9. 風土性が弱いインターネット空間、その性質としてのタコツボ化現象(エコーチェンバー&フィルターバブル)


エコーチェンバー&フィルターバブルは、ネット空間特有の価値観のタコツボ化現象のことです。エコーチェンバー(共鳴室)はネット空間のSNSなどで、ユーザーがフォロー&アンフォロー、“いいね”や好きなコンテンツのリツイートなどによって、自分の趣向にあったもの同士ばかりとつながりやすく、そのユーザー自身がカスタマイズしたネット環境では、自分の意見や主張が拡大強調され優位に感じられ、そしてそのことがさらにその傾向を強める循環のことです。そして自分好みの情報を選んでいるにもかかわらず、それしか目に見えない状況ではその偏りのある状況を一般的と捉えてしまうことです。         
フィルターバブルは現象としては同一ですが、SNSなどのプラットフォーム自体がユーザー個人の活動履歴からそのユーザーが好むであろうと思われるものをそのユーザーの目につくように提示し、嫌うものを見えないようにすることで、ユーザーが受動的に無自覚にエコーチェンバーにおちいることです。


インターネット時代のコミュニケーションの問題として言われるこの価値観のタコツボ化ですが、この現象自体はけっしてインターネットによって生み出されたものではありません。ネット以前の生活でも私たちは好きな人を選び苦手な人を避け、政治的主張から趣味で聞く音楽、人間関係の判断や社会や世界の有り様まで、見たいものを見て見たくないものを見ない(認知的斉合性といわれるような)習慣を持っていました。それによって意見や趣向を共有する人々が集まり、各個人のもつ世界観の整合性を保ち、個人の精神的な安定と社会のスムースさを獲得して生きてきました。

ネット空間のコミュニケーションはこの現象を生んだわけではなく、それを変容させました。その原因はスピードです。
仮に人がある問題を認識し、それについての自身の意見を持つために情報を集め、それをもとに思考し、その問題に関しての人との会話などを経て、その問題に対する意見が暫定的な確定に至ると仮定します。
その場合情報を集める手段は書籍や新聞、論文やラジオ、テレビや有識者の意見を直接聞くなどありますが、それをするには早くても一晩寝て翌日図書館や本屋にいったり、数日後にアポイントメントをとって人にあったりという過程が必要になり、そこからさらに得た情報を理解し思考する過程が必要です。そのため人がある問題を認識した時点から少なくとも数日、場合によっては数週間数ヶ月数年を経てようやく暫定的な意見が決定すると言えます。さらにその暫定的に決定した意見も表明する機会はそれほど多くなく、その意見を外部に表明する前に自分の中で精査する時間もあります。
この時間のスケールは、その人が様々な精神的状態においてその問題を捉えることをその人に課します。夜書いた手紙は朝読んでから出せということが言われますが、その程度の短期間でも人のものごとに対する印象は劇的に変化します。その人のバイオリズム周期のある一時点で持った印象と思考は、その人が自身のバイオリズムの様々な状態において持った印象と思考の総合したものとは差異があると考えられます。このような理由でネット以前の環境では情報の獲得、思考、意見表明にかかる時間のスケールの長さが、感情だけに偏らない主観客観を合わせた理性的判断、そして様々な精神状態における印象と思考の総合として意見が決定するため、極端で過激なものは総合の過程の中で平均化される意見形成を可能にし、タコツボ化現象を緩やかにし過剰や過激に過ぎることを防いでいたと考えられます。

ネット環境は問題の認識、それに関する情報獲得、思考を経て、そして意見決定と表明までの時間のスケールが短いことが特徴です。ネット空間では情報のインプット、プロセス&アウトプットのスピードが速く、ある情報を得、それについて調べ、そして“いいね”、リツイートまたはコメントを書くなどのアウトプットの一連のプロセスが数秒、数分以内でできる設計のため、獲得する情報量やそれに対する思考の量も(ネット以前の環境との比較で言えば)少ないままに意見表明がなされます。厳密にはある情報をネット検索で調べることそれ自体が、情報としてアウトプットされ蓄積されるので、“ある個人がある情報に対して興味がある”ということ自体が一つの意見表明とみることも出来ます。その時間スケールの短さは一晩寝て、その人の別のバイオリズムの状態での“印象と思考”による平均化(中和作用)を経ずにアウトプットされるため、表明される意見内容は端的、感情的で濃縮された過激なものになります。

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