映画「くちびるに歌を」レビュー
ネタバレ全開。映画を構成の観点からレビュー。
Netflixにて鑑賞。
.ログライン
過去にトラウマを抱えピアノを引けなくなってしまった音楽教師が、生徒たちに合唱を教えることを通じて、自分がピアノを始める切っ掛けとなった原初の動機――「ピアノで人を勇気づけたい」――を思い出す。そして過去のトラウマと向き合い乗り越えることで、ピアノの力で周りに勇気を与えていく。癒やしの神話。
.感想
あらすじを見た限りじゃ、「見に行こう!」と思わせるほどキャッチーなハイコンセプトはないし、映画を見始めてしばらくは物語の筋も曖昧なソフトなストーリーでハリウッド映画的な明快さはないが、最後まで観ていくと各人物の葛藤やドラマがしっかりと存在し、退屈せずに観れるし、主要三キャラのドラマが結び付きクライマックスに続いており、結構ウェルメイドな映画だと感じた。
よくできてるなぁと思ったのはとにかく説明台詞がないこと。ドラマの積み重ねで、葛藤やそれを乗り越える描写されており、また3人も主人公がいて、そのそれぞれのドラマが複合的に絡み合いながらドラマを乗り越える切っ掛けとして構成されていることだ。
以下ネタバレ。
3人主人公がおり、音楽教師役のガッキーと合唱部のツインテールと自閉症の兄を持つ少年だ。
ガッキーは天才ピアニストだが、過去にトラウマを抱えている。それは音楽のコンサート中にコンサートに向かう途中だった恋人が事故死したこと。彼女は自分が原因で恋人が死んだと責任を感じており、それがトラウマとなりピアノが弾けない。なおその過去は終盤まで描写されない。そのため、学校の音楽教師になってもピアノを弾くことに拒否的。ただその態度の真意は明かされず、「あなたたちレベルの低い合唱に合わせるほど私のピアノは安くない」といったように好感度の低い理由として描写される。ただ、ガッキーの演技によってなにか別の理由があるのでは無いかと言った予感はずっと抱かせている。
その予感を具体的な演出として描写しているのが中盤のシーン。全校集会の場で本来ピアノを弾くべきだった先生が欠席し、ガッキーが代理として指名された際、ガッキーは周りの圧力によって仕方なくピアノの前に向かうが、結局弾けずに終わる。
ただ、ピアノが弾けないという彼女の現状は彼女の物語的欲求に相反するものである。というのも彼女がピアノを始めた原初の理由は、「ピアノで人を勇気づけたい」というものだからだ。にも関わらず、ピアノを弾けない。この矛盾した状況が彼女を皮肉屋にし、潜在的葛藤につながっている。
そして、彼女がトラウマを乗り越える切っ掛けとなるエピソードも、彼女の原体験的な理由が喚起されたことによるものである。
その背中を押すドラマとなるのが、自閉症の兄を持つ少年(3人の主人公の1人)のエピソードだ。
少年はボーイソプラノの才能があり、最初はパッとしなかったが、合唱部に入ることでその才能を発揮し、周りに褒められるわけだが、合唱部に出ていたら障害を持つ兄の帰宅を見送ることができない。障害の持つ兄を1人にすることは危険であり、兄の監督は彼の責任である。それが彼の葛藤となる。
で、ずっと少年はそのことで悩んでいるわけだが、ある日合唱部の練習を優先してしまった結果、兄が勝手にどこかへふらふらと言ってしまい、見失ってしまうという事件が発生する。すぐに兄は見つかるわけだが、少年は父親にこっぴどく叱られ、自分の責任と役割を認識し、合唱部を辞めると言い出すのである。彼は自分がやりたいことよりも、兄のことを優先するのだ。
で、その決断の描写に、ガッキーが前々から出していた「課題」が効いてくる。その課題とは15年後の自分に向けたメッセージという課題だ。その課題に少年はどう答えたのか?
そのメッセージの中で少年は自分の「宿命」について語っていた。自分が生まれてきたのは兄のおかげだと。
「自分の両親は自閉症の兄を産んだ後、その世話役として弟である自分を生んだ、だから自分は一生兄を世話していく運命なのだろう」。
少年は課題の手紙でそう語っていた。それを読んだガッキーは衝撃を受ける。で、ここがこの作品の優れたところなのだがこういった場面にも説明台詞が無い。
だが、ガッキーがその手紙を読んだことが、恐らく彼女が彼女のトラウマを乗り越えるきっかけになっている。
こんな13歳くらいの少年でさえ、自分の宿命を受け入れている。自分が何のために生きているのかを自覚している。
それは恐らく、過去のトラウマによってピアノを弾くことを拒否しているガッキーにとっては印象的なエピソードだったのだろう。
そしてそのエピソードは、彼女自身に彼女がかつて抱いた夢「人に勇気を与えるためにピアノを弾く」というかつての夢を想起させざるを得なかっただろう。「少年でさえ自分の役割を認識している。覚悟を持って宿命に立ち向かっている。だったら自分は?このままでいいのか?自分にはやるべきだと考えていた役割があったのではないか?」。きっとガッキーの脳裏にそういった考えがよぎったことだろう。
そしてそこにタイミング良く、合唱部部長の子のエピソードが落ちてくる。3人目の主人公の女の子だ。
彼女は父親に問題をかかえていた。彼女の父親は女を作って家を出ていたのだ。
そしてある日、彼女の父親がたまたま家に戻ってきたのだが、その父親は帰ってきたと思ったらすぐに家の金をくすめて逃げていったのである。それは、やっぱり父親はクズだったと痛感させるエピソードであり、そのせいで彼女はひどく落ち込んでしまう。
そしてここで、今こそ、ガッキーのピアノの出番が来るわけである。すなわち「人に勇気を与えるためにピアノを弾く」。その役割をまっとうする試練のときである。彼女は少年の宿命受け入れエピソードを通じて、自分の役割を見直しており、自分の課題を乗り越える必要性を感じている。そこに来て、この試練である。今ピアノを弾かなきゃいつ弾くんだと。
この課題がガッキーのトラウマを乗り越えるパワーを生む。こうしてガッキーのドラマは一応の収束を得るわけである。
だが残りは部長少女である。まだ彼女のドラマは落ちていない。父親の問題は解決していない。
それは合唱コンクール当日に起こる。
ガッキーの前任者、元合唱部顧問の教師はずっと出産間近だったわけだが、合唱部の発表当日に予定より早く出産の機会が訪れてしまう。
難産的なやつだ。それを聞いた合唱部はあわてるわけだが、合唱部部長が一番慌てる。
というのも、難産を迎えている先生は心臓が悪いのだが、彼女の亡くなった母親も、心臓が原因で無くなっているわけだ。
合唱部部長にしてみれば、過去の悲劇を想起させるエピソードであり、あわてまくって平常心を失ってしまう出来事なわけである。
で、これにトラウマを乗り越えて成長したガッキーが励ます役割を演じる。トラウマを乗り越えたガッキーにはもはや怖いものはない。
で、最後は合唱部の提案で彼女達の「歌声」をまさに出産中の元顧問に聞かせるというヒネリで落とす。
とても綺麗にまとまっていると感じた。
ちなみに原作はこちら。原作も面白かったです。
乙一さんの別ネーム作家さんのようで。
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