価値ある人生の呪い

死ぬのが怖い。
という感情を、夜寝ようと布団に潜った時に、たまに抱くことがある。
最近では趣味も充実してきてめったになくなってきたものの、制作活動で思うような成果が得られないと、特に起こりやすいように思う。

考え続けることには耐えられず、かといって思考を逸らすこともままならず、一度陥ると数時間寝付けないこともしばしばなのだが、パトラちゃんのASMRを聴くようになってからは思考を霧散させることにも慣れてきた。
今やネクロフォビアマイスターである。

しかし、心臓の動悸こそ治れど、考えがなくなるわけではない。
考えたって仕方がないという論理をすり抜けて、無限の命さえあればこんな悩みを抱くことはないのに、という夢想だけを手繰って、この話に結論が出ることはない。
そりゃ、どうしようもないものはどうしようもないのだ。

でも、今更ながらふと思ったことがある。
死ぬのは怖い。今もそう思う。
ただ、本当に恐れているのはそれだけなのだろうか?
なぜ、その思いが去来する時とそうでない時があるのか?

今日は、ゲームを作っていた。
作るといっても未だに企画段階であり、企画段階を7、8年続けているようなタイトルである。
僕にとってこの『Arti-Fact』というタイトルは呪いであり、このタイトルを完成させるまで他のゲームを作る気にはなれない。
だから作る。本当に作りたいのかは分からない。でも、作りたいと思える理由を見出してから作りたい。
そんな、企画以前の悶着で延々と燻っているタイトルだ。
小学生の頃に考えた落書きを、何とか商業作品に仕立てようとしているようなものである。

一年が過ぎ去るのは早い。
この一年間で、僕はどれくらい価値ある時間を過ごせただろうか?
寝ていた時間は? 物思いに耽っていた時間は? ゲーム、ソシャゲ、YouTube、Twitterと、終わりのない娯楽に費やしていた時間は?
その意味の濃度は如何程だろうか。無価値とは言わなくても、じゃあどれほどの価値があったのだろうか。
一年前の自分と比べて、今の自分は何を得た? 何を身につけた? 何ができるようになった?
そして、何を生み出せたか?

人生の意味は何だろうか。
僕は限りある時間を、何に費やすべきなのだろうか。
何も、何かを生み出すことだけが、人生の価値ではない。
じゃあ、何をすればいい?
最も価値ある人生の送り方を提示してくれさえすれば、それを上手くなぞれる自信ならある。
でも、人生の価値なんて人それぞれだ。

僕は、僕自身の人生の価値というものは、何かを生み出すことだと思っている。
ゲーム、小説、イラスト、音楽。
何でもいい。誰かに何かを教えることも、こうして他愛もない文章を認めることでさえ、僕の人生における価値ある行為だ。
そんな僕に、この『Arti-Fact』という呪いはあまりにも大きすぎる。
このゲームはいつ完成するのだろうか。なんとか完成に漕ぎ着けたとして、果たして面白い、作って良かったと思えるゲームになるのだろうか。
面白くないからと志半ばで頓挫したとして、未完成という終わりでは許されず、見事に完成するまでいつまでも纏わりつき続けるのではないか。

5年、10年後、果たして本作は完成しているのだろうか。
呪いは解けているのだろうか。
二作目、三作目に取り掛かることはできているのだろうか。

そうして過ぎ去っていった時間を振り返った時に、あまりにも無為に過ごした時間のスケールを感じ取った瞬間、満足に、価値ある人生を過ごせた、と言えるのだろうか。

それこそが呪いだ。

“価値ある人生”という呪い。
“価値なき人生”への恐怖。
死ぬのが怖い、というのはその末端にある不変の結末に対する畏怖に過ぎない。

10年ゲーム開発に燻っていようと、確実に成長したことならたくさんある。
絵も上手くなったし、音楽も作り始めた。小説はあまり書けていないけど、こうして文章を書く機会はたくさん得られた。
そして何より、大学では教養を身につけ、友人も増え、就職してからはやりたかったゲーム作りに参加できている。
相対評価で言えば平均以上の時間は過ごせていると思う。もちろん、全てが自分の実力かどうかは別として。

ただ一点、『Arti-Fact』というゲームを作れていないことだけが、心の煤になっている。
だけじゃないだろうけど。
でも、これが本当に一番でかい。

無為に過ごした時間というのはただの悲劇気取りの誇張表現だとしても、これくらいこなす時間はあったはずだ、自分ならもっとやれたはずだ、という後悔は消えない。
とはいっても、実際にはこの燻った年月があったからこそ今の自分に至っているのであり、かつての自分に今の自分と同等の能力があったとは思えない。
それこそが、ちゃんと成長できているという論証なのかもしれない。

価値ある人生を送らなければならない、なんてことはない。
でも、価値ある人生を送りたいと思うのも確かだ。
だから、この呪いもまた解けることはないのだろう。

明日10時に起きなければいけないというのに3時過ぎまでゲーム作りをして、かと思えば寝付けずに1時間もnoteを書き下して、全く何なんだか。
まあこうして不定期にnoteへ思考を吐き出すことも、マインドコントロール手段の一つなので仕方ない。ネクロフォビアマイスターだからね。
とりあえずあまりにも緩い弊社には心底感謝してるけど、今週も今週とて、先週より規則正しく生活しよう、というマインドは忘れないようにしたい。
死にたくないのなら、なおさら。
あと運動もしようね。

ゲームの方も、今日もまた新たなステップに進めたと思う。一体何十ステップまであるのかは分からないけど。
やりたいことと向き合えてきている気がするし、以前よりは格段に、この作品自身の魅力に迫れていると思う。
ここからは、自分のリソースとの戦いにもなってくる。全部自分で作るなんて絵空事は捨てて、イラストを外注する選択肢も出てくるかもしれない。
そもそも、ゲーム会社に勤めていて、それこそほぼ似たようなジャンルのゲームを作るというのは、さすがにラインを越えている、みたいな話もある。
そこの落とし所は分からないけど、まあそれは二の次で、とりあえずゲームを作りたいという不朽のエンジンに身を任せ、自分の心に答えを出そう。

お腹も空いたし、寝ます。

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