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読書感想文2冊目

感想文2冊目は
『クシャーン王朝の跡を訪ねて』〔井上靖 著 潮出版社 昭和57(1982).1.10刊〕


かつてNHKで放送され夢中になって見ていた番組があった。「シルクロード 絲綢之路」
1980年に12回のシリーズで放送された。喜多郎が音楽を、石坂浩二がナレーションを担当した。
1983年には第2部がスタートし1984年まで続いた。第1部は中国・長安から始まりパキスタン国境で終わる。
第2部はパキスタンからスタートし玄奘三蔵がたどった道を遡り、アレキサンダー大王の足跡を追い、仏教発祥の地とも言うべきガンダーラ地方へ入る。そこで終わらず取材隊一行は全ての道は通ずといわれるローマに入り、終着点として最終回を迎えた。毎回ワクワクしながらテレビに齧りついた。いわゆるハマったのである。

同じ時期、作家の井上靖は度々シルクロードを訪れ、紀行文・詩集・小説を書き残した。
昭和53(1978).10月に約3週間アフガニスタン、パキスタンを京都大学の樋口隆康教授と旅をした時の紀行記が本書である。

旅行記はパキスタン南部のモヘンジョダロ遺跡から始まる。久ぶりに本書を読み返して1979年8月に訪れた事を思いだした。色褪せた写真はその時の撮影したものである。

モヘンジョダロ遺跡は4000〜4500年位前に栄えた極度に文明化した都市の遺跡である。焼煉瓦で構築された街は大浴場を要し、各部屋からはダストシューターが完備され、水洗トイレから流された汚水を運ぶ下水道も設置されている。灼熱の太陽に照らされながらこの街を歩いた井上靖は

「今から四千年も、四千五百年前も前に、殆ど信じられぬような高度な文明を築いた民族は、どのような民族であったか。一番大切な事が判っていない。 モヘンジョダロの遺跡からは、王宮も、神殿も出ていない。古代都市としては珍しいことである。そして彼等はいつ、いかなる理由で亡んだのか。遺跡は何も語っていない」と綴る。

この言葉によって読者は廃虚に魅了され、想像の羽根を大きく広げていく。逆に私たちの生きるこの世界の4000年後はどうなっているのか。想像するこすら出来ない。モヘンジョダロの遺跡は土砂に覆われていたからこそ4500年の風雪に耐え、姿を今に伝えているのだ。

井上靖の想像の羽根は次章の「クシャーン王朝の跡を訪ねて」へと繋がれていく。

この旅は更に同行者を増やし、国立民族学博物館の加藤九祚教授(当時)、松山善三・高峰秀子夫妻(夫妻の目線から綴られた旅は『旅は道づれガンダーラ』〔中公文庫〕)としても出版されている)、日本・パキスタン協会、東洋哲学研究所、出版社の代表も参加し大所帯の旅になっている。

昭和53(1978).10月9日、アフガニスタンの首都カーブルに到着したところからこの紀行は始まる。
明治40(1907)年生まれの井上はこの頃71歳位。今の私と同じ年だ。恐るべき行動力と知的好奇心だ。この時でアフガニスタンは3度目。もちろんここ以外にもシルクロードのあらゆるところを訪れている。

モヘンジョダロ遺跡は40°を越える灼熱の地だ。驚きを越えてしまう。

京大の樋口教授はカーブルから車で40分ほど離れたスカンダル・テぺで発掘作業をしている。発掘作業は8年間にわたって断続的に続いているそう。遺跡はモヘンジョダロもそうだが、何層にも土が重なり、古さをあらわしている。

井上はクシャーン王朝の盛衰の歴史を振り返る。玄奘三蔵もこの地を経由しインドへ向かったことが「大唐西域記」に記されているという。そこには数を伴った証言が記されているという。

旅の一行はバーミャンへと向かう。有名な磨崖仏が存在していた地だ。残念ながら後年タリバンによって破壊されてしまったが。
この地でさえ井上にとっては2度目の訪問である。言葉が出ない。

一行の旅はまだまだ続く。

面白いことにこの著作に井上の締めの言葉はない。あとがきもない。
想像するに井上にとってこの旅はまだまだ続く経過点なのではないか。
詳しく調べてはいないがこの続きの作品があるのではないだろうか。

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