れない。
ただ単に、元気かそうでないか。エネルギーに満ちているかどうか。
それだけが重要なのかも知れない。
だから、心を満たそう。
体を癒そう。
光を浴びよう。
日々を楽しもう。
そうした中で、ふとしたときに生まれてくる“活力”を、力へと変えよう。
それはきっと、精神論なんかじゃない。
これは幸福理論だ。
己を叩き上げる喝ではなく。
人生を豊かにする、ただの一歩だ。
何かを始めるということは、自分が思うより途方もなく大変なことだろう。
だからこそ心が躍る、煮え滾る。
渇望する。
もがき、苦しむ。
それでも立ち上がる。
そのとき体を支える杖こそが。
その不屈の闘志の源こそが。
なんてことはない、日常の幸せで。
そうして取り戻したエネルギーが、いつの日か、知恵と力と勇気となって。
どこかの時代で、実を結ぶのかもしれない。
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