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再生記(2.9) 生の消費者

みてみて〜!!
これはサイネリアってお花。初めて生で見れたよ。ずっと探してたお花なのでうれしいな。

サイネリア、最初はシネラリアという名前で日本に入ってきたんだけど、「シネ」がよくないねーって改名したんだ。でも「サイ」も災いっぽくて、お見舞いとかに持っていくのはだめなんだって。単なる名前のせいでさ。
作演したお芝居を作ったときにモチーフに使ったお花で、その時に知ったんだよね。

何よりこの花が好きなのは、「いつも快活」っていう花言葉があること…海外だとそんなイメージなのに日本では「死」とか「災」とかを思い起こす名前って言われちゃうの。サイネリアさん、そこんとこどう思ってるかな。私だったら、海外に行きたくなるけど。

この花を見つけられたのは今日イチのハッピーですね。



あとの文章はどよんとしてますので、注意です。

体力が落ちたなーという実感がある。
午前中、なんとか外出してみて、勉強のための本を買ったのだけど、くたびれてしまった。目的の本がどこにもなくて、あちこちを探し回って、結局なかった。ネットにも正規のがなくて、メルカリとかになっていた。なんで?

あーつかれたな。そりゃまあいろんなところに出かけていったけどさ、それにしてはだよ。
バックも持たず、荷物は全部コートに入るくらいだったし、靴も履きやすいものだったし、何より自転車移動だったのに。
呆れたよ。
活動してる最中に足がだるいなー疲れたなーって思ったの、久々な感じ。ベンチで寝転がりたくて、うーんってなったり。まさしく衰えだな。衰え。
何もかも数日間「ちゃんと」してなかったからなんだと思う。

最初は松野屋に行った。朝食をとるために外に出ようというきっかけだったから、ベストな朝定食。朝の松野屋にいる人たちは特有の雰囲気を持っている気がする。

朝10時にスーパーやパチンコに並ぶ人を見て、不気味とすら思った。亡霊のように立ち尽くしている気がするのはなぜだろう。
スーパーとか洋服屋とか久しくいってなかったから、見るのは悪くなかった。けれど所持金もないし、買いたいなーとは思っても買おうとは思わなかったし思えない。散々見て帰る。

家についてから、私が消費にうんざりしているのかもしれないとわかった。だからバイトがしたいと思っているのかもしれない。今はするべきタイミングじゃないよ、と諭されてても。
目に見えないから時間の消費には無自覚でいれるけど、目に見えるお札や硬貨の消費はつらい。
かつての同居人に愚痴ると、甘いものや美味しいものをたまには食べなさいという。けれど、いつもご褒美ばかりあげている自分にそんなものはあまり価値がないのだ。
どうしようもなくダラダラと甘やかしていて、みっともない。怠けている。
だからお金を消費したくない。賃金を得て、罪悪感なく消費を行いたい。「ちゃんと」しなくてはならない。

3時くらいに家に帰ってきてからも、頭の中がモワモワしてて、うんざりしてて、布団で寝た。やっぱり布団で寝るとスッキリはする。するけど時計を見ると、ガッカリする。夜だった。何もかもを消費して、私は全く生産していない。生産が足りないから、きっと文章などでごまかしている。けどそれが実際に何になるんだろうと、時々悲しくなる。私が消費するものとの互換性がない。自活できていない。生産するものがお金だったなら、釣り合うのだけど。

やはり行き着くのは「自己肯定感」というワードなのかなあ。
自己肯定感、あまりにもありきたりというか、ゴールというよりは迷路のいきどまりみたいなニュアンスさえある。自己肯定感がない、で片付ければなんかもうどうしようもない。解決策がないんじゃどうしようもないのに、原因知っただけでグンニャリしてしまう。意気消沈。

自己肯定感があれば、生産しなくても消費し続けれられるのかもしんない。や、それは違うか。

消費だけしてきた、いいとこ取りだけしてきた私のあり方にもう飽き飽きしているんだろうな。生産性のない私に、飽きていたのは結構前からだったけど、生産活動の大変さの方にやる前からめげていた。
それが、今は、大変でもいいから生産して、自信を持って消費したいと思っているんだな。

あーどうなるのかなあ私。どうにかせにゃ。

つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