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《PSYCHO-PASS》 二次創作小説『DARK RIVER』序章

序章


 ぶ厚い雲が陽の光を遮り、朝から降り続く雨が次第にその強さを増している。濡れたアスファルトは雨粒が描く波紋が光を反射し、まるで暗い川面のようだった。
 その水面を蹴立て走る人影が二つ。監視官の命令によって獲物を追う猟犬。法の女神シビュラの代行たる公安局に所属する二名の執行官たちだ。
「妙だな……」
 公安局刑事課一係に所属する執行官、宜野座伸元はビルの陰へ身を潜めると、こちらへ向かって来る宅配便の無人便配送車を見つめながら呟く。
「何がです?」
 同じように身を潜める同僚の執行官、須郷撤平が訪ねた。
「動きが無さすぎる。そろそろ周囲の交通量の変化に気づいてもいいはずだ」
「計画が上手くいって油断しているんじゃないですか?」
「永峰はそこまで楽観的ではないと思うが……」
 二人は今、無人配送車の荷室に潜んでいる爆弾テロ犯、永峰博樹(ながみねひろき)を監視していた。
「しかし、空中のドローンにも変化は……」
 須藤はベルトのポーチからマルチスキャンスコープを取り出すと、配送車の上空へと向ける。上空には永峰が放った全長5センチにも満たない偵察用ドローンが飛び回り、配送車のリアゲートから突き出されたアンテナへ周囲の映像を送っていた。
 小型のドローンは肉眼では見えないが、小型ゆえに廃熱対策が施されておらず、マルチスキャンスコープを通せば赤い点として目視できるはずであった。が──
「……数が減ってます。一機足りない!」
「こちらハウンド1、シェパード2応答しろ」 
 須郷の報告を聞くと同時に宜野座は腕に巻かれた携帯デバイスを通し、数キロ後方で作戦指揮を執っている監視官の霜月美佳を呼び出す。
『こちらシェパード2。何かあった?』
「上空のマイクロドローンが減っている。そちらで把握しているか?」
 配送車の走行経路周辺には事前に目立たぬよう監視装置が設置され、霜月が乗車する公安車両へ各種情報が送られているはずであった。
『ええ。でもたった一機だし、雨に濡れて故障でもしたんでしょ。それより……』
「確認していたのに無視したのか?」
 宜野座は思わず声を荒げそうになるのを堪えながら、言い訳じみた言葉を続ける霜月へ問い返す。
「減ったのはいつだ?」 
『3分……いえ5分前くらい……』
 宜野座は携帯デバイスのホロディスプレイに周辺地図を表示すると、その上に配送車の移動ログを重ねる。
 5分前。おそらく配送車が境川のアンダーパスに差し掛かったあたりだろう。永峰はアンダーパスで周囲から見えなくなるタイミングを見計らい、ドローンを一機だけ連れて車から降りたに違いない。永峰は透明化出来る特殊なホロスーツを着ていて遠距離からの視認は困難だったが、車外へ出るには配送車のリアゲートを開かねばならないのだ。
「ただちに配送車を停車させてくれ、荷室を確認する」
『待って、ドローンがひとつ確認できなくなったからって作戦を中止するつもり!?』
「俺が永峰なら、ドローンが一機でも故障したらその時点で何らかの行動を起こしている。何の動きもないのは不自然だ」
『まだ配送車に乗ってたら?』
「近隣の住人は避難済みだ、ドミネーターを使う」
『永峰は爆弾を身に着けてるのよ? 近距離から撃ったら……』
「いいから早く停車させろ! 奴が逃走して一般人に被害が出たら君の責任になるんだぞ、霜月監視官!」
『わ、わかった』
 それでいい──宜野座は心の中で呟く。執行官は事件を解決するための道具だ。監視官が執行官に対して余計な感情を抱くべきではない、と。

