見出し画像

いつも一口だけ残してしまうから、怒られていた。食事が終わらない、食器が片付かないと。

たくさん映像を見る日。こういう日に限って晴れてくる。疫病の時から晴天に必ずしも喜ばなくなった。お米は無事ゲットした。5キロの米、外出直前にペリペリと段ボールのシールを剥がし、5合炊飯器にセットして、買い物ついでに段ボールを捨てる。
米、米米米米米、本当に今日は米が食べたい!!!
朝昼とろくに食べていなかった分を取り返すように?半額になってた赤身と大トロの刺身。お惣菜のタルタルチキン。エコバッグぱんぱんにして買い物。農協牛乳が100円台でうれしい。
茄子のステーキと買ってきた魚、肉。豪勢な食事。楽しようとして買ってきたのに、結局茄子に手をかけしまった。ナスステーキはYouTubeで見ていいなと思ってたから。既製品より美味しかった気すらする、なにしろ一個目のおかずだったから。野菜肉魚とバランスがいい、作りたての麦茶をがぶ飲みする。

大豆田とわ子は2話目を夕食とともに。面白くなってきた。縁が切れたり戸籍的に別れたりしても、続くというのはいいよな。別れた後の話をしている2人がよかった。
むかし、一度縁を結んだあと、切れたらその人とはそれっきりになると思ってたなあ。だから、大事なお友達とは友達のままでいる方がいい。関係に特別な名前をつけるなんてとんでもない。特別になるということは特別でなくなる日が来るということだから。
けど、人は生きている限り再会する可能性がある。縁があれば再開する。答え合わせはたぶん、一人の探検と同じくらい面白い。もう行き着くところはないし、不安もないから、冒険にはなれないけど。
今は再びを信じられるから、特別を怖がらない。

縁を切らないでいてね、と約束してた人、いまはなにをしていますか。生きていた人は遠くまで会いに行ってから、二度と夢に来てくれない。会いに行ったのに、会わなくなるための旅じゃなかった。あの他人と話をしてからは呪文を聞いても泣けない。山を降りてから、なんなら話をしたときから?新しい縁も懐かしい縁も恵まれて。でもあの子に会えなくなった。12時間のバスでもあの子はいなかった。
あの子と答え合わせがしたかったんだよ。

織姫と彦星を恨んで電話をかけたことがある。一年も待ってないくせに一丁前に羨ましがった。つながった電話は音が小さくて、本当に、遠い。
公衆電話の音量調節のボタンすら知らないままかけていた。通る度にずきんとしていたあの場所も、もう遠い。
七夕に託けていることはわかっていて、でもなんでもいいから数字に背中を押されたかった。今日やるんだって銀河に八つ当たりした。あとからこうやって思い出すことも電話ボックスに入る前からわかっていた気がする。

輪るピングドラムを全話見る。なんかちょっと追いついていない頭。人が死にそうになったり救われたり救ったり。血縁だと思ってた3人はみんなバラバラで、想いだけで繋がってた。
ジャイアントロボのラストシーンの銀鈴を思い出す。最終話の分かりやすく切ないシーンに、分かりやすいと思いながら苦しくなった。忘れられることは怖いこと。再びがなくなるから。
3人の縁への執着の理由に、まだハマりきれてないから表面をなぞるだけに終わっている。

なんでもない日に、あの子に会いに行こうかな。


画像 : 久保田成子 《韓国の墓》

つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