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チャウンタービーチ(ミャンマー )からヤンゴンに戻ったら

翌朝目が覚めてドアを開けると海。

昨日は日没後に到着した為全く海見えず波の音だけが聞こえていたけれど…こんなに近くに海があったとは。

でも思っていた程透明でも無いしリゾート感はゼロ。苦笑。

でもせっかく来たのだから男性陣は泳ぐそう。

するとミャンマー人ドライバーさんが"漁船借りれるみたいですよ"と耳寄りな情報が。

ならばと彼も一緒に漁船に乗船。地元の漁師さんと少し沖へ。

外国人なんて私たち以外ゼロ。快適!

波打ち際では服を着たまま水遊びをする地元の人達。

浮き輪使ってるーと思ってよく見たら…車のタイヤチューブ?だった!笑

夫達もそれを借りて沖の方へ。

そして流されたー!

なので私たちが漁船で救出。これがまた大変。

船に乗せたいんだけれど波があるしゴムチューブ浮き輪が微妙に邪魔。

漁船に積んであった竹の棒を差し伸べ何とか引き上げた。

こんな遊びを大人になってからやれるとは思わなかった。

ミャンマー人しか来ない観光地。

波打ち際を水牛が荷台を引いて通り過ぎる。

荷台の上には頭に農夫と頭にターバンを巻き日に焼けたおばあさん。農夫の手には水牛を操る棒が握られていた。ゆっくりゆっくり水牛が荷台を引く光景を目の前で見た時…

あぁ、この景色はきっと何十年も変わってないんだろうなぁ。

タイムスリップした気持ちになった。

いつまでこの風景が残ってくれるだろうか…

外国企業としてミャンマーに進出しておきながら、この国にとって果たしてそれが良いことなのだろうかと思うこともしばしばあったけれど、こういう素敵な景色を目の前にすると一層強くそう思った。

先ずは医療なんだけどなぁ…

ヤンゴンでさえ、外国人であろうがなかろうが全く十分な医療を受けることができなかったミャンマー。

どんなにお金があって見栄えの良いビルが建ち高級車が走っても命が助かる為の病院がないならそんなもの意味がないのでは?と思うから。

実際ミャンマーで生活している間に死ぬかと思うほどしんどい食中毒を3回は経験した。

でも簡易的な病院しかないからひたすら家で寝るしかない。今思うとこれが高齢だったり小さな子供だったらとぞっとするような症状だった。

頭はガンガン。胃液が出るまで吐いて、熱は出るし上から下から身体の中のものが全て出てしまう。寝たくても吐き気と下痢でトイレから離れられない。やっと3日目くらいで落ち着くのだけれどそれまでひたすら我慢。ベッドから起き上がれない。

でも人間の体って凄いなと思ったけれど寝ていれば治る事もあるんだなと。

日本だったら間違いなく病院なんでしょうが。

ミャンマーでは最初から病院に行く事は諦めていたのでとにかく日々の食事には気をつけるしかなかった。けれどどんなに気をつけてもなる時はなってしまう。そしてその時は祈る様な気持ちでひたすら寝る。

酷い時はバンコクへ空輸運んでくれるサービス医療はあったけれど軽く100万はかかると言われていたのでそれは本当に最後の手段。

まぁそれが利用出来る駐在員としての利点があっただけ幸せな事。

私は今私たち家族は個人で海外に暮らしているので全て自己負担。何の保証もありません。

身に染みて厳しさを感じています。

だからそこ思うのです。

ミャンマーも必要最低の医療を国民が等しく受けられる事が出来る国であって欲しいと。  

さて、話を戻しましょう。

チャウンタービーチを昼には出発しないと3つの川を渡る船?鉄の板?に乗れないので短いビーチでの時間を楽しみ昼もとらずに車へ。

あっという間に夕暮れ。最後の川を渡る時。それまでとは違う。鉄の板ではない!ちゃんと船の形をしているではないですか!笑

でも凄い人で溢れている。乗れるかどうか微妙な雰囲気。ドライバーさんが必死に交渉している。何とか乗れる!となって急ぎ乗船。

でもなんかこれ、制限人数オーバーしてるよね…絶対…苦笑

でもこれに乗らないともう後が無いらしい。

そして辺りはすっかり日が暮れて暗闇の川をゆっくりゆっくり進むキャパオーバーの船。 

そして…小1時間は乗っていたでしょうか。

何とか川を渡ったー!沈む事なくー!

船から車を降ろし、私たちは再び昨日来た道を帰るのだけれど

ついこの前この道通った様な気がするんだけれど…  ずーっと車に乗ってるような気がするのは気のせいだろうか。

そして車がヤンゴン市内に入りいつもの景色が見えてくると妙な安心感が。

そして全員が口を揃えてこう言いました。

「ヤンゴン!大都会ー!電気が点いてる!見て!ビルがある!ホテルもある!車がこんなに走ってるー!」ってな感じ。笑

日本やお隣バンコクからヤンゴンへ戻るといつも、ヤンゴンは本当に何にも無いなぁ。ビルも車も少ないし、電灯も灯りが弱いし少ないし。と思っていたけれど。

ヤンゴンを大都会に感じ感動してしまう程ヤンゴン以外の地域は開拓されることなく昔と変わらぬ景色が広がっていました。

貴重。

まだこんな国が残っていたとは。

そんな今ではもう見られない景色を見る事が出来たことは本当に幸運でした。

私たちが旅をした数年後。鉄の板で渡った3つの川に橋が架けられヤンゴンから数時間で行く事が出来る様になったんだとか。

あの船はもう無いなかなぁと思うと何だか淋しい気持ちになる。

でも本当に色んな事を感じ、素敵な景色を見る事が出来た貴重な旅。最高!

続く…








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