  事件の始まりは一か月ほど前、外務省へ届いた一通のメールからであった。メールには外務省が中心となって進めている外国人移民政策に抗議する文章に、送り主らしき男が爆弾を括りつけたベストを着用している画像が添付されていた。
 本来なら即刻公安局へ知らされるべき事態だったが、メールの文章に外務省関係者しか知り得ない情報が含まれていたために通報が躊躇われ……やがて警告として無人の外務省関連施設を爆破されるに至り、ようやく厚生省へ協力が要請されたのであった。
 捜査を開始した刑事たちは、すぐに元外務省職員である永峰博樹を炙り出す。数か月前まで出島で警備隊員として働いていた男である。
 出島こと長崎県にある難民特別居留地は、鎖国政策下の日本において唯一海外へ門戸が開かれた場所で地区内は移住を求める外国人で溢れており、治安状況はお世辞にも良いとは言い難かった。
 永峰はそんな過酷な環境で警備隊の主任を担当していたが、任期が一年を超えたあたりから奇行が目立つようになり、それからほどなく規定違反行為を行い解雇処分されていた。
 どうやら永峰は奇行が始まる以前から犯罪係数が基準値を超えていたのを、立場を使って入手した強力なケア剤──国外で任務を行う特殊作戦部門用に作られた物だ──を過剰摂取することで強引に引き下げていたようだ。
 爆弾の材料についても、同様に立場を使って出島内へやって来ていた外国人から入手したものと推測された。
 永峰が犯罪係数を偽装できるという事実に騒然となる刑事たちだったが『ケア剤には効能期間が設定されており、永峰が所持しているものは既に無効化している』という外務省からの説明に安堵の息を吐く。
 だがそれも束の間、メール添付画像の解析から明らかになった事実が、再び刑事たちに頭を抱えさせることとなる。
 永峰の爆弾ベストに取り付けられた電子装置は、着用者になんらかの攻撃が加えられた場合に爆弾を起爆させるための自動起爆装置であると画像を分析した唐之杜が報告したのだ。
 装置はAIによる状況判断能力を持ち、永峰に加えられるあらゆる攻撃──物理的な衝撃からガスや放射線、そしてドミネーターが射撃時に発生させる電磁波までを感知して爆弾を起爆させ、周辺約35メートル以内の人間に致命的な爆傷をもたらすと推測された。
 当然ながら永峰自身も爆死を免れないが、人口密集度の高い都内においては、常に人質を連れて歩いているようなものだった。
 もし爆発によって死傷者が発生し、その犯人が元外務省職員であったことが公表されれば、外務省が批難されるだけでは済まないだろう。
「なんとか一般への被害を出さず永峰を確保、もしくは処分する方法はないか?」対処に苦慮した禾生局長は監視官だけでなく執行官たちへも意見を求めた。
 これに対して霜月は、永峰が匿名コミュフィールドで頻繁に外務省への批判を喧伝していたことから、永峰の主張に共感した現役外務省職員を装って嘘の情報を提供し、任意の場所へ爆弾を仕掛けさせることで永峰の移動経路を限定、周囲への影響が小さい場所で遠距離から狙撃するという作戦を提案し、実行の許可を得たのであった。

