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《PSYCHO-PASS》 二次創作小説『DARK RIVER』第一章(その2)


1:事故


 威圧的な外観を愛らしいマスコットキャラのホログラムで包んだ巡査ドローンの列が交通を規制するなか、刑事課一係の常守朱以下、宜野座伸元、須郷撤平、雛河翔らは古びたネットフェンスに囲まれた資材置場で、あたかも地面から生えて来たかのように後部を天へ向けそそり立つ乗用車を見上げていた。
「ドラキュラのモデルになった貴族を描いた絵に、こういうのがありましたよね?」
 須郷は血で赤く染まった車内をのぞき込みながら傍らの宜野座に聞いた。「ヴラド・ツェペシュの版画のことか?」
「たぶんそれです」
 ひしゃげてドアが開いた高級セダンの車内には、フロントガラスを破って飛び込んだ鉄パイプに身体を貫かれた中年男性が、串刺し公が街道に飾った敵兵のごとく宙吊りになっていた。衝撃でエアバッグも開いていたが、こうなっては何の意味もない。
「あそこからここまで飛んだのか……」
 宜野座は近くにそびえる道路高架の防音壁に穿たれた破孔を見上げた。
「あの……これって交通事故ですよね? なんで僕らが……?」
 無残な遺体に顔を顰めながらそう呟いた雛河に、常守はハンドル等の運転装置が存在しないセダンのダッシュボードを指さす。
「それは、この車が《Level-Ⅵ》の自動運転車両だからです」
「普通の自動運転車とは違うんですか……?」
「《Level-Ⅵ》完全自動運転車両は絶対に事故を起こさないと運輸省から認定されていて、死傷事故が起きた場合は事件の可能性ありとして刑事課の扱いになるんです」
「絶対に、ですか……?」
「もちろんそれは『限りなくゼロに近い』という意味ですけど……」
 言葉を探す常守に代わって、宜野座が説明を引き継ぐ。
「自動運転車両はその用途や目的地に応じて適切にネットワークで管理されているが、《Level-Ⅵ》は緊急車両等に次いでその優先順位が高い。さらに路上に設置されたサイマティック・スキャナーのデータで常に近辺の状況を分析し、何か危険な兆候があれば即座に路肩へ停車してそれをやり過ごすようになっているんだ」
「へえ、知りませんでした……」
「一般の自動運転でも十分安全なのに、わざわざ高価な《Level-Ⅵ》車両を買う人間はごく少数だ、知らなくて当然だろう」
 宜野座の説明が終わると同時に、常守のデバイスに高架上へ向かった霜月からの通信が入る。
『こちらシェパード2。交機ドローンの報告通り、被害者の車が路肩の緊急避難帯に停まっていたところに、後ろからやって来た大型トレーラーに追突された模様。トレーラーは自動運転の無人車で、照合によるとフブキ運輸の所有車です』
「なぜ被害者の車が、停車していたのかわかりますか?」
『いま六合塚さんが確認に向かっていますが、2キロほど先で別のトレーラーから落下した貨物コンテナが片側車線を塞いでいるようです。それを被害者の車両が感知して、安全のため停車したんじゃないかと』
「すると……」
 須郷が呟く。
「被害者の車がここを通ることを知っていた何者かがトレーラーに細工してコンテナを落とし、避難帯に停車した被害者の車へ同様に細工した無人トレーラーをぶつけた……ということでしょうか?」
「名探偵、推理を口にするなら、もう少し情報が集まってからにした方がいいぞ」
「あ、スイマセン……」
 宜野座の言葉に頭をかく須郷。
 現場周辺に展開していた鑑識ドローン達が一通りの仕事を終えた頃、高速道路上での調査を終えた霜月と六合塚が常守達と合流する。
「被害者のセダンに追突した無人トレーラーですが、鑑識ドローンがブレーキシステムに破損した箇所を見つけました。追突はそれが原因じゃないかと」
「破損は人為的なもの?」
