映画『ひらいて』を見て考えたこと

中学の恋を思い出した。誰にでも当たり障り無く接する人で、周りに悪い印象を持っている人はいなかったけれど異性として見られるタイプでは無いその人。好きな人誰?の話題には全くと言ってもいいほど出てこない人。見つけたって本気でそう思った。友達に聞かれたから教えたら、いい人だけど何で?と問われて、それで優越を感じていた。なのにある日、クラスメートが同じ人を好きだと知った。焦った。とても。クラスメートは彼と委員会が同じで距離が近かったから、私の知らない顔を知ってるんじゃ無いかって不安だった。彼は人の好意に鈍感で、周りにバレるくらいのアプローチをしなければ気づかなかったから、肩に触れられる機会を作ってみたり、席を隣にしたり、出来ることは全部やった。他の男子なら、いつもより長く視線を集めてみたり、多めに笑顔を向けたりしたら振り向いてくれたのに、一年アプローチを続けても何も変化が無かった。卒業間近に風の噂で私に気があるらしいと聞いたから、そこで告白してしまえば良かったのかも知れないけれど、全て私から行動していたら負けている気がして言えなかった。そのまま卒業して、私は気持ちを引きずっていたけれど、彼は「今日テストで100点を取った」と連絡をしてきた。高校生にもなって、他校の女子にそんな連絡してくるか?無神経で、信じられないほど純粋で、誠実で、そんな所が好きだった。次の年の夏、祭りで1年ぶりに彼の顔を見た。私の気も知らず変わらず接してきて、むかついた。今告白して気持ちを断ち切らなければ一生囚われると思って、友達と別れた後彼に電話を掛けた。でも出なくて、押し間違えて掛けてしまったことにした。でも衝動は止められなくて、もう一度掛けてしまった。今度は、「今出られない」と一言だった。もうこれ以上勇気は出なくて、受け入れてももらえず拒絶もされず、20歳になった今でも彼の夢を見る。

そんな胸がむかむかするような思い出が蘇った。愛に比べたら、私には行動力も度胸も無いし、ちっぽけな話だと思うけれど、映画を見ている間、私は愛になっていた。なってしまった。なれた。場面によってその事実に正の感情、負の感情、様々抱いた。

だから、たとえに自分しか好きじゃ無い笑顔って言われたとき、苦しくて腹が立った。確かに、あなたを好きでいることに周りと違うという優越に浸っていたのは事実。だけど、自分はあなたのように澄んだ心を持っていないから、それが羨ましくて憧れで、好きだったのに、それも全部否定するんだって苦しかった。その反面、少し同情を含んで言葉を発したことにもむかついた。結局全否定するのに、一度受け入れようと努力しないで欲しい。原作では完全に突き放した言い方だったのに、作間くんが同情を含んでくれたおかげで余計苦しかった。それはたとえと美雪の共通点かも知れないと思った。物理的にも精神的にも自分から相手に直接触れることはせず、あくまでも言葉で相手を分からせようとする。決定打を打たず、相手に解釈させる余地を与える。人がどんな時に傷つくのか良く理解しているからそれを避ける、そんな部分がズルいと思う。全否定されるのも嫌、歩み寄られるのも嫌、そんなジレンマが自分の中に居座った。

でも、もし突き放されていたら私の場合の執着はそこで終わっていたのでは無いかとも感じる。それでもなお、たとえ、少なくとも美雪に興味を持っただろうか。同情を含まれたおかげで最後まで愛に共感していたのかも知れないと思うと、作間くんにしてやられたと思う。

唯一私が愛の気持ちが分からなかったのは、美雪に執着していることだった。たとえと美雪の関係を知って、美雪に近づく気持ちは理解できた。身体を繋いだのも、たとえが抱いている感情やこれから経験するだろうこと、感覚、愛情、あなたのことは全て知ってるよって言いたかったのかなと思った。理解することは、彼に近づいて同じ世界に行くために何よりも大事で、自分に出来る唯一の努力だから。はじめにたとえに否定された時、まくし立てるようにたとえが美雪を好きな理由を並べ立てたのも、知っていることで彼と一緒になっている気持ちがあったからだと感じた。だから、その後美雪の身体を知ったのに美雪の存在を頭の中で反芻して囚われていた愛が不思議だった。そうでなければ愛は美雪に反省してないと言われてあんなに喰らわなかったと思う。だから、舞台挨拶で山田杏奈さんが美雪に甘えていたとおっしゃっていて納得した。身体を繋げて自分を晒していたからこそ甘えられて、嫌いなはずなのに自分を受け入れてくれる美雪をどうしようもなく欲していた。それが壊れてしまう関係だとしても私は羨ましかった。

もう一つ、愛が羨ましくて愛に救われたシーンがある。たとえの家で、たとえの父親を愛が殴ったシーンだ。好きな相手に遠ざけられていて、それは今後も変わらなくて、彼のために出来ることは何も無いけれど。自分のために彼を愛しているのかも知れないけれど。彼が好きな感情は本物で、なにか出来ることがあったらしたかった。私のことは嫌いで良いし、視界に入れてくれなくても構わない。だから彼の苦しいこと嫌なことは代わりにぶっ飛ばしたかった。負の感情は私が背負いたかった。片思いの相手だけじゃ無く、アイドルに対しても私はそんな感情を抱いてしまうことがある。ただのクラスメートに戻れないと訴えた愛のように、彼に出会う前の私にはもう戻れない。彼を好きでいることがもうすっかり自分のアイデンティティになってしまって、守りたい背中を押したいなんて叶うことの無い空想を繰り返す。私なんて一つも認識されていなくて、彼の人生には一ミリも関わってないどころか私なんかいない方が彼は幸せになれるかもしれないから、現実ではあり得ないけど、愛がそれを叶えてくれた。誇らしかった。人生に関わらせてくれてありがとう。そんな感情が芽生えた。たとえ、それが私のエゴで、また自分しか好きじゃ無いんだねと言われてもこれが私の正義だと思う。

たとえくん、最後に言わせて下さい。あなた何も分かってないよ。人のこと全部見透かしていて、常に周りが見えているのかも知れないけど。愛が父親を見返す方法が間違っていると言ったように、大事なところが見えていない。自分にはどうしようもできないのに、一度受け入れて同情するところ。もう放っておいて欲しいのに、その気持ちも分かっているはずなのに踏み込んでくるところ。無神経で、バカだねって言いたくなる。こんな表現、正反対だって思うかも知れないし、私だってあなたにこの言葉を使うとは思っていなかった。果てしなく実直なんだよ。そういうところが、好きで、これからも離してくれないんだなって思ったよ。私はこれからも苦しむから、どうか今度は知らんふりして。これがあなたに望む最後にするから。

書いていて、私はたとえくんに向けているのか誰に向けているのか分からなくなったけど、この気持ちをこんなにも客観的に見つめられたのはこの作品があったからです。ありがとうございました。

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