再生記(2.28)大しけ
あってないような日。体温がずっと上がらない、さむい。
あまりにも調子がよくないが、だいたいの原因は自己嫌悪の声や向き合いたくないものたちなんだよな。
しかしながら、そんな正解を突き詰めたところで自己理解というより自分きらい……になってしまうのだ〜
今日は逆うるうみたいなことにしよう、ない日。
風邪っぴき体験みたいな感じ。風邪ならしゃーないもん。
最近うっすらと思ってしまった。もういい加減にしないとダメだ、と心のサーモスタットが作動した。のが、なんだかつらい。
決意は揺らぐね。自分の誇りと自己嫌悪は表裏一体だ……
自分のことが好きになれるものごとなら維持できて、嫌いになってしまうなら維持できない。
んで、今まで自分を好きになれる要素の一つだったことが、大きく頼りすぎていて、少しバランスを崩しただけで自己嫌悪に傾いてしまった。
手放さなくてはならない、そろそろやめなくちゃならない、と思ったら、私の細胞組織がズタボロになっていた。いつのまにかある一つのことを中心に私が回りすぎていたな。
夢から醒めたような、そんな感覚。
長い間の執着を手放していいんだ、と思うとふわっと自由になれる気がした。けど同時に心の拠り所がなくなって立てなくなった。
私は今までずっと助けられてきたし、だからこそなにかで恩を返すなりしたいと思ってきたけど、そうして執着していたけれど、
もしもそういう執着が迷惑になるのなら……
迷惑かもしれないと考えるのが自己受容に大きな打撃を与えるのなら……
私はキッパリとやめるだろう。
やめるしかない。
今までやめるなんてこと考えたこともなかったから、そんな結論が出たことが怖くて、自分が信じられなくて、そんなたった一回の揺らぎにこんなに慌てる自分も嫌で
時々あるけども、こんなにショックな揺らぎはないかもな。
オレンジ色を一番好きな色とするのをやめたのも、カメを一番好きな動物とするのをやめたのも、高校のころ特別だった人への想いをやめたのも、うんざりする自分の生活や時間の使い方を変えたかったから、だったからな。
もう私の生活にこれ以上影響を与える必要はないのかもしれない。その対象が望まないならなおさら、もう執着しないほうがいいだろう。
なんだかな、もうわかんないな。聞いてもないのに迷惑か、なんて思うのはひどいよなあ、でもなんだろう
いっぱい感情が揺れるのにつかれたのかなあ。
ドラマチックではあったけどなー。でも対象が望まないなら必要のないドラマだ。わたしも手放そう。
あーーーー!思い出した、一年前くらいにもやめよーってなって情報得るの禁止したんだった。その時は見ないことを続けることが自己肯定につながってたな。茶番だなあ、ルーティンなのかな。
せっかく誰にも咎められないからさいかいできたのに、自主的にやめようかと思うとは。
おそらく一つのことに傾倒しすぎてるから、だけどね。
一度途絶えたからこそありがたがってたのに、もいちど自主規制かけるなんてな。
馬鹿みたい。
あーでももうなんだろ、やめよかな。うん、バランス崩れてるのは確かだし。
つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