「局での精密検査が必要だとおもいますが、金属疲労の可能性が高いです」
「そうですか……六合塚さん、コンテナを落としたトレーラーの方は?」
「先ほどお伝えした通り、FJトランスポート社の車両で間違いはありません。貨物コンテナが落下した原因ですが、コンテナを固定する部分が腐食して完全にロックされず、走行中にロックが外れてしまったと推測されます」「そちらは有人車両ですよね。運転手の身元は?」 
「倉田紘(くらた こう)FJトランスポートに雇われているドライバーです。指紋と網膜認証で本人であることを確認。事故の動揺で多少色相が濁っていましたが潜在犯ではありません」
 霜月と六合塚に続いて、宜野座が報告する。
「フブキ運輸とFJトランスポート両社に関するデータを確認したが、どちらも過去に大きな事故や事件を起こした記録は無い」
「では、事件性は……」
 須郷の言葉に常守が頷く。
「事故である可能性が高いですね。あとは被害者の身元が判明すれば──」
 常守のデバイスに再び通信が入り、スピーカーから気だるげな女性の声が響く。
『朱ちゃん、お待たせ~』
 分析官の唐之杜志恩である。
『ゴメンね~、《Level-Ⅵ》って登録情報のセキュリティが無暗に厳重で、確認に時間がかかっちゃったわ。それで車の所有者だけど……』
「……間違いないんですね?」
 携帯デバイスの音声は超指向性スピーカーから出力されるため周囲には聞こえないが、宜野座は常守の表情から何か予想外なことがあったのを察する。
「どうした?」
 常守は携帯デバイスを操作すると、唐之杜からの通信を全員へ聞かせた。
『──登録された住所もアドレスも一緒。その自動車のオーナーは安蒜亮二(あびる りょうじ)よ』
「安蒜亮二⁉」
 驚いたように須郷が呟く。
『今、前に調査したときのDNAデータと鑑識ドローンからのデータを照合してるけど……ん、間違いないわ。その被害者は安蒜本人よ』
 皆の視線が救護ドローンによって串刺しから解放され、ストレッチャーに乗せられている遺体へ向けられた。
「安蒜って、以前に二係が洗ってた男ですよね?」
「ええ」
 霜月の問いに頷く常守。
「メンタルケアサポートで有名な『キラプシア』の代表です」
 安蒜が代表取締役を務めるキラプシアは『たんなるメンタルセラピーに留まらない、健全で安定した色相を実現するための理想的な生き方を総合的にコーディネイトする』というのがキャッチフレーズのメンタルケアオフィスをチェーン展開しており、芸能人を使って実際に色相が鮮やかになってゆくのをリアルタイムで紹介するなどの大胆な広告戦略で有名な会社であった。
 しかしその健全なメージに反して以前から周辺に黒い噂が絶えない会社でもあり、代表の安蒜が準日本人であることから、グループ立ち上げ時の資金調達に準日本人系非合法組織が関わっていたのではないかと疑われてもいた。
 数か月前、以前からキラプシアをマークしていた刑事課二係は、キラプシア本社へ踏み込んで徹底的な捜査を行った。しかし多くの人員を投入したにも関わらず捜査は完全な空振りに終わり、さらにキラプシア側から不当捜査として訴えられるという、二係だけでなく刑事課全体としても不名誉な一件になっていたのだ。
「もしかしたら……」
 須郷が口を開く。
「安蒜が高価な《Level-Ⅵ》車に乗っていたのは、準日本人系の非合法組織からの襲撃を警戒していたからじゃないでしょうか?」
「飛躍しすぎ」
 霜月が吐き捨てるように言った。
「事件である可能性がちょっぴり上がっただけでしょう?」
「しかし霜月監視官」
「何よ?」
 やるならやるわよ、と須郷を睨む霜月。
「どちらにせよ……」
 ヤレヤレと常守が二人の間に割って入る。
「もっと情報と分析が必要です。局へ戻って仕事を続けましょう」
 監視官と執行官たちは、それぞれの車両へ乗り込むと現場を後にした。

