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『小説の神様』──どんなに苦しくても、血反吐を吐いてでも、自分が選んだ道を──

『小説の神様』
相沢沙弥著・講談社タイガ刊

──僕は小説の主人公になり得ない人間だ。学生で作家デビューしたものの、発表した作品は酷評され売り上げも振るわない……。物語を紡ぐ意味を見失った僕の前に現れた、同い年の人気作家・小余綾詩凪(こゆるぎ・しいな)。二人で小説を合作するうち、僕は彼女の秘密に気がつく。彼女の言う“小説の神様”とは? そして合作の行方は?
書くことでしか進めない、不器用な僕たちの先の見えない青春──。

売れない高校生作家・千谷一也(ちたに・いちや)と、天才美少女作家・小余綾詩凪が、時にぶつかり、互いを分かり合いながら、不器用な手で物語を紡いでいく青春小説。

(基本的にネタバレには配慮していますが、自分基準でそこそこ切り込んでいるので、物語から触れたい方は読了後にお読みください)


物語は終始主人公である一也の語りで進み、彼の鬱屈とした価値観が鋭利な刃となって心に染みる。

どれだけ頑張っても認めてもらえない。血反吐を吐いてペン先を進めても、下がり続ける発行部数と酷評の数々。やがて彼は、自分には才能がないのだと絶望し、自らの愛した物語を紡げなくなってしまう。

僕もまた一人の表現者であり、ゲームを中心にと称しているが、小説も同様に愛している。

かつては、無邪気にありのままの言葉を並べることができた。才能も技術もなくても、ただ書くのが楽しくて、夢中で小説を書いていた時期があった。

しかし年が経つにつれ……特に「他人と自分を比較する」ようになってから、だんだんと筆は進まなくなり、今では何を書いても完成しない。

僕は一也のように商業作家ではないから、何をやろうと自分の勝手だ。つまらない小説を書こうが、好きな部分だけ構想しようが、「どうせ趣味なのだから」と、そう思うこともできる。

でも、そこに違いはないと思うのだ。

物語を綴ることにおいて、商業作家であろうが趣味作家であろうが、どちらも小説を愛していることに変わりはないはずだ。

だからこそ、今の僕には、この物語の主人公である一也のように、血反吐を吐いて自らの選んだ道を進む覚悟が必要なのだと、そう教えられた。

『小説の神様』は、小説家を題材にした優れた物語であるのと同時に、彼らの語る価値観、物語自体の構造、そういった作品全体が、美しく小説の在り方を示している。一也の操る言葉は陰鬱で心を沈める一方、美しく詩的だ。綺麗に整えられた物語、巡らされた伏線、主人公と衝突する脇役たち、彼らの紡ぐ言葉。そのどれもが力強く、心に訴えかけてくる。

「小説に……。力なんてあるわけないだろう」

僕は、誰かの心を動かそうと物語を紡ごうとしたことはなかった。だからこそ、一也のこの言葉こそが、彼がその言葉を吐くこと自体が、どうしようもなく小説の力を信じたかった彼の想いを感じさせた。

「そんなことはないわ。小説には人の心を動かす力がある。人に希望を与えることだってできる。わたしが、それを証明してみせる」

何度立ち上がろうとしても膝をついてしまう一也に、詩凪はそう語りかける。天才美少女作家と持て囃される彼女だが、物語を最後まで読み終えると、彼女のこの言葉にも、決して生半可ではない覚悟が込められていたのだとはっとさせられる。

彼らは常に対立している。まるで余事象のように、あらゆる言葉が衝突する。それでも、彼らは等しく小説を愛している。最高の物語を紡ぐことを、途方もなく夢想している。だからこそ、何度ぶつかろうと、それでも彼らは立ち上がる。

「それにさ……。不動さんの話じゃないけれど、この世界に小説の神様みたいなのがいるとして……。うじうじ、ぐだぐだ、不満ばかり言って筆を進めない奴と、涙を流して、血を吐きながらペン先を進めるやつ。神様は、どっちに味方してくれると思う?」

結局、彼らの言葉も、僕が口に出す言葉も、言い訳にすぎない。僕ら表現者は作品でしか答えを示すことができず、どんなに辛く苦しくても、血反吐を吐いて、心を砕きながら──

「きっと、他のどんな夢も、お仕事も、同じように辛くて苦しいものなんだと思います。それなら、どんなに苦しくても、わたしは……、自分が選んだ道を、進みたいです」

──自分が、選んだ道を。進まなければならないのだ。

「進まなければならない」というのは、何による圧力なのかと問われれば、それはきっと自らに他ならないだろう。物語を紡ぐことが使命であると、そう自分が信じる限り、何から目を背けようが、決して逃れることはできない。

