蘇州
蘇州まで小旅行。もともと出不精なのだが、《江楓夜泊》という漢詩に寒山寺という寺の鐘の音が歌われており、気になってはいた。中秋の連休にずっと家にいたというと、また変人だと思われるので、楽しんでいたというアリバイ作りも兼ねて出歩いてきた。結果としては、大変充実した一日だった。
柳
感動ポイント其の一。蘇州は街中に運河が巡って古都の雰囲気がある。その運河スポットのひとつ山塘街で、水面にかかる柳を見てきた。賀知章《詠柳》を読んでから初めてしだれ柳をみたような気がする。実物を前にして、この詩はすばらしい、ということにあらためて気がついた。
特に気がついたのは、三句でぐっと寄る視点。遠くから全容がみえ(一句)、近寄って垂れさがる枝が見え(二句)、目の前にして葉の造形をみる(三句)。ヤナギの葉はひとつひとつが美しい。また、改めて三、四句の発想ときたら。四句、ヤナギの葉を切り出したのは誰?という問いに対して「春風は剪刀に似ている」と言い切らないのがよい。目の前で柳が風に揺れているものだからなおよい。柳を目の前にして読むとあらためて素晴らしい詩です。
寒山寺
感動ポイント其の二。張継《楓橋夜泊》に登場する寒山寺。さすがに人が多かったが、鐘楼をみて、鐘の音を聞けたので大変満足した。鐘楼のうらてに石碑。
見上げた中国人が、つぎつぎに読みあげていてちょっと感動した。子供が読むのはむしろ驚かないのだが、ほぼすべての大人が教養として知っているって結構すごい。老若男女の口から「月落乌啼~」と出てくるのに感動した。若者のおしゃべりで「最後なんだっけ!」「…客船?」「それな!」的なやり取りが聞こえてきて、とてもリアルだった。
以下旅行詠を残しました:
連作『姑蘇行』
望郷の熱気に駅もじりじりと引きずられるがごとき中秋
鐘の音を尋ぬべきとぞ思い立ちスマホひとつで降り立ちにけり
運河沿いやなぎに寄りてはた気づく《詠柳》二句から三句の視点
秋風が水面をゆらすいたずらを空よりだまって見やるすじ雲
沿道の宵の灯かりも明け方の漁火もいまでは過ぎゆきの夢
中秋のあふれる人を背景にかえってコロナの爪あとの見ゆ
若者の声がとどきぬ「鐘声が…なんやったっけ?」「…客船?」「それな!」
御堂でも鐘でも石碑でもあらずひとこそひとの詩をつたふれ
母を呼び泣きあおぎたる幼子にわが身ひとりと思いだしたり
鐘楼と楓橋夜泊の碑をみとめ寒山寺まで詣でず帰る
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