 局のオフィスへ戻った刑事達は端末を操作して、より詳細な情報収集と検証を開始する。まずは衝突が発生した直接の原因に関してだ。
 安蒜がオフィスから帰宅する時刻は毎日ほぼ決まっており、しかも自動運転による移動で事故地点に達する時間も一定。とすれば現場で須郷が考察したように、コンテナのロックが壊れたトレーラーを安蒜車の前方に走らせさえすれば、曲率の小さなカーブで加わった遠心力によってコンテナがトレーラーから落下、それを感知した安蒜車は間違いなく《最寄りの退避エリア》に停車して、ブレーキの壊れたもう一台のトレーラーを後方から突っ込ませれば事故に偽装した殺人が自動的に完遂される。
 つまりこれが殺人であるなら犯人はトレーラーに細工を施せる、あるいは故障したトレーラーを任意の時間に走行させられる立場の人間ということになるわけだが……トレーラーを所有するフブキ・FJ両社の経営者、従業員、取引先、さらにはその家族にいたるまで洗ったものの、色相が基準値以上に濁った者は見当たらず、事故前後に不信な行動が見受けられた者も皆無だった。
 二台のトレーラーも局で分解し徹底的に調べられた。しかしコンテナの落下については、やはり荷台のロック機構が老朽化で破損していたことが原因であると判断された。車体にはそんな状態でもコンテナが落ちないよう補助ロックも存在していたが、事故車両は補助ロックが手動の旧型で、ドライバーの倉田が事前の操作を忘れてしまったのだ。
 倉田は過去に同様のミスを犯しているのが同僚の証言で明らかになったものの、FJトランスポートが所有するトレーラーで補助ロックが手動の旧型は一台のみで、事故当日に倉田がこの車両に搭乗したのは本人や配車係の意思ではなく、他の車がすべて使われていたための偶然であった。
 安蒜車へ追突したフブキ運輸のトレーラーの方も、自動運転AIにはプログラムの改ざんやハッキングの痕跡は見当たらず、やはりブレーキの故障──ブレーキ・サーボを制御するユニットの配線が経年劣化と振動で破断したのが原因であると結論づけられた。
 事故車両に取り付けられていたユニットはメーカー純正ではなく、同規格の他社製品が流用されていたため整備マニュアルに記された交換時期以前に寿命が尽き、配線破断を起こしてしまったのだ。
 この問題に関してメーカーから各ディーラーへ注意歓呼がなされていたが、FJトランスポートは社内で点検整備を行っていて、通達が届いていなかったようだ。
 意図的に故障を放置した可能性も疑われたが、整備担当の色相に問題はなく、それ以前に配線がいつ破断するかを事前に予想するのは難しいだろう──というのが分析を担当した唐之杜の意見であった。
 調査を進めれば進めるほど《不幸な偶然が重なった事故》という見方が刑事たちの間で濃厚になって行った。しかし唯一人、死んだ安蒜亮二の周辺調査を担当した宜野座だけは、この一件を事故と断定してしまうことに強いわだかまりを感じていた。

 退勤時刻の過ぎた刑事部屋(オフィス)には任務で不在の常守以外の一係メンバーが集合し、ディスプレイを背にして腰かけた宜野座の言葉に耳を傾けていた。
「これを見てくれ」
 宜野座のデスクに置かれたディスプレイに、鮮やかなライトブルーのステータスバーの並んだ図表が映し出される。
「追突の十二分前、高速入口に設置されたスキャナーが計測した安蒜の色相と、自宅とオフィスに残されていたここ一カ月間のメンタルチェックデータだ」
「さすがキラプシアの代表。色相も健全そのものじゃない」
 感心した様子で霜月が言った。
「これを見る限り、安蒜が犯罪や不正などに関わっていたとは考えづらい」「身に危険を感じていた、というわけでもなさそうですね」
 六合塚の言葉に頷きながら、宜野座は説明を続ける。
「例えば外務省のケア剤のようなものを大量に服用すれば、なにかトラブルを抱えていても色相をクリアにすることは出来るだろう。しかしそれは一時的なものだ。長期間摂取を続ければ内蔵に不調をきたして色相は濁ってしまう」
