大人の悲しみの乗り越え方が分からない

2、3週間ほど前にお母さんからLINEでおじいちゃん認知症の入口かも、、あんなに大好きなお風呂を嫌うっていう連絡が入った。

友達の家に向かう途中の電車だったけど、涙が止まらなかった。前々からおじいちゃんのことは心配してたけど、いざ病名を言われると悲しかった。

おじいちゃんは親戚の中でいちばん性格が合う思う。真面目で几帳面、the銀行員。甲子園の開会式が大好き。たまにおちゃめで、お酒飲んだら弾ける。年末には年賀状がほんとうに見たことない数届く。軽く300〜400枚くらいあるんじゃない?くらい。本当に賢くて、銀行の支店長まで上り詰めて、そこから60過ぎて製薬会社へ引き抜かれて働いて、私にとっておじいちゃんは憧れでもあり誇りでもあった。

そんなおじいちゃんの今の状況をきいて、その日は泣いたけど、まだ入口だしな、まあ大丈夫って思ってた。そしたら昨日お姉ちゃんから電話でおじいちゃん認知症って診断されたよって言われた。曜日ももぅ分かんないよって。

聞きたくない話で昨日はずっと泣いてた。涙って枯れないんだって思うくらい。でもこの涙はなんの涙?って思った時に、もちろんおじいちゃんの健康面の心配もあったけど(認知症の寿命みたいの見ちゃった)わたしの憧れのおじいちゃん像が崩れるのが嫌、とか、私のこと忘れられたらどうしよう、とか、自分のエゴもあって、、よく考えたらなにも泣く話でもない。

もちろんそばに居て介護できない私に言う権利はないのかもしれないけど、ただおじいちゃんに楽しく生きてほしい。健康で居てほしい。それだけ。忘れられても、いままでのおじいちゃんから変わってしまってもなんの問題もない。大丈夫。

gwはおじいちゃんに会う。毎日一日中寝てるらしい。それもきっとおじいちゃんは人に迷惑をかけたくないっていうのもあると思う。身なりとか周りの目とか気にするおじいちゃんだから余計。

おじいちゃんは一緒にごはん行くと、人には山と谷があるよ、いい時もあるし悪い時も。今までよくがんばったね、って言ってくれてたな。

大阪に社会人で出たときはとにかく変な男に捕まるなって毎回言われたな、

ご飯奢ってもお小遣い倍くれるから結局奢ったことなかったな。

わたしはわたしにできるサポートの方法を考えよう、お母さん、親戚みんな大変かもしれないけど、きっと大丈夫。

大人になっても悲しみの乗り越え方は分からない。ここ数日毎日悲しんでた。でもこのことを悲しみにしたくないなと思った。悲しみは乗り越えるものじゃなく、受け入れるものなのかも。悲しみを受け入れるとそれが悲しみじゃなくなる、人生の中のひとつの出来事になる。



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