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引き合わせすれ違って越えていく

三月の匂いと共に、
あの人は去っていった。
あの人のことは
好きじゃなかったみたい。

色々なことを
思い出すために、私は。

あーあ、忘れたくないのにな。

(「寂しさが、マジで鳴るなんて思ってなかったのに、まだ、あなたはそこにいるの?」フライヤーより)

今日は二駅隣の場所に用事。
電車に乗って数分で目的の駅名が呼ばれて、立ち上がる。

ここは大学入学時に知り合った友達が住んでいる駅。
二人とも同じ時期に同じ地方から上京して
かれこれ四年間、二駅隣に住み続けていた。

降りる時に、同じ扉で人とすれ違った。
扉が開いて、対面した人はその友達だった。
ばったりと、
あっさりと、
二人が入れ替わる。

耳は女性ボーカルの歌声で占められてたけど、
目が合う一瞬で
あ、ってわかって。
手を振って。
十秒の再会。
振り返りもしなかった。のはウソで、ちょっと離れてから電車をみた。
もう扉はしまってた。

マスクしてたし相手は私のことわかってないかな、と思ったけど、
すぐ連絡が来て
もう数日で引っ越すことを知った。
今日が実質最後だって、ここにいる日の最後。

あーさみしいな。
さみしい。
近頃は感情が揺れなさ過ぎて、これをさみしいと呼んでいいのか微妙だけど。
少なくとも、ふたつ前の駅をすぎる時、あの子の〇〇駅って意識から、あの子の住んでた〇〇駅になる。それがさみしい。
そういうのが変わっていく?知ってる場所からあの子が欠けていく。

また会えばいいだけ。
でも、こういう何気ないすれ違いってこれからもっと難しくなる。
同じ場所に通わなくなるから。同じサークルでもないから。
横断歩道で、学生会館で、食堂で、教室で、廊下で、電車で、ホームで、駅で、帰り道で、
びっくり、ばったり出会うことは減るのだ。
きっと約束をして、あう、会いにいくことはできても。

あまりに珍しい偶然だったから、これがこの友達とのすれ違いの最後かな、なんてセンチメンタル、考えてしまった。
何回か一緒の電車に乗って帰れたのよかったな。

あの子だって気づいたら、
そのまま電車に戻って乗ってけばよかった。駅の階段を降りながらそんなこと思ったりして。もう電車は過ぎてしまったのに。

住んでるところが近い人たち、結構この時期に引っ越していく。
隣駅のあの子も、新しい家を探してるみたいだし。春、はるかあ。
少なくともあと一人、引っ越すことを知っている。
あの人、も結局ろくなやりとりせずに引っ越すんだろな。遠いところへ。
近所のお店に誘おうと思ったまま、うん。
まあ、なに話したらいいかわかんないから、お店も時短で難しいし。
言い訳だけど。

今月、最寄駅になかよしが引っ越して来て今年一番の幸せだ!と思っていたところだったけど、さみしい引っ越しの方が多いんだって再認識。
嬉しい引っ越しなんて一握りだ。

みんな(?)、遠くに住んだらいよいよ関わりなくなるな。
距離なんて、関係ない時代になってるけど。けれども。
元はずっと遠いところから近づいて、
同じ場所で過ごして、
それで離れていくんだから、出会えただけすごいことなのだ。
再会に期待するっきゃない。

胸張って会えるようになりたいから、自分頑張らないと。
今はまだ、胸を張れない。
引け目なんて感じずに、なかよくいたいから。
また会おうね。

寂しさが、マジで鳴るなんて思ってなかったのに、もう、あなたはそこにいない。

P.S.
私が上京するとき、今日の感傷を持った人がいたのかもしれない。代わりばんこに役を経験していくのね。

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