「安蒜は形だけの代表で、本当のボスは別、という可能性はないでしょうか?」
 宜野座はディスプレイに表示された色相データを安蒜のものからキラプシア本社スタッフのものに切り替える。
「安蒜ほどではないが、スタッフの色相も良好だ。社外に責任者のいる可能性は否定できないが、少なくとも前回の捜査ではそういった形跡は見つけられなかったようだ」
「あの……」
 雛河がオズオズと右手を上げた。
「基本的なことなんですが……こんなに色相がクリアな人間ばかりの会社に、なんで強制捜査を?」
「それはキラプシア本社ではなくフランチャイズ加盟店に問題があったからだ。資料を見せよう」
 二係の担当が作成したらしき、細かな文字が隙間なく詰め込まれた報告書が画面に表示される。
 これのどこにそれが書かれているのか──目を細めた雛河は、画面にビッシリと並んだ文字の全てが、問題を起こした加盟店の名と住所であることに気づき、驚く。
「これ全部がそうなんですか……⁉」
 キラプシアがフランチャイズ展開を始めてから最近まで、何らかの問題が起きて公安局の調査が入った店舗。さらに色相が濁って接客業務禁止を言い渡された店長やスタッフたち。
「なにが原因でこんなに……?」
「様々だが、多くは『仕事や生活にストレスを感じて』と答えている」
「でも、職業適性を受けているはずだし……契約の条件がブラックだとか……?」
「いや、キラプシアは同業他社のフランチャイズ契約と比べても、契約金は安いし条件等の縛りも少ない。業績が伸びなければ改善のアドバイスや研修も無料で受けられる」
「なのに、こんな状態なんですか? 有名な会社なんで運営も好調だと思っていました……」
「キラプシアの業績自体は極めて好調だ」
「でも……」
「問題は多いが、一般へニュースで報じられるほどの事件へ発展したケースがほとんど無いんだ。メンタルケアの効果自体は好評だし、条件の良さで新規にフランチャイズ契約を求める者が後を絶たない。キラプシア的には既存のフランチャイズ店が潰れて新規が入ってくれた方が、契約金や機材販売で利益が上がる」
「それ、裏で何かやっているとしか……」
「だから二係も捜査に踏み切ったんだ」
 かつて二係の一員であった須郷が言った。
「なるほどです………」
 その言葉とは裏腹に、雛河は納得しかねる様子で表情を曇らせる。
 雛河だけでなく他の者達にも、宜野座が感じていた今回の案件への蟠りが伝染した様子で、皆、困惑した様子で黙り込んでしまう。
「もしかして呪いとか……」
 雛河がボソリと呟く。
「なにバカ言ってんのよ」
 霜月は雛河に向かってそう言うと、視線を宜野座へ向ける。
「キラプシアの件については私も奇妙に感じますけど、二係が洗って何も見つけられなかったのなら、今さら掘り返しても仕方がないと思います。それとも宜野座さんは、それが今回の事故に関係があるという手掛かりでも見つけられたんですか?」
「いや」
「じゃあ、何を悩む必要があるんです? これ以上の捜査は時間の無駄です」
 霜月は吐き捨てるようにそう言うと、部屋から出て行こうとする。
「待ってください、霜月監視官」
 呼び止めたのは須郷だ。
「例えわずかでも可能性があるのなら、それを追及するのが刑事の役目じゃないんですか?」
「刑事の役目?」
 立ち止まった霜月は、苛立たし気に須郷の言葉を繰り返した。
「私たちの役目はシビュラの端末として、この社会の治安を守ること。独りよがりに刑事ごっこをする事じゃないわ!」
 霜月は怒気を含んだ口調でそう捲し立てると、今度こそ部屋から出て行ってしまう。
 須郷はしばらく唖然とした表情で霜月の出て行ったドアを見つめていたが、やがて押し殺した声で「失礼します」と宜野座に向かって頭を下げると、自身も部屋を出て行った。