 ここまで霜月の作戦は順調に進んでおり、永峰が外務省施設に仕掛けた爆弾もすでに回収されていた。計画通りなら配送車はこの先の周囲に建物の少ない場所で停車、不信に思った永峰が車外へ出たところを、安全な距離で待機している二係の執行官が強襲型ドミネーターで狙撃して作戦は完了する、はずだったのだが……
 宜野座と須郷はホルスターから抜いたドミネーターを構えながら、停車した配送車へ向かって走った。
 永峰が着用している透明化ホロスーツは爆弾を仕掛ける際に防犯カメラを欺瞞するために永峰が自作したもので、任意の一方向にしか透明化出来ず、近距離では周囲の景色と映像のズレから容易に存在を見破られてしまう程度の性能であったが、それでも宜野座たちは用心のためにサイマティックスキャナーで対象をとらえるドミネーターを眼前に構えながら配送車両に駆け寄ると、リアゲートに取り付けられた手動操作パネルへ指を走らせた。
 もし永峰がまだ荷室に居て起爆ボタンを押せば、宜野座と須郷は確実に死ぬだろう。例えまだ気づいていなくてもリアゲートが開けば、逃げ道を絶たれた永峰は起爆ボタンを押すに違いない。起爆ボタンを押す前にドミネーターで永峰を撃てたとしても、自動起爆装置がそれを感知して爆発する。宜野座たちに生存の可能性があるとすれば永峰が怖気づいて自動起爆装置を解除してくれることだが……その可能性は限りなく小さい。
 宜野座はロックが解除されたリアゲートを強引に持ち上げると、荷室へドミネーターの銃口を突き入れる──が、ドミネーターから網膜へ投影された映像に人間の存在を示すマーカーは表示されない。
「くそっ!」
 宜野座は毒づくと、腕のデバイスで霜月を呼び出す。
「こちらハウンド1、やはり車内に永峰は居ない!」 
『そんな……』
 デバイスの向こうで絶句する霜月。そんな霜月に対して宜野座は怒りではなく、もっと自分が注意を払ってやるべきだったと悔やむ。 
 今回の作戦の成否は厚生省とライバル関係にある外務省との政治的力関係に影響するものだ。これを被害なく収拾できれば、作戦を立案した霜月に対する禾生局長の評価は極めて高いものになるだろう。しかし一方でそれは「絶対に失敗できない」という大きなプレッシャーにもなる。
 霜月の監視官としての才能については宜野座も認めるところだが、いかんせんまだ現場経験も人生経験も少ない若者なのだ。
 本来、執行官が監視官のメンタルに気を使う必要などないし、場合によっては越権行為として処罰されるが、多くのベテランを失った現状の刑事課にあっては、自分が彼女をフォローすべきだと宜野座は考えていた。
「霜月、永峰が配送車から降りたのはおそらく境川のアンダーパス付近だ。至急周辺へドローンと執行官を向かわせろ!」
 携帯デバイスへそう叫びながらも宜野座は「もう手遅れかもしれない」と考えていた。公安が動いているのがバレてしまった以上、永峰は報復として無差別の爆弾テロを起こす可能性が高い。そうなってしまったら……
『こちらシェパード1』
 ふいに携帯デバイスから霜月ではない女性の声が響いた。
『離脱したドローンはこちらで発見しました。いま六合塚さんが追跡しています』
 それは今回の現場指揮を霜月に任せ、後方で二係との連携を調整していたはずの常守朱先任監視官の声であった。
 あいかわらず、たいした女性(ひと)だ──かつて自分の後輩として入局した女性監視官の先を見越した行動に舌を巻く宜野座。
「霜月、俺達も六合塚と合流するが、いいか?」
『あ……はい、向かって下さい!』
 驚きと安堵、そしておそらく常守への嫉妬の入り混じった霜月の声がデバイスから響く。

