めきるまた

なんでも既読がつく世界。
あの子へ送った誕生日のメッセージにはいつまでも既読がつかない。読まれることもない。

フリート、使ったことがないから知らなかった。既読がつくらしい。1日限りの媒体で、君への悲しみを表現している人がいた。

あの子がいないから、悲しんでる人がいる。
あの子は人に泣かれたのをよく覚えている人だった。


あの子がいないということについて、純粋に喪失への悲しみよりも、後悔の方が今は重い。

運命なら純粋な喪失の悲しみだったのかもしれないが。はあ。

あの子は人間を好きだったし、嫌いでもあった。

人間の醜いところばかり見てしまったけど、美しいところをきっと信じていて、でも迫り来る醜さに気圧されていた。

好きという言葉を信じれないほどにひねくれて、嫌いの方がまっすぐに受け取る人だった。

人と縁を切るくせに、いつか繋がるかもしれないとかすかに期待をしている人でもあった。

人を二面性でなんて書こうとするなんて愚かなのだけど、言葉であなたを書こうとすると縛られることになる。

あの子の周りにいない人の言動を意識した。それがあの子の印象に残ると信じて。

あの子の予想の反例になろうって、執着か、意地なのか、ずっと思っていたけれど、今日意識した。私は君の反例になりたかった。

(「こういうこと言ってやったの誰もいない」っていう言葉をとある話題の時によくいう人がいて、もう決まり文句になってるんだろうから仕方ないけど、なんかすごいうわーってなる。だってきっと「誰も」の中には実行した人がいて、それを決まり文句のために0にされている気がする。実際ある友人が実行はしたのだ。続かなかったけど。だからカウントされていないのだけど。)

あの子のいう、人間というものに対する判断はなんか決まり文句というより、本当に吐露なんじゃないかって。心底思っていることに感じられたから、私が反例になったら、私のことを1にカウントしてくれる気がしていた。

まあ、私も君の反例の1つにはなれなかった。君の嫌いな「人間」の仲間入りしているだろうか。私の好きな人の1人だった君だけど、君の存在に対して何も返すことができなかった。

きっとあの子の方が覚えているから、私も負けないように忘れないようにしてたんだ。一過性のものじゃないぞって見せるために待ってたんだ。縁が切れても、繋ぐ準備をしてたんだ。

好きが一過性のものだと思われたら、また君が人間に失望してしまうから、私は執着してしまう。私は比較的人間を好きな者として、君の中での人間の評価を落としたくない。

最後がダメだった。私は最後なんて知らなかったのに、君が最後にした。終わりよければ全てよしになるはずだったのに。空白期間があろうと、喧嘩しようと、最後仲直りするんなら、関係として別にいいじゃん。

おい、ばか。

なんで止めるんだよ。


こういうこと書くと君がまた迷惑がる気がしてる。
君はばかなんじゃなくて、とっても賢いね。でもなんて言ったらいいの。君を責めても仕方がないけど、私は社会の誰に怒ればいいの。怒っても仕方ないってわかっていて。これは怒りなのか、嘆きなのか。

もう私は誰も殺したくないし、社会に殺されたくないし、社会がこれ以上人を殺すのを見過ごしたくはない。私は社会を構成している1人で、その分だけ殺人に責任を持つ。


もう本当に殺したくない。



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