 気まずい空気に満たされる刑事部屋。もはやミーティングの続行は無理と判断した六合塚が軽い会釈を残して出て行くと、部屋には宜野座と雛河の二人だけが残される。
「霜月さん、最近イライラしてますね……」
 雛河の言葉に、宜野座は同意の溜息を漏らす。
 爆弾テロでの失態を一刻も早く挽回したい霜月は、事故である可能性が高い今回の案件などにいつまでも関わっていたくないであろう事は容易に想像がついた。
「やっぱり事故なんでしょうか……?」
 再び雛河が呟く。
「事故と確実に断定できれば楽なんだが……」
 しかしそれは『悪魔の証明』同様、すべてが何者かの計略であると証明するより困難だ。そんな事を考えながら何気なく雛河を見やった宜野座は、彼のデスクに置かれたディスプレイに見慣れないソフトが映し出されているのに気づく。
「それは?」
「あ、これは自分用に作ったやつで……」
「中央のアイコンは安蒜だな。その周囲はキラプシアの幹部スタッフか?」「ええっとですね……」
 雛河は少し照れた様子で説明を始める。
「捜査対象が多いと混乱しちゃうんで、関係を直観的に掴めればと……」
 画面上にはアイコン化された無数の顔写真がいくつかのグループになって浮かんでおり、それぞれのアイコンやグループ同士がカラフルなラインによって繋がっている。
「なるほど、関係者や組織の相関図か……アイコン枠は色相、繋ぐラインの種類はそれぞれの関係性だな?」
「古くからあるアプリを改造した物ですが……対象や条件を選ぶと、それに応じてアイコンの大きさや配置が変化するようにしたんです……」
 雛河がディスプレイの端に浮かんでいたアイコンへ触れると、全てのアイコンがそのアイコンを中心にして再配置され、関係を示すラインも引き直される。
「まだ組んでいる途中で、うまく動かないところもありますけど……」
 雛河の指が触れるたび、ディスプレイ上で目まぐるしく位置を変化させる無数のアイコン群。中央のアイコンと関係の薄い周辺の小さなアイコン群が、変化に伴い消えてしまう様子は、まるで夜空で瞬く星のようでもあった。
「さすが本職だな」
「いえ、僕の専門とは関係ないですけど……」
 そう言いつつも褒められて嬉しかったのだろう、繰り返しディスプレイに触れ続ける雛河。
「これは?」
 変化する画面を見つめていた宜野座は、出現と消滅を繰り返すアイコン群の中に、ずっと同じ位置で固定されたように動かないアイコンがあるのに気づく。
「なんだろう……ちょっと待ってください……」
 雛河がタップするとアイコンが拡大され、プロフィールが記されたウインドウがその傍らに開く。
「えっと、安蒜との関係は……ああ、下の名前が一緒で住所が近くてことだけみたいです。まだフィルターが甘くて、ちょっとでも関係があるとデータベースから引っ張ってきちゃうんで……」
「少し操作してみてもいいか?」
「あ、どうぞ……」
 宜野座は雛河の端末へ手を伸ばすと、被害者である安蒜、トレーラー運転手の倉田、FJトランスポートの整備担当など現状で事故に関わりが深そうな人間のアイコンに次々と触れてみる──と、何度か操作しているうち、さきほどと同様、位置も変えず消えもしないアイコンが存在するのに気づく。
「クワナベ・イジドア?」 
 本人画像の代わりに名前だけが表示されたそのアイコンを、宜野座は凝視した。
「なにか……?」
「この名前、どこかで……」
「変わった名前ですね。準日本人かな……?」
 アイコンをタップしてみるが、開いたウインドウには生年月日と住所など最低限のプロフィールしか記されていない。
 自分は確かにこの名前を以前どこかで見ている。たしか……宜野座の頭の奏でボンヤリとしていた記憶がふいに焦点を結び、その名をどこで見たのかを思い出す。
 だが同時に、今回の案件にはまったく無関係な《あれ》に書かれていた名前を、雛河翔のプログラムに見出したことに戸惑いも感じた──これもただの偶然なのか?
