美雪を好きになりたかった

他人のために生きたいと何故そんなに真っ直ぐ言えるのだろう。美雪を見ているとそう思う。大人な達観した考えだから他人のためを想えるのか、それとも若さ故に純粋で生きている世界を信じられるのか。私には分からなかった。

美雪は、病気を持ち、言ってしまえば他の人よりも両親から大事にされたり守られたりして育ってきたように思う。風呂場のガラスを割った時も、誰も美雪を責めなかった。美雪を責めたら、必ずその相手が悪者になる。彼女自身もそれを自覚していただろう。
また、同じ理由で同級生にも疎遠にされた経験や腫れ物のように扱われた経験から、他人の感情の機微に敏感になり過ぎたのかもしれない。他人と違うことを自覚して、周りと距離を取って過ごす彼女は周りより大人びている感じもするが、一方で自分からは関われないけれど誰かに見つけて欲しいという子供らしい寂しさを持っていた。愛に触れられたこと、好意を寄せられたことが単純に嬉しかったと想像できる。

それに加えて、他人のために生きたかった美雪にとって愛に頼られることが喜びとなり、何を言われても何をされても受け入れようと努力したのだと思った。そうでなければ恋愛感情の無い、仲良くなったばっかりの同級生に触られて抵抗しないわけがない。抵抗できたのにしなかったのは、受け止めたいと思いと必要とされたい欲が満たされたからではないか。

愛はたとえに対して、「弱くて優しい、狭い世界にいる」美雪を見下して守っている気でいるのでは無いかと言ったが、私にはたとえが美雪に守られているように見えた。たとえは言った。「俺が美雪を見つけた時どんな気持ちだったか分かるか?」と。確かにたとえにも美雪を守りたい気持ちがあるが、たとえは唯一何を言っても受け入れてくれる美雪を見つけて、救いにしていたのだと感じた。もしそうだとするならば、美雪は誰に甘えるのだろうか。今までは両親に甘えられたかもしれないが、東京に出て、たとえがその役割を果たせるのだろうか。そう考えると、美雪は案外孤独じゃないかと思うようになった。

他人の感情の機微に敏感で、自分が口にした言葉がどのように感じ取られ、どのような反応として返ってくるのかを理解してしまっている。これは美雪とたとえの共通点だと思った。幼いながらに他人に突き放された経験が二人にはあり、同じ学校に通う同級生には無かった。それは傷であるとも言えるし、二人を結ぶ絆であるとも言える。だから、狭い世界で、二人だけ存在しているように愛は感じたのだとも思った。自分は何も失わず、あまりにも平凡に上手く生きてきた。だから、美雪には敵わない。その事実が愛を苦しめたのだろう。

悲しい経験は羨んではいけないし、美雪とたとえが惹かれあっているのは当然。だから、いくら自分が小手先の技で気を引いても微塵も関係性を壊せないという絶望。私が唯一、最速で彼の魅力に気づいたと思ったのに、その前に必然的により深く知ってる人がいた気持ち悪さ。美雪にはなれない、だから怖くて嫌いで、羨ましいんだと思った。それが私が何度見ても美雪を好きになれない理由だった。ちっぽけな嫉妬で、そんな安っぽい自分が嫌いになった。

美雪とたとえはどちらも優しい人だと思う。けれど、たとえは「自分と違うから好きになった」とも言っていた。二人の違いを言い表せと言われたら、それは優しさのアプローチかなと考える。たとえは、他人の思いを受け止めようと努力して、でも出来なかったら「出来ない」「分からない」と言える人。一度受け止めようとして、結局遠ざけてしまう部分が残酷であるようにも見える。これは私の個人的な解釈だが、愛に「もういいよ」と言ったのも、愛の行動の理由も思いも知って悪い人じゃないと感じて「俺には受け止め切れないけど、君も一生懸命生きているって分かった。だからもう囚われないで、苦しまないで」と言っているようだった。お前が言うな、である。優しさは時にずるいなと感じた。
一方で美雪は、全部受け入れることが誠意だと感じているように思った。上記で書いた他人のために生きる精神である。他人に指図することは一切しない。相手の考えを受け入れて、暗に導こうとしたり、一緒に苦しんだりする。底がない優しさは時に恐ろしく受け取られることもあるだろう。それ故に敬遠されても健気に努力する姿がいじらしい。

こんな優しい二人を好きになれない自分は性格が悪いのではないかと自己嫌悪に苛まれる。美雪は特に神的存在に見えることがあり、自分とは違うと遠ざけてしまった部分もあった。けれど、みんなそれぞれに幼さ、不器用さがあるのかも知れない。そう思ってはじめて二人を愛おしく思えた。口には出さなくても心の中ではそう考えてしまうのは私だけじゃないと信じて、自分に対する嫌悪感を拭う。それがこの作品を見続けることに耐えるためのルーティンだった。

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