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20年前のヤンゴンでの暮らし〜日本人が海外に出ると〜

当時はほぼ鎖国状態にあったんだなぁ…と当時の自分の日常生活を振り返るとしみじみ思う。

他の日本人が当然の如くメイドさんを雇う中、私は炊事を自分でやる選択をした。何故ならハウスキーピングに入ってもらえるコンドに住めたから。

だから掃除以外も人に頼んでいたら私は退化してしまう。自分のことは自分でやりたいタイプ。しかもやる事無いと暇な駐妻の輪に入れられてしまうしね。狭い日本人社会、断るのも難しい。何せ妻であろうが夫の社名が自分の名前の前に常に常について回るのだから…

私が上手く立ちまわらないと少ない人数しかいない日本人社会であっという間に噂のターゲットになってしまうから。苦笑。 

それってイコール会社の印象悪化…会社へのダメージに繋がる訳で…

夫と同じ会社に勤めたいた私としては、日本の本社で働く同期や先輩達が日々必死に働く姿が想像出来るから私達の言動で会社に不利益が生じるにのは申し訳ない…

〇〇さんの奥さんってこの前ね〜なんて暇な駐妻の会話の餌食にわざわざ自分からなりたい人はなかなかいないでしょ?

でも悲しいかなどうも日本人というのは若いと言うだけで嫉妬の対象になるらしい。

申し訳ないけれど逆の事を言わせて頂けるのなら…そのお歳でそれされますか?とびっくりする事も多々あったけどなぁ…苦笑。

そういうのって中学校でやって終わったんじゃ無いの?それをまだこんな大人になってまでやる意味がわからない。殆どの人が子供いますよね?

自分の親が外でこんな事やっていたら…

私が子供だったら正直やだなぁ〜。

そうか。私の両親は絶対に人の噂話なんかはしなかったんだ!だから私の中にはその発想も無ければ経験もなかったのか!だからそれに強く違和感を感じるんだな…そう思った。

特に父は意見があるならその本人に言いなさい。本人に言えないなら絶対に本人がいない場所でその人のネガティブな話はしてはいけない。と。

そして母が本当に天然で、世の中に悪い人はいない、と本気で言う人…苦笑。

その両親のおかげで…社会に出て暫くの間は私もそんなピゥアな心で人と接する事で良い事もたくさんあったし心地良い波長の合う人ばかりが周りに集まってきてハッピーだなぁと毎日思っていた。

でも社会に出て時間が経ち、海外に出るとそうじゃない人たちもいるのかもしれない、と言うことに気づき始めたのです。苦笑。

日本だったら絶対に接点ない人達との出会いがあるからです。良くも悪くも。

そしてもう一つ私が狭い海外の日本人社会で学んだ事。

会社の大きさ?知名度に大きく左右される人がなんと多いことか…

幸い夫の会社は大手企業だったので例え私が若かろうが社名のお陰でなんとか?控え目な?良い方の噂で止まっていたかな?と思う、いや思いたい。そこは利用させてもらう。

でも正直私はそこに重きを置く価値観がいまいち理解出来ない。だって会社が大きくたって所詮サラリーマン。雇われの身。

トップに立たない限り社内の権力闘争に負ければそれでその先の会社人生が決まってしまう。

東京にいるとそんな事殆ど関係なく意識もせずにいられるのに、何故か海外に出ると自分が強く偉くなった様に思ってしまう残念な駐在員を多々見かけた。その妻も同じく…奥さん同士の微妙な駆け引きとかもあったり無かったり。

社命で来ている夫が(昔は今の様に女性が駐在出来る様な時代では無かったのでここでは男性社会だった時代のお話という視点で当時を振り返ります)日本で係長クラスの人でも赴任先ではそこそこのタイトルにつき、現地の人よりも上の立場で指示をする訳だから中には勘違いしてしまう人も出るんでしょうか…そして何故か妻までも。苦笑。

私は欧米の駐在がどんなものかわかりませんが駐在歴ある友人達の話を聞いているともっと普通で自立した生活を逞しく送ってきた人が多い。

やっぱり当時の東南アジアでは日本人は自分達の方が上、的な考えは少なからずあるんだろう思います。今もあるとも思う。

でも当時から私はこう思っていました。

たまたま今だから…日本が経済大国になりアジアで大きな影響を及ぼしていて日本の力がたまたま今大きいだけであって、東南アジアの人たちに決してその能力がない訳ではない。 

現に今はもうベトナム、タイなんて相当発展してローカルだけで回していけていける程の優秀な人が多い出てきてます。

20年のミャンマーに暮らしてみて感じたのはこの国の人たちにはとても素晴らしい能力があり民度が高いということ。だからきっと近い将来とてもこの国は発展するだろう…と。

日本が今たまたま経済的に優位にあるだけでこの先も今のように自分達が上、使ってあげてるなんて意識でいたらきっと近い将来痛い目に合うなと。

基本、人は対等だと私は思っている。

その時その時で置かれた立場、地位、所得、差はもちろんあるのは当然だけれど、私には関係無し。

その人がどういう人なのか?その人の言動が全て。

だから逆にお金も地位もあるのに傲慢で人を見下す残念な行動をしている人は私の中でははい即終了〜残念だなぁ…となる。

何故そう強く思うようになったのか…

それはミャンマーでの日々の生活で、私が外国人であろうがなかろうが分け隔てなく優しく微笑んでくれ、ローカル市場でどうみても金銭的には豊かとは言えない売り手の人達が外国人でお金を多少なりとも持っているだろという私に本当に親切で欲を全く見せないのです。少しでも多くお金を取ろうなんて発想が全く感じられないどころか逆におまけしてくれる。

私がミャンマーで感動する事が多かったのは人を見た目やその人の所有しているもので判断しない人達に常に囲まれていたからだろうと思う。

だから贅沢三昧出来て自由な時間もお金もあるのに現地の人を下にみるような発言をする日本人に出会うと同じ国民として恥ずかしい…と思ったのです。

だからと言って私は現地の人たちが全て素晴らしいとも思わない。人それぞれ育った環境も何から何まで違う訳だから合わなくて当然。先ず文化が違う。

だから違う時、おかしいよね?それ?と思った時は意見はする。

人として対等に。

国籍関係無くね。

これが私がミャンマーで学んだことの一つ…

続く…



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