 宜野座は立ち上がって椅子の背にかけていた上着を掴み「先に上がる」と雛河へ言い残しオフィスを後にする。向かったのは同じビル内にある執行官宿舎だ。
 執行官宿舎。正式には『執行官隔離区画』。潜在犯である執行官たちを閉じ込めておくための《檻》である。檻とはいえ室内はそれなりに広く、自由に私物を置いたり、ホログラム・インテリアも許可されていたから住み心地自体はそれほど悪くない。
 宿舎内の自室へ戻った宜野座は足早に居間を横断すると、奥の収納スペースに収められた大きなボックスケースを引っ張り出してスライドカバーを開く。
「クゥン」
 気づけば、寝床から這い出して近づいて来た飼い犬のダイムが、慌ただしく帰って来た飼い主を「何かあったのか?」と問いたげな瞳で見つめている。
 以前なら宜野座がドアを開ける前から玄関で待機し、入った途端に飛び掛かって来たものだが……ダイムは既にシベリアンハスキー犬の平均寿命を超えており、反応や動作が鈍くなってしまっていた。
「大丈夫、なんでもないよ」
 そう言ってやさしく撫でてやると、ダイムは満足したように寝床へ戻って行く。唯一の家族である老犬が、お気に入りのクッションに身を沈ませたのを確認した宜野座は、ふたたび手元のボックスケースへ視線を戻す。
 中には征陸の遺品類──愛用していたコートと皮手袋、絵画道具、画集などの書籍、洋酒のボトル、そして若い頃の征陸と夫人が並んで写っているフォトプリント等が入っている。
 宜野座はそれらをひとつひとつ丁寧に取り出して傍らに積み上げ、ボックスの底にあった銀色のケースを取り出す。チタン製の平たいケースの内側にはホロメモリーが並べて収められており、それぞれに年月が書かれた小さなラベルが貼られている。
 メモリーの中身は、正式な捜査報告とは別に征陸が個人的に記していた捜査日誌であった。
 征陸は生前、そういったものを記していると誰にも明かしたことがなく、宜野座も遺品を整理していて初めてその存在を知ったのである。
「どれだったか……」
 以前メモリーの内容をいくつか確かめた時、たしかそこに《クワナベ・イジドア》という名前を見た記憶があった。宜野座はケースを持って端末の置かれたデスクまで移動すると日付の古い順から取り出しデータスロットへ差し込み、表示された日誌に《クワナベ・イジドア》の文字が含まれていないか検索する。
 一つ目のメモリーには無かったが、幸運なことに二つ目のメモリーで検索にヒットした。15年前に川崎の準日本人地区で発生した殺人事件。最初の頁には事件の概要と所感が綴られ、次の頁には聞き込みを行ったと思しき人名が並んでいる。
 画面をスクロールさせる。しかし次の頁は真っ白で何も書かれていない。次も、その次も白いブランク頁が続き──日誌は唐突に終わる。
「そうだ、この事件の記録だけ途中で終わっていて、それで印象に残ったんだ……」
 問題の《クワナベ・イジドア》は、二頁目に記された人名の中に存在した。雛河のプログラムで見たデータと生年月日が一致したので同一人物と考えてよさそうだった。しかしどういう経緯で征陸がこの人物に聞き込みを行い、どんな情報を得たのかは不明だ。
 宜野座はメモリーに収められた、他の捜査記録にも目を通す。どれも几帳面に事件に関する情報や進捗状況などが書かれており、捜査したものの見込み違いであったり詳細が分からずじまいであったりした物などに関しても、きちんとその旨が書かれている。そんな中にあって何の説明もなく記述が中断された川崎の殺人事件についての記録は、いかにも不自然な印象を宜野座に与える。
「いや、中断じゃない。白いブランク頁は、本来書かれていた内容を削除した跡だ」
 操作ミスによるものか? あるいは日誌に残しておきたくない記述があったのか?