逃れたいのは、怖いからだ。自分にはできないと知りたくないから、可能性を測ることからも逃げる。それでも、本当は逃げたいわけじゃない。できることなら、立ち向かいたい。自分が選んだ道を、「進みたい」。

彼らの言葉は、物語は力強く、前に進む勇気をくれる。

「物語は、願いだ」

僕が書いている小説には、不可思議な超常現象に苛まれる少女たちが出てくる。主人公もまた、自分にしか見えない幽霊のような少女とともに過ごしている。僕がこの物語を作り上げた当初は、単に「もしこんな日常があったらいいな」と、自らの欲望をそのまま乗せた覚えがある。それはあまりにも単純で、文章も構造もてんで稚拙な、人には絶対見せたくない処女作だけれど、それでも5、6年がたった今でも、僕が作り出した最高の物語だ。でも、それはなぜなのか、と常に考えていた。僕が新しく構想する物語には何が足りず、この物語には何が込められているのだろうと。

奇しくも、僕はこの『小説の神様』を手に取る前に、その答えを見出していた。彼女らには願いがあったのだと。飄々として見える主人公にも、何一つ敵のない友人にも、渇くほどに望む願いがあるのだと。それはきっと後づけの設定なんかじゃなくて、丁寧に彼らに語りかけたら、その中に見えてきたのだ。

それはまた、僕の願いでもあった。

物語は、願いだ。

僕は、どうして小説を書くのか? 何のために物語を紡ぐのか?

一也と詩凪も、幾度となく問いかけ続けた。

どうして? 何のために?

その答えを、微かにでも見出だせた気がした。

その一つ一つの台詞に力と願いが込められ、心を打つのと同時に、一也の語りで進む地の文も、細部まで繊細に物語を印象づける。それらの言葉がここまで胸にしみるのは、きっとこの物語が、作者である相沢沙呼先生自身の経験を色濃く映しているからだろう。

物語に綴られているのは、綺麗事だけじゃない。むしろ紙幅の大半を、辛い現実が占めている。それでも彼がこの物語を綴ることを決心したのは、並々ならぬ決意だったと思うし、その気迫は、フィクションとしてのリアリティは、その一文字一文字から伝わってきた。

加えて、発行部数や作家同士のやり取りなど、ほぼノンフィクションとして楽しめる面も多い。相沢先生の話を聞く限りでは、ほぼ彼自身の物語が綴られていると言って差し支えないだろう。

そして何より、この『小説の神様』が発売から四日で重版が決定するほどの評判を得ているという現実が、一也と詩凪の物語の真の結末を見ているかのようで、心の底から、おめでとうと、言葉があふれた。

ちなみに、青春・恋愛ものでの定番も多分に含まれており、エンタメとしても大いに楽しめる。特に、奥手な文学少年としての千谷一也から見た黒髪ロングの美少女転校生・小余綾詩凪の描写は、主観が故の緻密さを持って、彼の感情とともにありありと伝わってくるので、青春モノとしてもぜひお勧め。成瀬ちゃんかわいいです。

また、ただひたすら小説を書くだけじゃなく、時には体を動かしたり、外へ出かけてみたり、ムフフな出来事があったりと、シーンとしても動きが多く、そのどれもが一也の繊細な語り口で紡がれるため、そうした情景描写も心地がいい。

全ての表現者へ。夢を追いかける人へ。現実に疲れてしまった人へ。小説を愛する人へ。この物語が、願いが届いて欲しいと、強く願う。

──小説は、好きですか──?


……このフォルトI/Oという企画、もっとライトに作品の感想とかまとめるだけのイメージだったんだけど、この作品に関しては自身とのシンクロが異常に強いというか、物語を紡ぐことそれ自体を問いかけてくる作品なだけあって、つい熱がこもってしまった。

基本的には、どんな作品でー、どんなところがよくてー、ここが心に響きました、などと簡単にまとめていけたらなあと。それでも、続くかどうかわからない企画ではあるけれど、第一回の作品として『小説の神様』を選べたことは、とても幸運に恵まれたのだと思う。

それも実のところ、丁度本作を読んでる間に、影響を受けてよし、やろうと思い立ったというのがオチなのだけど。

改めて、ありがとうと伝えたいです。作品と、一也、詩凪、九ノ里や成瀬さん、その他彼らを動かしてくれた人々、作者である相沢沙呼先生、作品に関わったすべての方々へ。

それでは、またの機会に。

※この記事は、2016/7/7に掲載した記事の再録です。

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