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さけないの酒 のまないの酒

今日からちょうど一ヶ月後の八月二十一日。
初めてお酒を飲む、予定。

成人を迎えても、お酒は飲まなかった。誕生日の日はノンアルコールカクテルを嗜んだ。
親族から誕生日の贈り物としてワインが郵送されても押入れに入れた。花瓶にもなるようなデザインの瓶は、栓さえ抜かれない。
飲み会とはソフドリを飲む会だった。一つでもジュースになるよう率先して空のピッチャーを渡す時間。

飲まないことはさして苦しい事でもない。味を知らないから恋しくなることもないし。
自主的にやっていることだし別に褒められるためのものじゃない。
すべては最初のお酒を一番美味しく味わうために。約束を守るために。悔いなく気持ちよく飲みたい。
そのために、大好きな人と大好きなところでお酒と出会いたいのだ。
きっと我慢したらより美味しくなる気がする。
時々するお酒の妄想は、甘かったり苦かったり辛かったり、様々だけど、念願であれば美味しいだろう。

でもお酒を夢想する飲み会の時間がある一方、一生知らないのもいいなと思う。
ずっとずっとお酒の味を知らずに生きていく。妄想していた方が喜びとしては大きいかもしれない。どんなに美味しいだろう、と。実際は不味いかもしれないし。

半年以上忌避しすぎて、お酒がある種毒のように思える。
アルコールに浸されてない内臓が染められていくのが嫌。
気分の上昇をお酒でコントロールするようになるんじゃないかって、依存するんじゃないかって、恐ろしい。
飲みすぎて体調が悪くなるのも、二日酔いも、悪酔いも、酔って誰かを傷つけるのも、理性が飛ぶのも、ふらふらするのも、全部こわいよ。

一ヶ月後には。
脳にアルコールが回っている。ふらふらして、倒れて寝て人を困らせているかもしれない。あんまり、想像したくないけど。

飲み会で他の人がどんな風に酔うのかは、素面の私が一番覚えてるはず。かつて、「飲んでたから」いろいろなことが仕方なくされてしまったように感じた。私は飲んでなくとも、酔ってなくとも、相手はお酒を飲んで変わっている。

幸いなことに、私は無理やり飲まされたり飲みを強制されずにここまで来れた。
お酒を飲まないのは、飲み会にはふさわしくない態度、少なくとも珍しい。私は断って事情を話して、なんらかの反応をもらって、ジュースを頼む。アルハラという言葉があるぐらい、気をつけてくれる人たちは無理に勧めない。ありがたかった。

お酒を飲んだ人は時々酔ってた時のこと忘れちゃうらしいね。飲みの場でのいやなこともお酒の力で忘れてしまえるから、成立している飲み会もあるんだろうな。
いくつもの飲み会を素面で過ごしてきたからこそ、飲み会での人の面白さを十二分に楽しんできたと思ってる。だから、記憶がなくなるのが一番こわい。楽しかったことを覚えていられないのはつらい。

こんな逡巡もお酒を飲んで忘れてしまうのかもしれない。
お酒を前にしながら避け続けた私は、お酒が好きなんだろうか、嫌いなんだろうか。

わからないけど、あと一ヶ月、お酒を飲んでないことを大切にする。

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