「捜査が行われた事件なら、局のデータベースに正式な記録が保存されているはずだ」
 宜野座は宿舎から、再び刑事部屋へ向かう。
「あれ、さっき帰られたんじゃ……?」
 部屋にはまだ雛河が残って、プログラムをいじっていた。
「ちょっと調べたい事があってな」
 宿舎の個人端末ではデータベースの閲覧に制限があり、よりアクセス権限の高い刑事部屋の端末を使う必要があったのだ。宜野座は端末を起動させ局のデータベースにアクセスすると、日誌の日付に合致する捜査記録を検索し、該当するデータを画面へ表示させる。
 だが──
「なんだこれは!?」
 思わず声を上げる宜野座。雛河が何事かと宜野座のディスプレイを覗き込む。
「わっ、スゴイ事になってますね……」
 ディスプレイに表示された捜査記録は、プログラムが暴走したゲーム画面のように文字や図表が幾重にもかさなって表示されており、何が書かれているのかまったく読み取ることが出来なかった。
 部分的なものかと考えて宜野座は画面をスクロールさせてみるが……全てのデータが同様な状態になっていた。
「データの破損か?」
「たぶん、違うと思います……」
 宜野座の端末を操作してデータをチェックしていた雛河は、ファイルのデータ容量数値を指差しながら言った。
「他のデータを何らかの方法でこのデータへ重ね書きしたんだと思います……」
「他のデータを重ね書き? 何故そんなこと……」
 言いかけて宜野座はハッとする。
「そうか、許可なくデータの削除や修正しようとすると局のセキュリティに検知されるからか?」
「新規の書き込みもダメなんですけど……これは同じアーカイブ上のデータを移動させることで、セキュリティを誤魔化したんじゃないかと……」
「誰かが意図的に捜査記録を破壊したと言うのか……?」
15年前、準日本人地区で起きた殺人事件。日誌に残された事件の概要を読んだかぎり、そこまで重大な事件とも思えない。いったい誰が、そんな事件のデータをわざわざ破壊すると言うのか?
 まさか親父が⁉ ──そう考え、宜野座は慄然とする。
 公安局の捜査データを改竄・破壊することは極めて重大な違法行為だ。もしもそれが征陸によるもので、存命中に明らかになっていれば即座に隔離施設へ送られ、二度と刑事として働くことはできなかっただろう。
 しかし、あの親父がそんな事をするなんてありえない──
 そう考える宜野座であったが、一方で、内容が不自然に削除された個人日誌と、同じ事件を扱った公式の記録の破壊行為。これがただの偶然とは思えなかった。
「雛河、このデータを復元することは可能か?」
「うーん……単語単位で読める箇所が少し残ってますけど、完全に復元となると……」
 ファイルのデータサイズから考えると、おそらく百件分近いデータが重ね書きされた文章は、床にぶちまけられて混ざり合った活版活字のような有様だったが、雛河の言うとおりごく短い単語の中には元の形を残しているものも僅かではあるが見受けられた。
「……」
 ふいにある衝動が宜野座を襲った。なにか明確な理由があったわけではない。些細な閃き。ここまで偶然が重なるのであれば……と、自然と指が動いた。
 宜野座は文書内検索のウインドウを開くと、四つの文字を入力して検索を実行する。その結果はすぐに表示された。
「マジですか……?」
 宜野座の操作を見つめていた雛河が、驚いた様子で呟いた。
「これも偶然なのか……?」
《安蒜亮二》
 意味を失った文章の海の中で、その四文字は、あたかも宜野座を導く灯台ように明るく明滅を繰り返していた。

 

 


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