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ない傷かも知れない運転かも

傷つけてしまうことを恐れていても
誰かに迷惑をかけるし嫌な思いをさせちゃうし
傷つけるのが怖いという表現さえ誰かに嫌な思いをさせているかもしれない。
表現すること ものを言うこと 怖いよ。
こう書いたって罪ほろぼしにはならないのに。

加害恐怖とか強迫観念なんだろうって
わかってても。


私は演劇をやっているのだけど、一度私が出演した公演のアンケートで
「気持ちが悪くなっちゃった」と書かれていたことがあった。「(稽古中)何を考えていたんだろう?」とも書かれていた。
初めて読んだ時は、がーんとした、ように覚えている。
夢を見ていたら、叩き起こされて目が覚めたような感覚。

公演終わりの打ち上げの最後に見たからまだよかったけど、
明日も公演がある状態で見ていたら私は千秋楽を迎えられたかわからない。
その公演のあと、長い休日がやってきたのもあって、数日布団にこもった。何にもできなくなった。
いつも公演が終わった時は、お祭りが終わったみたいに脱力して、急な現実にめまいがする。けれどその時は、現実よりもどうしようもない自分にノックアウトされて、いつもより長い間立ち上がれなくなった。

もう演劇をやめよう。
繭のような布団に包まれ、その思いが育っていった。
表現をするのが、すごく怖くなった。
今まであまり考えていなかったのが不思議なくらい、表現すること、表に立つこと、言葉を発することって、怖い。
どうして今まで、何回も舞台に立ってきたのに、観てくれる人の痛みに鈍感でいたのか。悔やんでも、どう謝ったらいいかわからない。

本当にアンケートのおっしゃる通りで、私は何を考えてきたんだろう。対面できても多分なんにも言えないな、と思ったら、積みあがりを錯覚していた稽古時間がぼろぼろ崩れていった。
私は何をしてきたんだろう。この人を嫌な思いにさせるために練習してきたの?
私は何時間この役をやってきたんだろう。私が演じなければこの人は傷つかなかった?

舞台上で言ったのは私が考えた言葉ではないかもしれないけど、役者の思いは発話に滲むはずだし、演出に意見を言うことだってできたはずなのに。
私は何をしてきたんだろう。
今までも私なんかが表に立つことで、いろいろな人を嫌な思いにさせてきたのかもしれない。

舞台に立つ資格がないよ、と頭の中に言葉がこびりつく。
よくわからない言葉のくせにもっともらしいから、布団に縛られる。舞台はおろか稽古場もコンビニもどこにも行けない。部屋の床にも立てずに、寝転がったまま。

怖いよ。表現することも、こんな文章を書くことも。
表現をすることは傷つけることだ、だから、傷を軽くできるようにしたり、傷つける覚悟をもたねばならない。
って、誰かが書いてたけど、私は傷つける覚悟をもてるのだろうか。

ごめんなさいって謝ったって
自己保身と自己嫌悪をやめるための行動に思える。だけど拙い表現にはごめんなさいとしか言いようがない、今の私には。
あなたのことは傷つけたかったわけじゃないんだけど、今まで傷つけたり、これから傷つけてしまったりしたらごめんなさい。

果てしなく私は人を傷つけていく。人と関わるだけで人を傷つける。
自分の傷は自分がわかるからいいけれど、他人を傷つけたら自分がわからないから、その傷がかさぶたになっても、治っても、自分の負い目は消えない。私は加害者。いつまでも加害者。

自分が気にしてるときほど、相手はけろっとしてることもある。自分にとっての大事故が、相手のかすり傷にもならなくて。
自分で自分の首を絞めてるとわかっても、相手の痛みはもっと大きいかもしれないから、積極的に窒息死。相手の痛みが和らぐなら、死んでしまいたい。
死ねば私の自分の不甲斐なさも消えてくれそうだし。

あーなんと誰かをやーな気分にさせそうな文章だこと。

どこかに傷つける覚悟、落ちてないかなあ。



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