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フライトスクール提示時間で終えるヒント(アメリカ編)

フライトスクールから提示された飛行訓練計画シラバス通りに終わることの大切さは既に伝えた通り。

どうやって終わったのか?玉那覇が最初に受けたアメリカでの訓練のお話を。あの時代と今とではフライト環境も違っているが意識という観点でお伝えする。

訓練費用と訓練期間の設定から日々の確認

訓練費用と訓練期間を設定して、日頃から実行しながら進捗を常に確認して、1週間毎に調整していた。そのころはPDCAと言う言葉も知らなかったが、今思えばPlan-Do-Check-Actと言うことを自然にやっていたようだ。大学での課題や社会人でのプロジェクトの経験が役に立ったと思う。

当初から全てを1年で修了する計画だった。Privateで3ヶ月、Instrument Ratingで3ヶ月、Commercialで3ヶ月、CFIで3ヶ月と言う具合。

結果、初フライトが12月10日で最終目標のCFI取得が翌年の12月26日。ほぼ計画通りで終えれたのは当時のフライト環境だったからかも。

各課程は3ヶ月(毎課程で帰国して戻る日程を差し引くと約2ヶ月半)と決めていたので、各課程に入った時に受け取ったシラバスからゴールの日程を決めて、月毎の計画をある程度作成した。そこからは前述したPDCAの日々。

この感覚を習得させるためにFSOパイロットクラブでは週報という制度を導入して自分の目標と今の状況を常に把握させるようにしている。

タイムイズマネー

毎日毎日家計簿をつけ、増えるフライトタイムと逆に減っていく資金を毎日毎日見ていたものだ。毎日生きているだけで当然出ていくお金。

なのでどうしたら支出を下げて訓練を効果的にできるかという工夫に知恵を絞った。

フライトスクールにデポジットしてある残金と手元の計算が少しでも違った日には翌日のスクールに行って確認。

時間の大切さを理解できると効率よく進めるために工夫するはずだ。

学習態度

とにかく勉強した。そして聞いた。アメリカ人の教官はプロなので時間で費用が発生する。なので聞くポイントをまとめて効率よく聞くようにした。

今のようなインターネットがない時代なので、調べることといえば教科書とかビデオしかなかった。

後述するがアメリカ人パイロットとの生活環境で英語と知識が一気に向上したのを覚えている。

Private Pilot課程の実例

Private Pilotは当初から60時間と見積もりを受けて渡米し開始した。右も左もわからないので教官に言われるがまま訓練を進めていった。

当時は一人の教官に飛行機とヘリコプター1機ずつあり、訓練生が7名と言う超過密状態。7名が同じ寮に生活する環境。なので新米の玉那覇には訓練の機会がなかなか思うように回ってこない。もちろん教官はほぼフル活動状態。

ソロ前のステージ1は訓練生も教官も一番ストレスがかかる課程。それでもなかなか飛べない状況。若かった玉那覇はイライラがたまり教官に直訴!他に行きます!お金返してください!

馬鹿野郎!と怒鳴られて問題なかったのはあの時代の特徴(笑)

まあ今となれば教官として同じ職業をしていると十分理解できる説明だったなあ。要は他に行くとまた最初からやり直し。そこで教官と合わないとなるとまた別に行ってやり直し。人のせいにして自分を変えないやり方ではお金も時間も無駄になり、結果的にパイロット資格も取れるかどうか。と言う説明で説得され居残りを決意。それから時間がある時の時間を無駄にしない勉強を徹底したことを覚えている。

当初の見積もり時間を3時間ほど少なくして訓練を修了し、実地試験を終えた段階でも60時間を切ることができた。

Private課程修了後の実例

Private Pilot取得後はスクールを教官の愛を持って追い出され(これは別の記事で書くこととする)、Instrument Rating、Commercial Pilot、Multi-Engine Rating、CFI、CFIIと訓練を受け資格を取得した。

今思えば一番楽しい時期だったかも。

FAA CPL取得するための超オススメのタイムビルディング④でも書いたが、ほんと楽しかった。あっちこっち友達と遊びに行ったものだ。

それぞれの課程で提示された見積もり時間を常に意識して、特にCommercial Pilotの必要要件の250時間には最小限で行けるように計算していた。結果的に250時間に小数点が加わる程度。余りにもギリギリだったので試験官が電卓持ち出して何回も計算していたのを思い出す。

パイロットとの生活

当時40代で自家用飛行機を持ち週末には孫とフライトを楽しむというアメリカ女性パイロットとの出会いが最高だった。

縁あって彼女の家にルームメイトとして生活することとなり、毎日が飛行機の話。時々は一緒にフライト。

教官を目指していると伝えてあったので、彼女にレクチャーして練習。彼女は最新の航空情報が入るメリット、私は教える練習で彼女からとことん質問されるメリット。

そんなラッキーな話はそんなに転がっていないと思うが、要は飛行機の話ができる環境に身をおくということ。

アメリカフライト環境は日本とは違う

訓練費用は当時でも日本の25%程度。しかもパッセンジャーとのフライト費用折半も合法なので飛行時間付けには結構費用削減できた。

そんな当時から日本での飛行時間付けは非現実的であり、日本の訓練費の高さや訓練の厳しさを噂でよく聞いていた。

アメリカで訓練を終えて帰国後のJCAB事業用操縦士訓練はアメリカのようには行かないという話もよく聞かされていた。

JCAB事業用操縦士訓練の話は別のブログで。

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