パトロール

京都のバーで、言語学について隣の人と話す。
ロゴスとパトス。パトスのこと信じられなくなってきている。言語化にこだわるのは何のためなんだろう。
言語化できないものが根底にないと芸術は複雑さがなく、演劇にしなくてもいいというようなことを言っていた。そうかもしれない。

パトスのことをいつから見つけられなくなっているんだ。
誕生日が近づいていて、あの子と同い年ではなくなる。嫌だな。お揃いをまたひとつ失う。私だけが1人で進んでいるようだ。ずっとそうだったって言われてしまうかもしれないけど君には。

感傷マゾという言葉を知る。あの子を思い出すから涙が出るのか、泣くからあの子を思い出すのか。
憂鬱になるだけの余裕があるんですね、なんて皮肉を自分に言う。あの子を想う当時の自分を見る今の自分を天井の自分が笑って、宇宙の自分がこの構造を分析する。じぶんはひとごろしなのだからしあわせなみちをあゆんではならない。脳内で反芻する言葉には不幸のまじないばかり。
間違いだとわかっていて、それを咎める自分も冷静な自分も感傷的になっていることを知らせる自分もここにいる。私に授けられたしあわせをお墓に埋めてよ。

いま会いに行けばまだ河原にいる?待ち合わせはいつも川の隅だ。

キスされて飛べなくなった宇宙飛行士。
身体の一部を治療する。自分の欠損のために、将来的な話をされる。いったい自分はこの身体を何年使うんだろうか。終わりがわかっていれば容易く判断できるのに、可能性に数十万をかけるべきなの?

あの子の身体。あの子は身体を大事にしていたから、選択肢が限られていた。生まれるのに当人の意思がないなら、最後くらいは自分で決めたくなるんだろうか。

冬は日が短くて沈むのも仕方がないですねと精神科医の自分が言う。あの子がいない冬は毎度のことなのに。春になってももう咲かないから春夏秋冬はのっぺりと。
夏になったら帰ってくるかい。冬眠はながくってさむいね。

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