 六合塚弥生執行官は待機していた都市交通の待合所から飛び出すと、常守から送られて来た位置データを元にドローンを追って、規制で人通りの途絶えたメインストリートを走った。
「この雨、好都合だ」
 ズブ濡れになりながらも、六合塚はそう呟く。
 空から降り注ぐ雨粒が永峰の着用するホロスーツに干渉し、その透明効果を低下させてしまうからだ。
《携帯型心理診断 鎮圧執行システム ドミネーター 起動しました》 
 六合塚は永峰を射程に捕らえると同時に発砲できるよう、ドミネーターを起動させる。
 永峰が身につけている爆弾が人間に致命的な影響を与える範囲は約35メートル。35メートル以上離れてドミネーターを撃てば、破片や爆風による負傷の可能性はあるものの安全ということだが……二係が狙撃用に準備した強襲用ドミネーターとは異なり六合塚が手にしているのは一般的な拳銃型のドミネーターだ。威力に問題は無いが、保持が不安定な拳銃型のドミネーターで35メートル先、雨の中、さらには機能が低下しているとはいえ透明化スーツを着た相手へ命中させるのは容易いとは言い難い。
 しかしそんな状況にもかかわらず六合塚には勝算があった。それは永峰のベストに取り付けられた自動起爆装置の存在だ。自動起爆装置はドミネーターから発せられる電磁波を感知し、その攻撃が永峰へ達する前に爆弾を起爆させるようになっている。逆に言えば装置がドミネーターから発せられた電磁波を感知すれば、電磁ビームの軌道が永峰から多少逸れていたとしても起爆してしまうという事だからだ。
 もちろんそれは近くに一般人が居ない規制区画内だからこそ可能な対処であり、最大の懸念はその境界までの距離があと僅かしか無いという点であった。
「……ッ」
 激しさ増した雨風が六合塚の視界を奪う。ドローンの位置を確かめようと携帯デバイスへ視線を向けるが、デバイスのホロディスプレイも雨粒の干渉でノイズが走って情報が読み取れない。
「もう近いはず……」
 そう呟き六合塚が歩調を緩めた途端、少し先の路肩へ植えられていた街路樹の陰から、人の形をしたブロックノイズが飛び出したかと思うや、六合塚の方へ突進して来た。
「永峰⁉」
 即座にドミネーターを向ける六合塚。
 近い──
 おそらくドローンで六合塚の接近を察知して待ち構えていたのだろう。目測ながら既に距離は35メートルを切っている。
《犯罪係数339:執行対象です》
 ドミネーターのサイマティックスキャナーが前方の人影を捉え、執行すべき相手だと知らせる。
 と、ふいにノイズまみれのホログラムが解除され、爆弾ベストを着た永峰がその姿を露わにする。
「クソが! お前も地獄への道づれにしてやるッ!!」
 永峰は怒声をあげながら、六合塚へ見せつけるように赤い押しボタンが取り付けられたスティックを掲げる──おそらく手動の起爆スイッチだ。
《セイフティを解除します:執行モード──》
 永峰との距離は既に30メートルを切っているが、まだドミネーターは発射状態になっていない。焦れる気持ちを抑え、六合塚は接近する永峰へ照準を合わせ続ける。
 29、28、27、26──六合塚に近づいて来る死。だがドミネーターを撃つ以外、今の彼女に選択の余地は無かった。
《──慎重に狙いを定めて、発射してください》
 ドミネーターの音声に促され、六合塚の指がトリガーを引く。
 ほぼ同時に永峰も、自動起爆装置が作動するのを待たずに起爆装置のスイッチを押した。

 ドンッ!!
 
身体を芯から震わせるような爆発音と衝撃が、公安車両で移動中の宜野座と須郷へ届いた。
「爆発!?」
「こちらハウンド1。ハウンド2、六合塚! 大丈夫か⁉」
 助手席の宜野座が六合塚を呼び出すが、六合塚からの返信は無い。
 固い表情で顔を見合わせる宜野座と須郷。
「急げ、須郷」
「六合塚さん、無事でいてくれ!」
 須郷は車両のスピードを上げ、現場へと急ぐ。

 事故などの極限状況下において人間の思考が高速化し、本来なら認識できないような一瞬の出来事をまるでスローモーションを見ているかのように感じる場合がある──以前何かで読んだことがあるそんな現象を、六合塚は実際に体験していた。
 起爆したプラスチック爆弾が生み出した火球。本来なら認識するヒマさえなく飲み込まれているだろうそれが、ゆっくり膨らんでゆく風船のように見えた。
 高温のプラズマと衝撃波、そして殺傷力を高めるべく爆弾に混ぜられた金属片。それらが混然となった火球は六合塚へ迫る確実な死であった。
 ここで私は死ぬのか。高速化した思考の中、六合塚は自身の終わりをどこか他人ごとのように感じていた。
 ──しかし六合塚は気づいていなかった。
 切迫した状況下、発射直前にドミネーターが発したメッセージが聞こえていなかったのだろう。六合塚が永峰へ向けてトリガーを引いたのは、対象を死傷させるドミネーターではなく、対象を分解消滅させるデコンポーザーであったのだ。
 その瞬間、巨大な蜘蛛のように変形したデコンポーザーから、迫る爆発の火球へ向けて強烈な分解ビームが発射された。
 人間を遥かに超えたシビュラの演算能力によって調整されたビームは、六合塚めがけて飛来する金属破片だけではなく爆弾が発生させた高温のプラズマと衝撃波を伝える大気さえも分解消去してしまったのだ。 
 
