カン・ハンナさんの『まだまだです』読みました。

 カン・ハンナさんの歌集『まだまだです』を読了しました。カンさんについてはNHK短歌の短歌写真部の主催の方ということは存じ上げていたのですが、歌を知らず気になっておりました。本屋さんで平積みになっていたので新しい本かと思いましたが、2019年なんですね。素晴らしかったです。これぞ短歌の正しい使われ方だな、と感じたので、ここにちょっと書いておきたいです。

 この感想は、本を読みはじめて比較的すぐに感じたことを書いています。本書は二部構成になっていて、とくに前半のⅠ部はカンさんが来日されて比較的早い時期の歌についてということで、慣れない日本での生活をされる中での生活詠というのでしょうか、海外での発見やとまどいなどが中心に歌われています。

 その中でも、わたしにとって共感がつよく感じられたのは、一人でいることによる孤独感や、とまどい、弱音、ときには反発など、が見える歌です。カンさんが短歌を通して描き出しているひとつひとつは、語弊をおそれずに言えば、実生活上では「とるにたらない」、優先度がひくく自分自身にすら黙殺されてしまうような感情であるように思います。普通なら現実に押しやられてないことにされてしまう感情が、短歌によってかたちを与えられているという点に、つよく真実を感じました。

予想より長引く旅だ ぼろぼろの靴を見ながら震えるまぶた

カン・ハンナ『まだまだです』

 私自身も過去には海外で生活をしていた時期があり、そのときの個人的な記憶が共鳴している部分も多少はあるかと思います。が、それに限らず、ひとがなにか他人と違う選択をしたとき、そのために相応の困難や理不尽に相対することはあると思います。そういった時、感情として自然に湧き上がる弱音を「これは自分で選択したことだから」と自分自身で蓋をすることは、社会生活上においては往々にしてあると思うのですよね。特別につよがりだとか、そうあるべきだということではなく、ただ泣き言を言って動けなくなっているひまがないという実際上の問題として。困難だって自責、他責、天変地異…などあるわけですが、一緒くたに感情は脇におき、まずは現実的な解決を優先するという。そうした小さな感情はいつの間にか忘れ去られ、ときには積もり積もって爆発したりしなかったりもするわけですが、そういうひとつひとつの心のうずきのようなものがこの歌集には丁寧に記録されているな、と思いました。上に引いた歌も、なんのこともない内面の吐露ではありますが、外国人の「旅」が長引いてしまった時の現実的なやっかいを思うと、これをその中で捉えて固定化できるのはすごいことだと思います。

 本当に悩んでいることであれば歌にはならない(短歌にしている暇はない)。しかし、本当に心から悩んでいないのであればやはり短歌にならない、ということのように思います。そういう、現実の生活をおくる上では「とるにたらない」なにか、境界にある大切なことに、短歌を通して実態を与えられているのが素晴らしいなと思いました。それが冒頭に「短歌の正しい使われ方」と書いた理由です(もちろん「わたしの思う」「one of the」 という意味ですが)。書籍の帯には「私よりも私らしい本当の私が見えてくる」とあり、その通りで、うしろに作者が見えるこういう作品が私は好きなのだな、と感じました。

 困難について焦点をあてて感想を書いてしまいましたが、もちろんそれはこの作品の一部であって、作品全体の雰囲気もけっして暗いわけではありません(後半第Ⅱ部はテーマがより多彩になっていきますし、作中ずっと登場する故郷のお母様がでてくる歌も素敵です)。最後にひとつ、とても好きだなと思った発見の歌をひかせていただきます。それでも世界は喜びにみちている、とても輝いている歌です。

大阪のたこ焼きの出汁が東京と違うと言い張る私がうれしい

カン・ハンナ『まだまだです』

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?