ハイバイ 再生 をみて

昨日、ハイバイの「再生」という演劇を観ました。
ともかくそれを、今の私が、見て聞いて、色んなブルブルを感じることが出来て、本当に良かったと思っています。

何も語るべきではない気もしますが、自分の為の備忘録として言葉にしてポチポチ打ち込んでおこう。

(常日頃、全てのことを受け流し忘却しすぎているところがあるので、こういった上質な非日常に出くわすことができたときくらい、自分に刻み直しても良い)

(常日頃、私がそうして忘れてしまっていることは逃避でもあり、それを許さない「再生」のストイックさに影響されてのポチポチでもある)
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私は何度も繰り返します。
家から駅までの道/冷蔵庫の開け閉め/遠い異国へのあこがれ/好きな人に会うこと。
これまでも恐ろしい数繰り返して、きっとこれからも繰り返すでしょう。
しかし、何度やっても、同じことは1つとしてありません。
私の身体や意識が描く軌跡は前回のそれとは少しだけずれている。
その軌跡が、積み重なって出来るのが人生なのかもしれません。
繰り返すことは安心です、考えることが少なくて済むから。


しかし、螺旋階段が表すのはそれだけでしょうか。
もう1つ外側から見てみますと、私の軌跡の螺旋階段は他人と複雑に絡み合って、カオスです。

もし、人間ひとつひとつが細胞で、大きな何かの中で動いてるとしたら?

さらに、地球が、大きな人間の小さい細胞のひとつだとしたら?

逆に、私たちの中の細胞とかDNAとか、が、誰かの人生の軌跡のツブツブが螺旋状に形作られてできているとしたら。

我々はそんな多重世界の欠片なのだとして、

舞台上で舞うあの欠片を、ひとつとして、蔑ろにしたくないし、同時に、お前、これでいいのか?と、何度も揺さぶられた気がしました。

ラジウムガールズ

アダムとイヴ

そんなことは置いといて。

知ってる道は安心ですよね。
食べたことある食べ物も安心。
既知だから安心のつもりだけど、
実は既知じゃないんだな。
だってその時その場所で全く違う状況ですから、既知ではないのです。別物です!

ということを思い出しましたし、
全部を抱きしめたくなりました。


もう一度この作品をみることができる予定です。
とっても嬉しく、楽しみです。

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