大学入学から市民ランナーになって 自己紹介4

こんばんは。仕事がドタバタでして、更新が遅れておりました。
さっさと自己紹介終わらせろよ!て声が聞こえてきそうなのでこれでなんとか終わらせにかかります。


マラソンを走るために決断した市民ランナーという選択

高3の6月上旬に正式に陸上部を引退し、大学が決まる9ヶ月ほど走ることをほぼ封印し、受験勉強に命懸けで専念した。
その間も息抜きも兼ねて2-3日に1度は40分ぐらいjogをしたりしていたが、ほぼ封印に等しい。

なんとか受験を終え、思ったことは
やった!!これで気兼ねなくマラソンに応募できる!!
であった。
それぐらいフルマラソンを走りたかった。
大学が決まってから、陸上部に入るかどうかはまだ決めてなかった。フルマラソンに積極的にチャレンジしているサークルがあるのかどうかもかなり調べた。
ただ、私の当時の絶対譲れない軸があって、
•絶対に年1回以上はフルマラソンを走っても許してくれるところがいい
•トラック中心は嫌。ロード中心に走りたい。

というもの。まぁこの時点でほぼ陸上部は無理なのかもしれんが、一応仮入部して考えようと思った。
とにかく高校でトラックなんてもう2度と走りたくない、という気持ちが強くなり、ロードレースを楽しくjogペースでファンランしたかった。
しかし、1500mで5分の壁に跳ね返された悔いはどうしてもあり、その壁にいつかは再チャレンジしたい思いも当時から僅かながらあった。

結局仮入部すると、フルマラソンを走ることはあまりいいとは思っていない方針の陸上部だったので、陸上部に入ることを断念した。
ランニングサークルもいまいち当時はよく分からず入らなかった(結局翌年に入ることになるのだが)。
当時は軽音もやってみたいという思いがあったので、結局軽音団体に入ってギターとキーボードをやったりしながら、市民ランナーとして走る始めることになった。

ただ、1人でフルマラソンに挑戦するのもなんだかなぁ、と思い、地元の奈良市内のランニングサークルに入会し、フルマラソンの練習法をご教授頂きながらマラソン仲間を作ることにした。
これが私の第二の陸上人生、学生市民ランナーへの第一歩だった。


大阪国際女子マラソン目指してみない?から始まったガチランの再開


ランニングサークルに入って、いろんな方々とお話をしているうちに、とある男性ランナーから
大阪国際女子マラソンを目指してみないか
と言われた。
当時の資格タイムを告げられ、君なら若いし陸上経験もあるしハーフや30km、フルのタイムでいける!
とのこと。
なんかよく分からないけど調べてみよう、と思い調べてみたが、
もし少し頑張ればこんな大会に出られるのであれば目指すだけやってみるか、と決意。

結局フルマラソン完走だけを目指すファンランナーという道はわずかランニング再開数ヶ月で終わりを迎えることになったのである


大阪国際女子マラソンまでの険しい道のり

結局高校の時並みに真面目に練習になるものの、9ヶ月のブランクは私にはとても大きい。
ちなみに大学入学から7年が経とうとしている今でも1500mだけはベストを更新できていない。
慌てて陸連登録をし、2016年10月に公認ハーフに出場するも、当時の資格である88分どころか90分も切れずにヘロヘロでゴール
12月の大阪ロードは直前に膝を痛め、せっかく練習がつめていたのに18kmでDNF
1月は大阪ハーフにエントリーするも、不調が続きギリギリの90分切りで88分には届かず
3月の名古屋ウィメンズまでしっかり練習を積み、当時の資格タイムである3時間10分は行けると思っていたものの、まだ脚作りがうまくいっていなかったようで36kmで撃沈し、3時間13分39秒と惨敗を期した。

ということで大学1年性の時は大阪国際女子マラソンの出場資格を取得できなかった。

1年かけてダメだったこと、大学2年の春に貧血に陥り、1km走るだけで酸欠になっていた酷さだったことから、もう私には大阪国際なんて無理だろう、と思っていた。
諦めようとしていたが、根底が負けず嫌いだったので、結局なんやかんやで貧血を治しながら走ることとなる。
しかし、貧血から大飛躍することができた。


貧血を乗り越え、大阪国際女子マラソン出場資格ゲット、サブ3達成

8月あたりから貧血が治り始め、ぐんぐん走力が向上。
2017年の福井マラソンのハーフで88分切りを目指していたが、9月で一気に調子が上がり、本番はまさかの
84分53秒
と88分どころか85分も切れて、2位入賞し、大阪国際女子マラソンの資格をゲットした!
あの時の驚きは今でも忘れられない。
そしてフルの資格を大阪マラソンで狙うと、3時間10分どころか
2時間58分53秒でまさかのサブ3達成
当時の自己ベストを15分近くも大幅に更新できた
しかもネガティブスプリットでゴール

サブ3なんて目指してもなかったのに、突然達成したので驚きが隠せず、ゴールした時に
え!?!?
て叫んだのを今でも覚えている。

こうしてまさかのサブ3の資格タイムを持って満を持して悲願の大阪国際女子マラソンへ出場したのだ。


絶好調の終わり 次のサブ3まで1年2ヶ月、5大会かかる

このままの勢いで55分切り、その先へ!と思っていたが現実は甘くなかった。
大阪国際は32kmでヘロヘロになり、低体温になりながら3時間1分台でいっぱいいっぱいに
結局そこから故障にも苦しみ、
東京、北海道、大阪
と3時間一桁台で足踏み…
結局次のサブ3は2019年の大阪国際女子マラソン、次のベストは2019年の姫路城マラソン、となかなかの苦戦であった。


過去マラソン実績まとめ、今後の目標

これ以上書くと終わりが見えないので、フルマラソンの実績を全て羅列してまとめにかかる

大学1年
2016年奈良マラソン3:29:25
2017年名古屋ウィメンズマラソン3:13:39
大学2年
2017年北海道マラソン3:14:49
2017年大阪マラソン2:58:53(初サブ3)
(2017年12月にサークル交流でフルマラソン3:03)
2018年大阪国際女子マラソン3:01:49
2018年東京マラソン3:03:54
大学3年
2018年北海道マラソン3:00:16
2018年大阪マラソン3:01:41
2019年大阪国際女子マラソン2:59:32
2019年姫路城マラソン2:55:39
2019年とくしまマラソン2:57:54
大学4年
2019年北海道マラソン3:07:09
2019年大阪マラソン2:55:00
2020年大阪国際女子マラソン27kmでDNF
大学院1年
2021年名古屋ウィメンズマラソン2:51:16
大学院2年
2021年金沢マラソン2:51:31
社会人1年目
2022年北海道マラソン3:16:17
2022年防府読売マラソン3:02:54
2023年大阪国際女子マラソン2:57:00

改めて見るとたくさん出ているわけであるが、
サブ3は8回している。しかし
2021年名古屋ウィメンズから伸び悩んでおり、悪あがき中…

サブエガはまだ諦めない、そしてその先へ行きたい…
目指せ、リケジョトップ市民マラソンランナー
今後も走り続けます!応援宜しくお願い致します🤲

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