六合塚を直撃するはずだった爆発の火球に、まるで大きなスプーンでくり抜いたような巨大な穴が穿たれた。が、次の瞬間、デコンポーザーが生み出した真空の穴へ周囲の膨張した熱い空気が一気に流れ込む。
 緩和されたとはいえ大きな威力を残したそれは軽々と六合塚は吹き飛ばと、アスファルトへ叩きつけた。

「六合塚!」
 爆発から数分が過ぎ、ようやく現場へ到着した宜野座と須郷は、車から飛び降りると、路上に倒れたままの六合塚へ駆け寄った。
「六合塚! 返事をしろ‼」
「どいてください宜野座さん、蘇生処置を施します!」 
 車両のトランクからAED(自動体外式除細動器)を取り出した須郷は、電極を胸へ装着すべく六合塚のスーツへ手をかけるが、その手を六合塚の手が掴んだ。
「六合塚さん⁉」
「おい六合塚、大丈夫なのか⁉」
 薄目をあけた六合塚は、自身の耳を指さしながら
「鼓膜が破れて聞こえませんが……生きてます」
 そう言うと、二人を安心させるために軽く笑ってみせた。

 爆散した遺体はDNA鑑定によって、永峰本人であることが確認された。
 同時に永峰が借りていたレンタルスペースから残りの爆薬や電子機器類が発見されたことで、それらの入手経路等の調査は継続されるものの、爆弾テロ事件は一応の解決を見た。
 公安局ビルの医務室へ運び込まれた六合塚も、普段はクールな唐之杜を別人のように取り乱させたものの、鼓膜の再生治療が必要である以外は軽い打撲と火傷を負った程度で命に別状はなく、一係の皆を安心させた。

 既に勤務時間の過ぎた刑事部屋で、宜野座はひとり事件の報告書を作成していた。集中力に衰えを感じた宜野座がコーヒーサーバーへ向かうために席を立つのと同時に、部屋へ常守が入って来る。
「宜野座さん、まだいらっしゃったんですか?」
「報告書をまとめてしまおうと思ってな」
 貴女こそ、こんな時間まで──そう言いかけて宜野座は言葉を飲み込む。
 聞くまでもない、常守はこの時間まで、局長室で霜月のミスによって近隣の建物へ爆発の被害が出てしまったことへの釈明をしていたのだ。
 一般人への被害が避けられただけでも大きな成果と言えるはずだが、今回の作戦は『リスキーな案だ』と局長に釘を刺されていたのを常守が、自分が責任を持つと押し切って実現したものであったから、風当たりは強い。
「すまん、もう少し俺が気をつけていれば……」
「やめてください、宜野座さんは悪くないです」
 これまで様々な凶悪事件と対峙してきた先任監視官は、まだどこか少女のあどけなさを残こした顔で微笑んでみせた。
「局長に嫌味を言われるのは慣れていますから大丈夫です。それより今回のことで美佳ちゃんが自信を失わないかの方が心配で」
「たしかにな」
「もう少し柔軟になってくれたら……いけない、愚痴ってしまいました」「愚痴ぐらい、いくらでも聞くよ」
「ありがとうございます。もう私が愚痴れる人って宜野座さんくらいしか居なくて……」
 常守の視線が、もう此処にはいない誰か求めるように室内を彷徨う。
「じゃあ、私はもう帰ります。宜野座さんも適当なところで切り上げてください」
「ああ、お疲れ」
 常守が出て行くと、再びにオフィスに宜野座だけが残される。
 宜野座は、常守がしたように室内に視線を走らせ、かつてここに居た執行官達を思い起こす。狡噛、縢、そして父。もし彼等が居てくれたなら、今回の作戦はミスなど無く成功していたかもしれない。
 今の常守は、自分が監視官であった頃とは比較にならぬほど様々な重責と戦っている。執行官落ちしてしまった自分には、もはや彼女の責務を肩代わりすることは出来ないが──
「せめて自分が関わる現場では、可能な限り彼女への負担を減らさなくては……」
 暗い空から地上へと降り続ける雨粒を窓辺で眺めながら、宜野座はひとりそう呟いた。

 

 

 

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