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言葉にするって優しさだ

私は今まで、
とても嬉しかったことや、自分の大好きなもの
大切なものについて

言葉にすることを
そんなに重要視していなかった。

言葉にできない程の思いはそのままでいいし、
言葉にするのはどこか
もったいないような気がしたし、
何か余計なものが
混ざってしまうような気がした。

言葉にしなくても分かってくれる人が
分かってくれればいいと思っていた。

だから、大切な思いは内側で
自分の宝ものみたいにとっておけばいいと
そう思っていた。

だけど、それが変わるような出来事があった。

初めて、もっと言葉で伝えたいと思った。


昨晩、思いもよらぬところから
私の英語練習に付き合ってくれる人が現れた。

その人は日本に住むインド人で
親切にも、無償で私の英語の練習に
付き合ってくれるというのだ。

私は以前から、そういう人を探していて
本当に本当に嬉しかったので、
英語が出てこない時も、
なんとか伝えようと頑張っていた。

会話の中で
彼は、私のインド愛について興味津々だった。

私がインドについて話す時
「なぜそんなにインドが好きなの?」

この質問は、
必ずと言っていい程聞かれるものだ。

私にとって、
それはいつも言葉にすることがとても難しくて

「好きに理由はいらない論」を持ち出し
「理由を説明するのは難しいんだけど、
なぜか好き」
と、答えていた。

その人は、日本が好きなインド人の視点から
インドが好きな日本人の私に
よっぽど興味があったのか

目を輝かせて、
私がなぜインドを好きなのか聞こうとした。

それを説明しようとするとき
日本語でさえも難しいのに
英語でなんてもっと難しかった。

だけど、その時初めて
「理由が上手く説明できない」で
終わらせたくなかった。

その思いはなんというか
彼の知りたいという熱意や、
英語の練習を付き合ってくれた親切心に
応えたいというものだった。

この時私は、言葉にできない思いを
なんとかして言葉にしようとすることって

その思いを決して、
不純なものにしたり、
濁らせたりすることではなく

優しさという包み紙で
ラッピングするようなものだと思った。

言葉にするって優しさだったんだ。

言葉にできない喜び、
大切な気持ち、
言葉にするのはもったいない程の想いも

それを出来る限り伝えようとすること
それは相手に歩み寄ることであり、優しさだ。

言葉にできないから、
あなたが感じ取ってくれればいいと
相手にゆだねることもできるが
相手にこちらから寄り添ったっていい

なるべく私の思いが
そのままの純度で
またはより深く熟成されて相手に届くように
言葉をもっと知りたい

もっと自分の中の言葉を深めたい、磨きたい

言葉にせずに留めておくのをいいが、
言葉にするのも素敵なことだ。

そんなことを教えてくれた、昨晩のこと。

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