見出し画像

#201_バリュエーションができないもの、おカネを払っても手に入らないもの

昨日の晩、ひさしぶりに大学の友人と会って話したのですが、ほんとうに楽しかった。会って言葉を交わした瞬間にあの頃に戻れるし、同時に、今に至るまでのこともお互いにたくさんあるので、話は尽きません。

そんな中、この資本主義に生きる現代人としては、経営とかM&Aの話とかにもなるわけですが、そういうものとは全く別の世界があるんだな、ということが、こうして気の置けない友人と話しているとよくわかります。

資本主義における最大の核心のひとつは、いかにモノに値段を付けるか、すなわちそのモノをどのように評価するか、その評価をお互いにどのように(正当なものとして)受容するかというValuationの問題であると考えています。株式でいえば、そのためにDCF法だの類似業種比準方式だのがあったりするわけです。(しかし、その評価基準がいかに不安定なものであるかは、近時のアメリカのゲームストップ株の急騰などに見られるとおりです。)

しかし、私にとってのこの時間は、今、ほかの誰かがいくらおカネを払っても買えない、私だけのモノです。なので、金銭での交換が不可である以上、Valuationも無意味ですし、そもそも評価する手法もないでしょう。

当たり前といえば当たり前なのですが、この意味するところは深いと感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?